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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2008年7月 |
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| 7月6日 |
【女奴隷ハガルの子】 創世記16:1-6 |
アブラムがカナンの土地に住んでから十年経ったが、妻のサライは神の約束の子を産まなかった。サライとアブラムは、信仰と現実の間で動揺していた。焦りと恥の苦痛があったサライは、自分の女奴隷ハガル(逃げるから派生した語)によって子を得ようとして、夫アブラムにハガルを妻として与えた。
それは、当時のやり方であり、一般的な社会慣習であった。アブラムとサライは、神の約束の成就を待つ忍耐において、誤りを犯した。やがて大きな報いをもたらす信仰の確信を投げ捨ててはならない。神の御心を行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐である。
また、アブラムとサライは、神より自分の考えと行ない(エジプトの女奴隷)を頼りにした。神の約束は、人の知恵と肉の行ないによってではなく、神の恵みと神の方法によって果たされる。神の奇跡の業によって、成就するのである。状況(人や自然)から目を離し、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいよう。
アブラムとサライの間違った決断の刈り取りは、悲しみと悩みを増す結果となった。ハガルは自分が身ごもったのを知って、自分の女主人サライを見下げるようになり、横柄にふるまった。一夫多妻の罪と悲劇である。
サライには、嫉妬や憎しみや怒りがあり、自分の権利を守るため、アブラムに法的な管理者として保護を求めた。そして、女奴隷ハガルにつらく当たったので、ハガルは、サライのもとから逃げ去った。この時点で、アブラムとサライに罪の自覚と告白、神に対する悔い改めと祈りはなかった。
たとえ罪を悔い改めて赦されても、罪の結果は刈り取ることになる。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取る。善を行なうのに飽いてはならない。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになる。 |
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| 7月13日 |
【ご覧になる神の泉】 創世記16:7-16 |
主の使い(使命をもって、メッセージを伝達するために遣わされる者、ここでは天使)が、ハガルの故郷エジプトへの道筋にある荒野の泉のほとりで、ハガルを見つけ、「サライの女奴隷ハガル。」と、ハガルに自分の立場を知らしめる呼びかけをし、「あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」と尋ねた。
ハガル(逃げるから派生した語)は、「私の女主人サライのところから逃げているところです。」と答えた。主の使いは、「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」と、ハガルの取るべき行動を指示した。
女主人のもとに帰ることは、へりくだりを意味した。神の召したところにいることが、祝福の基盤となる。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられる。神の力強い御手の下にへりくだるなら、神が、ちょうど良い時に高くしてくださる。皆互いに謙遜を身に着けよう。
また、主の使いは、ハガルの子孫が大いに増やされる祝福を語り、主がハガルの苦しみを聞き入れられたから、産まれる男の子にイシュマエル(神は聞かれる)と名づけるように言った。
更に、イシュマエルは野生のろばのような(飼い慣らされることが困難な、すばしこさと荒々しさをもつ)人となり、常に他と争う状態にあり、全ての兄弟に敵対して住もうと預言した。それは、挑発や軽蔑の意を含んだ敵対関係である。
イシュマエルの子孫は、今日のアラブ民族である。イザヤ書19章には、エジプトとアッシリアとイスラエルに対する祝福が預言されている。アラブ人の多くはイスラム教徒だが、最近どの時代よりも多く、イエス・キリストを信じる人々が増えている。
ハガルは自分に語りかけられた主の名を、エル・ロイ(ご覧になる神)と呼んだ。直訳は「見ることの神」で、「見ること」と「見られること」の両方を意味する。ハガルは、ご覧になる神を実際に見た後、尚も死なないでいることに驚いた。それゆえ、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイ(生きて見ておられるお方の井戸)と呼ばれた。それは、私を知っていてくださる主を知る、新鮮な喜びの名であった。
ハガルはサライのもとに帰って、アブラムに男の子を産んだ。アブラムは、その男の子をイシュマエルと名づけた。その時、アブラムは86才であった。 |
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| 7月20日 |
【全能の神の御前に歩む@】 創世記17:1-14 |
アブラムが99才になった時、主はアブラムに現われて、仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」全能の神という御名は、たとえ自然の力では神の約束が成就される見込みが全くなくても、神には約束を成就する力があることを示している。
全き者とは、全能の神の御前に、全き信仰によって歩み、心が常に全面的に神に向けられている、神との関係において健全な者である。「わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」と仰せられた主とアブラムとの契約は、主に依存してのみあり得る、主の恵みによる、全く神の賜物であった。
神によって、アブラム(いと高き父)は、アブラハム(多くの国民の父)に、名前を変えられた。そのことは、アブラムにとって生涯の一大転機となり、彼は新しい出発点に立たされた。アブラムの変化は、神による。また、主は、アブラムから、王たちが出て来ようと仰せられた。
神とアブラムと彼の子孫との永遠の契約のしるしとして、神は割礼(男性の性器の包皮の一部を切り取る、人生と結婚への導入)を命じられた。「あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。」
キリストの割礼は、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされることである。それは、文字ではなく、御霊による、心の割礼である。 |
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| 7月27日 |
【全能の神の御前に歩むA】 創世記17:15-27 |
サライ(わたしの王女)もまた、神によって名前をサラ(王女)に変えられ、人生の転機を迎えた。サラは神に祝福され、一人の男の子を授かり、国々の母となり、彼女から国々の民の王たちが出て来ると、神はアブラハムに仰せられた。
アブラハムはひれ伏して神を礼拝しつつも、笑って心の中で言った。「100才の者に子どもが生まれようか。サラにしても、90才の女が子を産むことができようか。」そして、彼は神に申し上げた。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」アブラハムは、生まれながらの思いのとりこになっていたのである。
彼には、全能の神の言葉による心の刷新が必要であった。すると神は仰せられた。「このことは事実なのだ。来年の今頃、サラが産む男の子にイサクと名づけなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の後の子孫のために永遠の契約とする。イシュマエルについては、彼を祝福し、彼の子孫を非常に多く増し加え、大いなる国民としよう。」
イサク(彼は笑う)という名前は、あり得ないこととしての笑いにもかかわらず、与えられる子を表わしている。全能の神は、アブラハムの不信仰からの苦笑を、心からの感謝と喜びに変えてくださった。
そこでアブラハムは、彼の家の全ての男子を集め、神が彼にお告げになったとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。彼の家の男たち、すなわち、家で生まれた奴隷、外国人から金で買い取った者も皆、彼といっしょに割礼を受けた。アブラハムが割礼を受け、新しい出発をした年は99才、その子イシュマエルは13才の時であった。
アブラハムは信じられないことを信じる証しとして、速やかに神に服従した。アブラハムの家の全ての男子が割礼を受けたことは、アブラハム契約の性格が、血筋によらないことを示している。行ないを伴う信仰をもつアブラハムは、全ての信仰者の父なのである。私たちも全能の神に信頼し、御霊によって心の割礼を受け、思いを刷新され、神を愛して生きる、新しいキリストの復活のいのちに満たされよう。 |
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