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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2008年6月 |
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| 6月1日 |
【信仰の目を上げてA】 創世記13:10-18 |
ロトが目を上げて見渡すと、ヨルダンの低地全体は、主の園のように、エジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはその地を選び取り、その後、東の方に移動して行き、ソドムの近くまで天幕を張った。
ところが、ソドムの人々はよこしまで、主に対して非常な罪人であったので、後に主に滅ぼされた。ロトはソドムの外観だけを見て、ソドムの邪悪な本質と、神に裁かれようとしている将来の展望の霊的洞察力がなかったのである。
ロトは信仰の目によらず、自分で判断して、肉の目に映るところを近視眼的に選択して従った。ロトには、神のための祭壇(献身と祈りの生活)、神の視点、おじのアブラムへの配慮がなかった。「世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。」Tヨハネ2:17
一方、アブラムはカナンの地に住んだ。甥のロトと別れて後、新たな啓示が与えられ、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
信仰の目を上げて、自分のいるところから見渡し、神の約束の地を信仰をもって具体的に歩むなら、回復の神の祝福がキリストによって訪れる。
そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。ヘブロンは、アブラムの活動の中心となった。後に、アブラムがヘブロンで購入した私有の墓地に、アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとレアは葬られた。また、後の時代に、アブラムの子孫のダビデの王国がヘブロンで確立された。 |
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| 6月8日 |
【大祭司イエス・キリストの型】 創世記14:1-24 |
ソドムに住んでいたロトは、この世の戦争に巻き込まれて捕虜となった。一つの妥協がもう一つの妥協を生み、次第に世の悪に近づいていくことが、破局につながっていく。アブラムは自分の兄弟が捕虜になったことを聞き、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者318人を召集して、追跡した。彼らは夜襲をかけて敵を打ち破り、全財産とロトと人々を取り戻した。
アブラムはこの世から分離して生活していたが、兄弟愛のゆえに、ロトを世の力から救い出そうとして、命がけで戦いに行き、神の力によって勝利したのである。
アブラムが戦いから帰ると、敵であるソドムの王が王の谷まで迎えに出て来た。信仰の危機には、神との深い交わりが必要である。私たちがキリストの苦難に会うのは、神から受ける慰めと救いのためである。主の恵みは十分であり、キリストの力は弱さのうちに完全に現われる。
また、いと高き神の祭司、シャレム(平和)の王メルキゼデク(義の王)が、パンとぶどう酒を持って来た。彼は真の大祭司イエス・キリストの型であり、パンとぶどう酒は聖餐の予表である。
メルキゼデクはアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムは全ての物の十分の一を彼に与えた。ここに、神への賛美の祝福と十分の一献金の起源がある。
アブラムはソドムの王からの財産の申し出を拒んだ。神によって満たされた心は、この世の力に支配されず、ソドムの富が誘惑にならなかった。パウロはキリストを知っている素晴らしさのゆえに、一切のことを損と思った。成人である者の考え方をし、キリストを人生の目標として、前のものに向かって一心に進もう。 |
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| 6月15日 |
【非常に大きな報い@】 創世記15:1-6 |
神への礼拝の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」アブラムに繰り返し神の約束(契約)が語られた。アブラムは、子供が与えられない試練の中で、神の約束を待つ信仰の忍耐を学んだ。
主はアブラムの実子が跡継ぎになり、アブラムの子孫は星の数のようになると仰せられた。自然の力は死んでいる中で、超自然の復活の力によって、子供を主の賜物、報酬として授かるのである。聖霊の力によって、神にとって不可能なことは一つもない。マリヤのように、神の言葉を受け入れることが、教会にとって必要である。
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。アブラムは、主の言葉を確実なものとして信頼した。信仰の目を上げて、全能の神を仰ぎ、神の約束を信じた(信じたは、アーメンと同じ語根)。不可能と思われることでも、神の言葉を真剣に受けとめる態度をもった。神との正しい関係にあった。義とは、一定の基準に合致した状態である。
信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものである。信仰によって、サラも、約束してくださった方を真実な方と考え、既にその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられた。そこで、一人の死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、海辺の砂のように、数えきれない多くの子孫が生まれたのである。
義と子としての相続人の身分は、復活の神によって与えられる。復活の神信仰によって義と認められ、行ないによって信仰は全うされる(ヤコブ2:21-24)。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで、キリストの復活のいのちによって、神を愛する喜びと神の御座の前の礼拝に生きよう。 |
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| 6月22日 |
【非常に大きな報いA】 創世記15:7-14 |
神の約束の中心が、子孫から土地に移されて語られている。主はアブラムに、「わたしはこの地をあなたの所有としてあなたに与える」と仰せられた。そして、土地所有の確証を求めるアブラムに、主は古代中近東の契約の儀式を用いて契約の保証を与えられた。
その儀式とは、動物を真二つに切り裂き、契約の両当事者がその間を通り、その間を埋め、二つのものを一つにする契約の完了を意味した。また、契約を破った場合には、裂かれたものと同じ状態になることを意味した。
二つのものを一つにする神との和解と人々の平和の新しい契約が、キリストの十字架の血によって完了した。その日、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
猛禽が動物の死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。それは、アブラムの子孫が約束の地を受け継ぐ前に、経験しなければならない試練や困難を象徴している。契約関係は妨害を排して全うされる。
日が沈みかかった頃、深い眠りとひどい暗黒の恐怖がアブラムを襲った。神よりの眠りによって、アブラムは神の啓示を受ける状態にあった。ひどい暗黒の恐怖は、預言の内容であるアブラムの子孫が通らなければならない暗い苦難の時代と、奴隷の苦しみを表わしている。
その預言とは、アブラムの子孫が異邦の国で寄留者となり、奴隷とされ、四百年の間苦しめられる。しかし、神が異邦の国民を裁かれ、彼らは多くの財産を持って、出て来るようになるという、イスラエルの歴史に成就した出来事であった。
イエスは、「あなたがたは、世にあっては患難があります」と言われた。しかし、私たちはイエスの勝利によって勇敢であり、イエスにあって平安を持つことができる。使徒たちは、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言って、弟子たちの心を強め、彼らの信仰を励ました。私たちはキリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、苦しみをも賜ったのである。
キリストと苦難をともにしているなら、キリストとの共同相続人であり、キリストと神の栄光をともに受ける。義のために迫害されている者は、幸いである。天の御国はその人のものである。天の報いは大きいのだから、喜び踊りなさいと命じられている。私たちは信仰の試練によって精錬され、きよめられて、金のように純粋にされて出て来るのである。 |
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| 6月29日 |
【非常に大きな報いB】 創世記15:15-21 |
アブラム自身は平安のうちに、長寿を全うして葬られる。そして、アブラムの子孫が異邦の国に寄留した時から数えて四代目の者たちが、カナンの地に戻って来る。その時までに、エモリ人(イスラエル定住以前のカナン人の総称)の咎が、満ちることはないからであると、主はアブラムに仰せられた。主はカナンの住民を、その悪のゆえに裁き、彼らの土地をアブラムの子孫に与えようとしておられた。時が満ちて、イスラエルはカナン人への神の断罪のために遣わされたのである。
神ご自身がお一人で、あの切り裂かれた動物の間を通り過ぎられ、アブラムと契約を結ばれた。それは、この契約が全く神の恵みによる賜物であり、神のみが全てをなされ、人間はただその受諾者にすぎないことを表わしている。
神の顕現のしるしは、煙の立つかまどと燃えているたいまつによって表わされた。かまどは苦しみと試みを、たいまつは神の恵みによる救いを象徴している。それは、イエス・キリストの十字架の死による、人類の救いの完了を予表している。
また、キリスト者が試みの中で密かに訓練され、神の忠実なしもべとなり、祈りの香をささげ、聖霊の炎に燃やされて、神に用いられることを意味している。
主がアブラムと契約を結ばれ、アブラムの子孫に与えると仰せられた約束の地の領域は、エジプトの川から、ユーフラテス川まで。ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地であった。
このうち五民族は、創世記10章のハムの子孫の名前であり、エブス人は、後にダビデによって征服されるエルサレムの先住民である。寄留者としての現実が続いている間も、約束の地の所有権は、神の民のものとして存続する。
所有権と実際の所有との関係は、まだ見ていないものを確信する信仰者の姿の予表である。神の言葉は、キリストによって必ず全部成就する。主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、幸いである。
私たちは、キリストの十字架の血による、ただ一度の永遠の贖いという、非常に大きな報いを信仰によって受け取った。新しい契約がイエスの血によって結ばれたことによって、大胆にまことの聖所に入り、神とともに永遠に住む大きな恵みに与ったのである。 |
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