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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2009年2月 |
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| 2月1日 |
【神の見えざる御手の中でA】 創世記29:21-35 |
ヤコブは、伯父ラバンに七年間仕えた後、ラケルとの結婚を申し出た。そこには、ラバンの態度への不満と疑いが表われていた。そこでラバンは、その所の人々を皆集めて結婚式を挙げ、祝宴を催した。夕方になって、ラバンはラケルの姉レアをとり、ヤコブのところに行かせた。ヤコブが朝になって見ると、それはレアであった。ラバンとレアは、ヤコブを欺いたのである。
ヤコブがラバンに抗議すると、ラバンは、我々のところでは、長女より先に下の娘をとつがせるようなことはしないと答えた。ヤコブは思わぬところで、父をだました同じ仕打ちをわが身に招くことになった。彼はおそらく人をだますことの非を、自らだまされてみてつくづく悟ったであろう。年少の者が先を越すことの深刻な結果は、ヤコブ自身、身に覚えのある事実であった。ここに神の摂理が働いているのを見る。
ラバンはヤコブに、婚礼の一週間をレアと過ごし、ラケルのためにもう七年間、自分に仕えるように言ったので、ヤコブはそのようにした。ラバンは娘たちを更に手許に置き、働き手としてのヤコブを留め、自らの利益を図ったのである。しかし、聖書には、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにし、人につまずきを与えないようにすること、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、皆の人を喜ばせるようにと書かれている。
一夫多妻が問題(家庭生活の不幸)の原因となり、主は、レアがラケルのように愛されていないのをご覧になって、レアの胎を開かれた。それは、主のご配慮によった。子供は主の賜物なのである。しかし、ラケルは不妊の女であった。アブラハム契約の三世代の妻は、皆不妊であったが、信仰によって、子供を与えられた。全てが神の主権に属し、神の憐みなくして祝福のないことを学ぶためである。
レアは身ごもって、四人の男の子を産んだ。レアがつけた子供たちの名前―ルベン:「見てください、息子を」、シメオン:「聞かれる方」、レビ:「結びつく」、ユダ:「誉めたたえる」は、キリストと私たちとの関係を表わしている。レビはアロンの先祖であり、レビ族は祭司の家系となった。ユダはダビデの先祖であり、ユダ族は王家の家系となった。キリストは、このユダの家系からお生まれになったのである。 |
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| 2月8日 |
【神の見えざる御手の中でB】 創世記30:1-24 |
ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見て、姉レアに嫉妬し、ヤコブに言った。「私に子をください。でなければ、私は死んでしまいます。」そこには、二人の妻の競争心と不満があった。ヤコブはラケルに怒りと焦りをもって言った。「私が神に代わることができようか。」ヤコブの答えには、全てが神とその契約に依存していることの、新しい理解と謙虚さが表われている。
するとラケルは、アブラハムの妻サラの場合と同様に、信仰の弱さゆえに、神の方法を信じ続けるより、人間の常識に従って、自分の女奴隷ビルハによって、子を得ようとした。そうして得た男の子に、ダン:「裁き」と名づけた。神はラケルの立場を弁護してくださるという意味である。
二番目の男の子には、「私は姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った。」と言って、ナフタリ:「闘争」と名づけた。それは、人間を越えた力だけが解決できるような争いである。
レアも信仰によらないラケルの行ないをまねて、自分の女奴隷ジルパをとって、ヤコブに妻として与えた。そうして得た二人の男の子に、ガド:「幸運な」とアシェル:「幸せな」と名づけた。
次にラケルは、レアの息子ルベンが見つけ、母レアのところに持って来た恋なすびに頼ろうとした。恋なすびには、受胎力増進の薬効や、豊穣の女神の力があると信じられていた。しかし、期待は裏切られ、効果はなかった。恋なすびと引き替えに、レアがヤコブと寝て、身ごもった。
レアはヤコブに五番目の男の子を産み、イッサカル:「報酬」と名づけた。レアはまた身ごもり、六番目の男の子にゼブルン:「与える」「尊敬する」と名づけた。その後、レアは女の子を産み、ディナ:「正しい裁き」と名づけた。
神はラケルも覚えて、御心に留めておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。彼女は身ごもって男の子を産み、「神は私の汚名(恥)を取り去ってくださった。」と言って、その子をヨセフ:「加える」と名づけ、「主がもう一人の子を私に加えてくださるように。」と言った。ラケルの「主」という告白に、恩寵の神に感謝する心が表われている。このヤコブの十一人目の男の子が、長子の権利を引き継ぐ者となったのである。 |
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| 2月15日 |
【神の見えざる御手の中でC】 創世記30:25-43 |
ラケルがヨセフを産んで後、ヤコブはラバンに言った。「私を去らせ、私の故郷の地へ帰らせてください。」パダン・アラムに来て、すでに十四年が過ぎていた。ヤコブはまたラバンに、「私の妻たちや子どもたちを私にを与えて行かせてください。」と言った。当時、奴隷の妻子は、主人の財産であった。
ラバンはヤコブのおかげで、主が自分を祝福してくださったことを、まじないで知っていたので、ヤコブに留まってほしかった。ラバンはまじないをする混合信仰で、主に対する純粋な正しい信仰をもっていなかった。
ラバンは、「あなたの報酬を申し出てくれ。」とヤコブに言った。ヤコブは、やぎの中のぶち毛とまだら毛のものと、羊の中の黒毛のものを報酬として求めた。当時の財産は家畜であり、この地方では、やぎは黒か濃い茶色、羊は白のが普通であり、ヤコブが求めたものは例外で、少数だったのであろう。
ところが、ラバンは該当するやぎと羊を、ヤコブではなく、自分の息子たちに渡し、三日の道のりの距離を置いて隔離し、そのような家畜の増えるのを最小限にとどめようとした。ヤコブはラバンの残りの群れを飼い、迷信的行為によって、自分に属する家畜を増やそうとした。
それにも関わらず、神は彼のために最善を行なわれ、彼に属する家畜は増え、強いものとなった。神の特別なご介入と御業によって、ヤコブは繁栄したのである。それは、過ちを赦される神ご自身の摂理による干渉の結果であった。
アブラハム契約の継承者であるヤコブは、神の摂理によって、大いに富んだ(直訳:非常に破れ出る)。「ヤコブの中に不法を見いださず、イスラエルの中にわざわいを見ない。彼らの神、主は彼らととともにおり、王をたたえる声が彼らの中にある。」と民数記23:21には書かれている。
私たちの主は、「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」と仰せられる恩寵の神である。主に罪を告白しよう。真実で正しい神は、その罪を赦し、御子イエスの血によって、全ての罪と悪から私たちをきよめてくださる。 |
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| 2月22日 |
【神の見えざる御手の中でD】 創世記31:1-21 |
大いに富んだヤコブを、伯父ラバンの息子たちとラバンは妬み、そのことが態度に表われた。その時、主はヤコブに仰せられた。「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」神の導きが、外面的事実と神の声によってもたらされたのである。それは、二十年前にべテルでヤコブに現われた神の約束の成就であった。
ヤコブは、ラケルとレアを自分の群れのいる野に呼び寄せ、彼の父たちに真実であられた神の召命に従うようにと勧めた。家長であるラバンが、基本的に土地も財産も娘たちも所有していたからである。ヤコブは妻たちに、彼はラバンに力を尽くして仕えたが、ラバンは彼を欺き、彼の報酬を十度も変えた。しかし、神は彼を守ってくださり、ラバンが彼に害を加えるようにされなかったと言った。
ヤコブは、神の御業を承認せざるを得なかった。神は夢の中でヤコブに、ラバンの妨害にも関わらず、ヤコブの家畜の群れが増えていったのは、神ご自身の干渉故であることを、確実に理解させた。ラケルとレアは、父の家に自分たちの相続財産はなく、父は自分たちの花嫁料を食いつぶしたと言って、ヤコブに従った。
そこでヤコブは立って、彼の子たち、妻たちをらくだに乗せ、全ての財産を持ち、家畜を追って、カナンの地にいる父イサクのところへ出かけた。その時、ラバンは自分の羊の毛を刈るために出かけていたので、ラケルは父の所有の偶像テラフィム(もともと腐敗物という意味)を盗み出した。テラフィムは、その家の宗教と祭儀に関わる大切なもので、まじないのために用いられた。また、家長の権利のしるしであり、第一相続人がこれを受け継いだ。
ヤコブはラバンに内緒にして(直訳:心を盗む)、自分の逃げるのを知らせなかった。ラバンに無断で逃げて行こうとする方法は間違っており、神の命令に従うなら全く必要ないはずの計略であった。それは、不信の行動だった。人間の小細工は、後で必ず問題を起こすことになる。ヤコブは旅立って、ユーフラテス川を渡り、ギルアデの山地ヘ向かった。 |
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