エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2008年2月
2月3日 【主の御名によって祈る人】 創世記4:16-26
 カインは主の御前から去って、ノデ(さすらい、動揺)の地に住みついた。そして、町を建て、自分の子の名にちなんで、エノク(開始する)という名をつけた。こうして、都市文明と文化生活が始まった。それは、悔い改めないまま、自ら主の御前から去って、独立した人間社会の姿である。

 カインから7代目のレメクの時代には、罪が増大し深刻化した。レメクは二人の妻をめとった。一夫多妻は、神の御心ではない。結婚の神聖な関係を破る、神への反抗である。レメクの妻たちに対する言葉は、堕落した人間の歌であり、相手を生かしておくことのない無制限の破壊と、神の報復と生存の保障に委ねるのではなく、自分の力によって報復し安全を確保しようとする内容だった。

 聖書は、悪い者に手向かってはならず、善をもって悪に打ち勝つよう、また、自分で復讐してはならず、神の怒りに任せるように、教えている。人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者は呪われる。自分の力を自分の神とする者は罰せられる。しかし、主に信頼し、主を頼みとする者は祝福される。

 アダムとエバに、セツ(基礎、土台、柱)が生まれ、信仰の系統となった。セツは、生まれた男の子にエノシュ(人、人々、語根は「弱い」)と名づけた。その時代に、人々は主の御名によって祈り、主を礼拝し始めた。

 神の恵みは一人一人に十分であり、神の力は弱さのうちに完全に現われる。主イエスの御名を呼び求める者は、誰でも救われる。主を呼べば、人知と理解を越えた大いなることを告げられる。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、目が見たことのなく、耳が聞いたことのなく、人の心に思い浮かんだことのない、御霊による神の深みの啓示である。

 主を賛美し、最初の音楽家になったユバル(流れる、前のものに向かって押し出す)の名前のように、天国の水門となって、聖霊の川と神の臨在を、この地に洪水のように流し出そう。
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2月10日 【神に大いに喜ばれる人】 創世記5:1-32
 アダムの子、セツの系統の歴史が書き記されている。それは、人が生まれ、エノクを除いて死んだ記録である。アダムとエバが、善悪の知識の木から取って食べたので、人は死ぬ者となった。

 神は、アダムを神に似せて創造され、アダムは、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。人間は、原罪をもつアダムの古い人の性質とともに、神のかたちをも引き継いで生まれるのである。

 系図を見ると、人の一生は、初めに個人的な生涯があり、それから子どもを生み、新しい世代にいのちを伝えて死ぬという型である。アダムは930年生きた。それは、ノアの洪水前の人間の平均的な寿命であり、当時の気象や菜食も影響した。

 アダムから7代目のカインの系統のレメクと、セツの系統のエノクが対照されている。エノクは神とともに生きる信仰深い生活をし、神に大いに喜ばれいることが証しされていた。信仰によって、エノクは死を見ることのないように天に移され、地上から姿を消した。エノクの一生は365年で、当時の平均寿命の半分以下であった。

 エノクは、キリストの再臨と裁きを預言した。エノクという名前には、開始する、従う者、新しい家を公式に開く、奉献するという意味がある。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれない。神とともに歩み、神に大いに喜ばれる教会は、キリストの再臨の時、天に携え挙げられる。

 アダムから9代目のレメクは、その子をノア(慰め)と名づけ、「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう。」と言った。慈愛の父、慰めの神は、私たちの苦しみを知っておられ、慰めと救いを与えてくださる。

 正しい審判者である主から、義の栄冠を授けて頂けるのは、主の現われを慕い求め、勇敢に戦い、走るべき道程を走り終え、信仰を守り通した者である。 
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2月17日 【ノアの時代@】 創世記6:1-8
 人が地上に増え始め、人の悪が増大した。神の子ら(神を信じる者、神のかたちに造られた人)は、未信者の娘たちの外面的な美しさに惹かれ、好き勝手に結婚するようになった。それは、自分の感覚によって歩み、神の御心を第一に考えない生き方である。

 不信者と、つり合わぬくびきを一緒につけてはいけない。「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。」世と世の欲は滅び去る。しかし、神の御心を行なう者は、いつまでもながらえる。「人はうわべを見るが、主は心を見る。」神の熱心は、教会を清純な処女として、一人の人の花嫁に定め、キリストにささげる。

 人の不従順は、悪い結果を生じ、神の裁きをもたらした。主は、「人の齢は、120年にしよう。」と仰せられた。地上には、ネフィリム(巨人、語根は落ちる、攻撃する) がいて、昔の名のある勇士たちであり、神を恐れることを知らない権力者たちであった。

 主は、人が常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になった。そして、人の心が源泉となって、悪いことを形成しているのを、悲しく残念に思い、心を痛められた。主は、「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。」と仰せられた。

 神との関係に深く結びついている人を、洪水で滅ぼすことは、神にとって深い苦しみであり、嘆きであった。人は、神のかたちに造られた特権と自由を正しく用いなかった。人の罪のために、罪の影響が及び、地の全ての生き物も巻き添えになった。 

 キリストは全人類の罪のために、神に捨てられ、十字架で身代わりに罪の刑罰を受けて死んでくださった。そして、3日目によみがえられた。キリストは再び来られ、被造物自体も、滅びの束縛から解放して、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れてくださる。

 しかし、ノアは、神の御心にかない、違っていたので、主の恵みと好意を得た。ノアは自分に頼らず、神の義により頼んだのである。他の者と違った心をもって、主に従い通す者は救われ、祝福を受ける。今日、罪を悔い改めて、キリストの信じて義とされた私たちは、死に至るまで忠実に、走るべき行程を走り尽くし、義の栄冠を得るという一事に励もう。
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2月24日 【ノアの時代A】 創世記6:9-22
 ノアは、その時代の人々の中にあって、彼らの悪に染まらず、正しい(神の基準にかなった)、全き(責められるところのない)人であった。ノアは、神にのみ心を向けて、神とともに歩む、無垢な人であった。ノアの基底には、神への信頼と忠実さがあり、全て神が命じられたとおりに行なう生活態度をもっていた。神との関係において、正しい人は救われる。

 地は、神の御前に堕落し、暴虐(悪の深刻さ、義でないこと)で満ちていた。全ての人が自分勝手な生活をし、神の意志と導きに逆らい、神とともに歩む道を乱していた。人類の罪による堕落が原因となり、神は洪水の裁きを起こされた。ノアの洪水は、世の終わりの裁きと救いを予表している。キリストの再臨は、ちょうど、ノアの日のようである。

 神は、ノアに箱舟を造るように仰せられた。箱舟は、ただ浮くためだけの直方体であり、自力進行できなかった。箱舟は、洪水が来ると浮かび上がる。そして、神に信頼して、備えられた箱舟に身を任せるのである。箱舟は、キリストの十字架の贖いによる、救いの恵みを表わしている。

 箱舟には、天窓(明り取り)が作られた。それは、ただ天だけを見上げ、神との交わりを喜び楽しむ安息を表わしている。また、戸口が設けられた。それは、神の憐みによる救いの入口を表わしている。

 今日におけるノアと箱舟は、キリストがお立てになった五役者(使徒・預言者・伝道者・牧師・教師)と教会である。五役者は、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、教会を建て上げる。生ける石として、霊の家に築き上げられよう。そのようにして、永遠の未来のいのちに備えて、良い基礎を自分自身のために築き上げよう。
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