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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2007年10月 |
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| 10月7日 |
【富の正しい用い方】 ヤコブ5:1-6 |
神のために富を用いない、金持ちたちの不正かつ利己的な富について、警告されている。金銭を愛する欲望は、悲惨な滅びに至る。富が朽ちるだけではなく、キリストの再臨の直前の終わりの日に、富を良き業のために用いず、地上に貯えた、金持ちたちの心も腐敗し、彼らの肉は、地獄の火で焼かれることになる。富への欲望は、腐敗や死体、滅びと破滅、ゲヘナ(地獄)に精力を集中していることなのである。
金持ちたちの労働者と未払い賃金の叫び声は、万軍の主(神の全能と権威を強調する表現)の耳に届いている。金持ちたちは、地上でぜいたくに暮らし、したい放題のことをして、殺される日にあたって自分の心を太らせた。彼らは、裁きの日に全く無関心で、かたくなさと悔い改めない心のゆえに、尚罪に罪を重ねて、滅びを確実なものにしている。それは、屠殺される動物が、その日が近づいているのも知らず、貪欲に食べ続け、自分を太らせている様のたとえである。特別に太っている家畜の終末は、宴会のために屠殺されることである。その様に、利己主義の終局は、死と裁きである。高ぶらずに、神の御前でへりくだり、富に望みを置かずに、私たちに全ての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、自分の宝を地上に貯えずに、自分の宝は天に貯えよう。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げよう。
金持ちたちは、正しい人を罪に定めて殺した。正しい人は、彼らに抵抗しない。利己的に生きることは、キリストを再び十字架につけることである。自分で復讐せず、神の怒りに任せよう。そして、主が行なわれ、教えられたとおりに、善をもって悪に打ち勝とう。 |
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| 10月14日 |
【キリストの再臨を待ち望む忍耐】 ヤコブ5:7-11 |
自分で復讐するのではなく、やがて来たるべき希望のキリストの再臨と裁き時を待ち望む、忍耐について語られている。農夫は大地の貴重な実りを、種蒔きの直後に作物が芽を出すための秋(前)の雨と、実を熟させるための春(後)の雨が降るまで、耐え忍んで待っている。後の雨の時に、主に聖霊の雨を求めよう。主は稲光を造り、大雨を人々に与え、野の草を全ての人に下さる。
キリストの再臨は、信仰の力の秘訣であり、中心にある重大な関心事である。再臨は、天による地上への究極的な侵入、民の究極的な服従と賛美を受けるための王の到来、神がその民に現われること―神を待望している人々と、神に反逆し、神を侮っている人々に現われること、神が最後の敵を従わせ、宇宙の玉座に最終的に上られること、完全に全てを明らかにすること、神の栄光が人々に訪れること、神が天上の満ち溢れる祝福をこの世に差し向けられることである。
再臨は準備していないと、その時では間に合わない。主は遅くなられることはない。自分の人生を、王の到来を準備する時として用いよう。キリスト者の相互扶助、交わり、激励が求められる。キリストに出会う最善の準備は、日々キリストの近くで生活することである。
苦しみを耐え忍ぶことについては、神の言葉を語ったゆえに苦しんだ、預言者たちを模範にするように命じられている。耐え忍んだ人たちは幸いである。ヨブは、試練の中でも一貫して神に信頼した。彼は、彼を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを知っていた。
ヨブの忍耐(ギリシャ語ヒュポモネー:不変不動、もちこたえる)は、疑いと悲惨の波に大胆に立ち向かい、信仰に敵する勢力より更に強い信仰を確保できる、勇敢な精神であり、試練の中で固く信仰に立つ、不屈の態度であった。
ヨブの結末(成り行き)は、神との出会いという最大の祝福であった。彼はへりくだって悔い改め、とりなしの祈りをして回復され、二倍の祝福を受けた。主は慈愛に富み、憐みに満ちておられる方である。最後まで耐え忍ぶ者は救われる。信仰の試練は、キリストの再臨の時、称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかる。 |
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| 10月21日 |
【祈りと賛美の教会@】 ヤコブ5:12-20 |
誓わないように命じられている。それは、軽率な誓いや冒涜的な誓いを指している。むしろ誓うことよりも、正直に物事を語ることの方が大切である。裁かれないために、「はい」と「いいえ」を正直に言えば十分である。あらゆる言葉は、神の御前で語られたのであり、真実でなければならない。語る全ての言葉について、やがて裁かれることを覚えて、来たるべき審判を意識し、誠実に責任の取れることだけを語ろう。
苦しんでいる人は、祈るように命じられている。神に向かって叫び、神の助けを待ち望む忍耐をもとう。主を呼ぶなら、理解を越えた大いなる事を告げられ、祝福と平安が訪れる。喜んでいる人は、賛美する(弦のある楽器を弾く、伴奏をもって歌う)ように命じられている。主を喜ぶことは、私たちの力である。
病気の人は、教会の指導者たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらうように命じられている。オリーブ油は薬であり、また神の臨在と聖霊の象徴である。信仰による祈りは、病む人を回復させる。主は、その人を立たせてくださる。
全ての病が罪の結果ではないが、病気の原因が罪による場合には、その罪も赦される。互いに罪を言い表わし、いやされるために、互いのために祈り合おう。罪の告白と赦しは、神と人々との関係を正しく回復させ深める。義人(キリストを信じ、罪を悔い改めた人、神の御心にかなった人)の祈りは、働くと大きな力がある。 |
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| 10月28日 |
【祈りと賛美の教会@】 ヤコブ5:12-20 |
義人の祈りの例として、エリヤの祈りが語られている。エリヤは、私たちと同じ事柄を苦しんでいる人だったが、アハブ王の偶像礼拝の結果、刑罰として雨が降らないように祈ると、三年六か月もの間、地に雨が降らなかった。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせた。雨と地の実りは、密接に関係している。後の雨の時の今、イエスを信じる信仰によって、義とされた私たちは、主に聖霊の雨を求めよう。
主の御前から回復の時が来て、教会のためにキリストは再臨される。教会の中で、真理から迷い出たキリスト者がいて、誰かがその人を連れ戻すなら、罪人の魂を永遠の滅びである死から救い出し、多くの罪をおおう尊い働きをしたことになる。愛をもって真理を語ろう。真理は私たちを自由にする。真理の御霊が来ると、私たちを全ての真理に導き入れ、キリストの栄光を現わす。
「憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。」箴言10:12 人の罪を赦すなら、その人の罪は赦され、天の父も私たちの罪を赦してくださる。多くの罪を赦された者は、多くキリストを愛す。神は咎を赦し、背きの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、慈しみを喜ばれる方である。終わりの時に、「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」ダニエル12:3 |
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