エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2009年1月
1月4日 【神の祝福の継承B】 創世記27:34-46
 父イサクと息子エサウの結びつきによるイサクの保護が、エサウの俗性に拍車をかけた。エサウは、ヤコブの名前「かかとをつかむ」を「押しのける」意味にして語った。エサウはこの頃になってはじめて、霊的なものの尊さを真剣に考えるようになり、神の祝福を相続したいと思ったが、時はすでに遅すぎて退けられた。彼は大声で泣き叫び、ひどく痛み悲しんで、イサクに祝福を求めたが、心を変えてもらう余地はなかった。長子の権利と祝福は、神の選びと召命により、霊的リーダーには、祝福に伴う責任と使命がある。

 エサウに答えてイサクが言った言葉は、単に彼と彼の子孫の将来についての預言的宣言だった。それは、エサウには、地の肥沃も天の露もない。彼は好戦的な者になり、剣(暴力と継続的な紛争)に頼って生きていく。やがて、弟(イスラエル)の支配から、(エサウの子孫エドムは)独立するという、彼と彼の子孫が辿った歴史であった。

 エサウは、父がヤコブを祝福したことでヤコブを恨んだ。エサウは自分の罪を悔い改めず、ヤコブに責任転嫁したのである。そして、ヤコブを殺すという考えで自らを慰めようとした。そのことを知った母リベカは、弟ヤコブを呼び寄せ、兄エサウの憤りがおさまるまで、リベカの兄ラバンのところへ逃げるようにと言った。リベカは、エサウの怒りがおさまり、ヤコブがエサウにしたことを忘れるようになった時、ヤコブを呼び戻すつもりだった。しかし、しばしの別れと思っていたこの母子の別離は、ついに生き別れになってしまう。

 リベカは、ヤコブをラバンのところに行かせるために、イサクにヤコブの結婚問題をあげ、自分たちの結婚の時のように、信仰深い妻を迎える必要を説明し、イサクの承認を得ようとした。リベカはイサクに、エサウの妻であるヘテ人の娘たちのことで、生きているのがいやになり、人生は何のためなのかと言った。

 しかし、夫婦が真に一心同体であり、子供の教育について心を合わせてともに祈り、夫婦間、家族間にコミュニケーションがあり、神の御心を第一に求めて生きていたなら、このようなことにはならなかったことを、教訓として教えられる。神の御心を第一にして歩まない時、人間の罪によって問題が生じる。神に対して罪を悔い改め、御霊によって神の御心に従って生き、神の祝福を相続する者になろう。
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1月11日 【全能の神による祝福@】 創世記28:1-12
 イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福して命じて言った。「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい。」 この言葉は、イサクの結婚相手を迎える時、アブラハムが語ったのと同様の内容である。

 イサクは、全能の神がイサクを祝福し、アブラハム契約(祝福、子孫、土地)が成就するように祈った。イサクは、ヤコブの選びをはっきり認めることによって、気持ちが変わった。イサクは、改めてヤコブを自分の世継ぎと認めて祝福し、パダン・アラム(アラムの野)に送り出した。イサクのヤコブへの祝福は、エサウが手を出すことへの暗黙の警告でもあった。

 ヤコブがまだ独身で、寄留している約束の地を離れようとしている時に、彼が多くの民の集いになり、約束の地を継ぐように祈られたことは、大きな信仰の励ましであった。それは、全能の神(契約を果たしてくださる神の力)による祝福と繁栄であった。

 エサウは、イサクがヤコブを祝福して送り出し、カナンの娘たちから嫁をめとってはならないと言ったこと、また、自分の妻であるカナンの娘たちが、父イサクの気に入らないのに気づいた。それは、エサウが結婚してから37年程経った時のことであり、彼の父母や弟との霊的感覚のずれの大きさを表わしている。

 それで、エサウはアブラハムの子イシュマエルのところに行き、イシュマエルの娘を更に妻としてめとった。父の好意を回復しようとした、エサウの悔い改めなき改善の決意と外見の行ないは、彼の信仰に対する無理解を物語っている。

 ヤコブはベエル・シェバを立って、カランへと旅立った。ある所に着いた(遭遇した、出会った)時、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、枕にして、その場所で横になった。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、神の御使いたちが上り下りしていた。天からの一つの階段、神からの接近、天と地のつながりは、イエス・キリストの型である。また、

 天から下って来る、聖なる都、新しいエルサレムの予表である。御使いは皆、仕える霊であり、救いの相続者となる人々に仕えるために遣わされた。神は、先が見えない最も苦しい状況にあっても、ご自身の方から近づいて来てくださり、語りかけ、力を与え、人生の旅路の全行程を導いてくださる愛の方である。
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1月18日 【全能の神による祝福A】 創世記28:1-12
 ヤコブが見た夢の中で、主が彼の傍らに立っておられた。そして、ヤコブに、アブラハム契約の土地、子孫、祝福に加えて、主の臨在と保護、彼を約束の地に連れ戻し、約束したことを成し遂げるまで、決して彼を捨てないという慰めを語られた。主の約束は、全く一方的な恩寵、無条件契約、祝福の保証であった。主は恵み深く、求めないうちに与え、惜しむことなく備えてくださる。

 ヤコブは、まことに主がそこにおられたのに、気づかなかった。彼は、主をまだよく知らず、主との親しい愛の関係になかったのである。しかし、主は、いかなる状況にあっても、ともにいてくださる。

 眠りから覚めたヤコブは、恐れおののいて、その場所を神の家、天の門だと言った。翌朝早く、ヤコブは枕にした石を石の柱として立て、油を注ぎ、その場所の名をべテル(神の家)と呼んだ。主のための記念碑として、石の柱を聖別してささげたのである。

 それから誓願を立てたが、それは、条件付の信仰告白であった。ヤコブは、主を自分の神とし、べテルで礼拝し、十分の一を必ず主にささげると言った。べテルは、かつてアブラハムが祭壇を築いて主を礼拝した場所であり、十分の一のささげ物は、律法以前にアブラハムが、シャレムの王メルキゼデクに与えたささげ物である。信仰によって歩んだ土地、礼拝した場所、主へのささげ物が、子孫の信仰に継承されているのを見ることができる。

 ささげ物をすることは、神を礼拝し、祝い、ささげる人と神の関係を回復、維持するための方法であった。今日、主にささげ物をする礼拝生活は、イエス・キリストの十字架の贖い、聖霊、御言葉、預言、異言、献身、祈りと賛美、良い行ない、いやし、献金、施しなどによって営まれる。
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1月25日 【神の見えざる御手の中で@】 創世記29:1-20
 ヤコブは旅を続けて、東(ユーフラテスの向こうのメソポタミヤ)の人々の国へ行った。ふと彼が見ると、野に一つの井戸があり、三つの羊の群れが伏していた。ヤコブが羊飼いたちに、「兄弟たちよ。」と同族への親しみを込めて語りかけると、彼らは旅の目的地であるカランの人々で、伯父ラバンは元気であり、彼の娘ラケルが羊を連れて来ることがわかった。

 神の摂理(世界の全てを導き治める神の意志・恩恵)によって、神の見えざる御手の中で、アブラハムの忠実なしもべが母リベカと出会った時と同じように、ヤコブは生活の中心である井戸の傍らで、結婚相手の身内のいとこラケルに直接出会うことができた。しかし、アブラハムのしもべの時とは違い、ヤコブには主への祈りも礼拝も賛美もなかった。

 ヤコブはラケルに口づけしてあいさつをし、声をあげて泣いた。ラケルが走って行って、父ラバンにヤコブのことを告げると、ラバンはすぐ、妹の子ヤコブを迎えに走って行き、彼を抱いて、口づけした。ヤコブがラバンに事の次第の全てを話すと、ラバンはヤコブに、あなたは本当に私の骨肉(近い親類を意味する)だと言った。ラバンの家の欠け(男の子がいなかったと思われる)を補うものを直感しての喜びの言葉が、養子縁組へと発展した。その後、ヤコブはラバンの家の一人の働き手、二人の娘の夫、羊の牧者となっていく。

 ヤコブはべテルの神の啓示を受け入れ、神を信頼して祈って待つことなく、自分の肉の力によって、神の恵みを得、生きていこうとした。だから、ラバンに働きの報酬について尋ねられた時、ヤコブは下の娘ラケルと結婚できれば、七年間ラバンに仕えると言った。何も持たないヤコブにとって、七年間の無報酬の労役は、当然払うべき花嫁料であった。

 ヤコブはラケルを愛していたので、それもほんの数日のように思われた。人は生きがいを感じて働く時、年月を忘れて熱中してしまう。私たち花嫁なる教会も、小羊イエスとの婚姻の時に向かって、神を愛する喜びゆえに、主に仕える者となろう。
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