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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2007年9月 |
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| 9月2日 |
【賛美と祝福を語る炎の舌A】 ヤコブ3:1-12 |
舌は、私たちの器官の一つとして大事な働きをするが、また、人格とからだ全体を汚したり、人生全体を台無しにしたりして、地獄の火によって焼かれることになる。獣も鳥も、人類によって制せられるが、舌を制御する(有用で、有益なものにする)ことは、誰にもできない。舌はじっとしていない悪であり、死の毒に満ちている。
しかし、聖霊のバプテスマを受けた者には、炎の舌が留まり、キリストの尊い血によって、舌が贖われ、聖霊に制御されることができる。私たちは神を恐れ、愛し求めて、内在されるイエス・キリストの御名の権威によって、全世界に福音を宣べ伝え、罪を治めるのである。
イエスを信じる者には、イエスの御名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされるような、しるしが伴う。
神にかたどって造られた人を呪ってはならない。神は人を創造し、祝福された。神の創造秩序に反することを止め、神の創造目的のために舌を用いよう。すなわち、神に喜ばれることだけのために舌を使い、神から出た賛美と祝福の言葉で満たそう。
「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」コロサイ3:16−17 |
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| 9月9日 |
【義と平和の実を結ぶ神の知恵】 ヤコブ3:13-18 |
知恵のある賢い人は、知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示すように命じられている。それは、人の模範として歩まれたキリストの姿である。
心の中に苦いねたみと敵対心(利己心、党派心)があるならば、真理に逆らって偽ることになる。ねたみや敵対心は、神からの知恵ではなく、地上の生まれながらの人間に属し、この世の標準、根拠、意味、目的をもつ、悪魔からの知恵である。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがある。秩序の乱れは、悪魔の働きの特徴である。神は混乱の神ではなく、平和の神である。
しかし、神からの知恵は、第一に純真(神の御前に出るのに十分にきよい、ねたみや敵対心などの隠れたパン種が混じっていない、罪と全く無関係)であり、更に、温和で、優しく、従順である。また、憐みと良い実に満ち、偏見と偽善がない。
神からの知恵のしるしは、義と平和である。平和とは、互いの間の正しい関係であり、ねたみと敵対心の反対である。人の怒りは、神の義を実現しない。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって、平和のうちに蒔かれる。それは、平和の領域でのみ成長し、実を結ばせ、収穫に至るのである。
「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」イザヤ32:17
「恵みとまこととは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。」詩篇85:10 |
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| 9月16日 |
【へりくだる者に与えられる恵み@】 ヤコブ4:1-10 |
戦いや争いの原因は、欲望(自己中心的な肉の快楽を求める欲)である。人は自分の欲によって誘惑され、罪を犯し、死に至る。欲望から憎しみ、分裂、不一致、騒乱、戦争が起こる。この世の犯罪は皆、欲望によって犯されるのである。偽りの父である悪魔の欲望が、人殺しだからである。
敬虔(神信仰)を利得の手段と考える、高慢な人の特徴は争いである。しかし、何事でも神の御心にかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる。
世を愛することは、神に敵することである。それは、神の愛への背信、姦淫を犯すことである。世とは、神と教会に敵対する(無関心を含む)悪い人々と勢力である。その指導者は、この世の神といわれる悪魔である。
世の性質は、神に敵対する。それは、人間的な標準、興味、関心であり、自分のやり方で事を行なおうとする。
神は、私たちの内に住まわせた御霊を、ねたむ程に深く愛しておられ、更に豊かな恵みを与えてくださる。神が私たちの内に住まわせた御霊は、ねたむ程に私たちの心の全き献身を恋い慕っておられるのである。
永遠の神の愛が、一貫して聖書には流れている。誠実な神の愛に応えて、小羊イエスの妻である花嫁として、貞操をもって神への愛と信仰の業に励もう。 |
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| 9月23日 |
【へりくだる者に与えられる恵みA】 ヤコブ4:1-10 |
神は、高ぶる者を退けられるが、悔い改めてへりくだる者には、恵みをお授けになる。高慢とは、自分を愛し、他の人々の上位に自分を置く心である。聖なる神は、永遠の高き所に住まわれ、心砕かれて、へりくだった人とともに住まわれる。
神の意志に心から服従し、神を喜ばせ、悪魔に立ち向かうなら、悪魔は逃げ去る。自分の欲望に従い、自分を喜ばせ、十字架の敵として歩むなら、滅びに至る。欲と世の背後には、悪魔がいる。世の友ではなく、キリストの愛で互いに愛し合い、友のためにいのちを捨てる、キリストの友になることである。
神に近づき、罪をきよめられる道が、キリストの尊い血によって開かれた。この世的な浅はかな笑いや喜びの代わりに、悲しみ、憂え、苦しみ、泣くように命じられている。それは、神の御前において真剣に罪を悔い改める、信仰の第一段階である。そうすれば、キリストの十字架の贖いによって、罪の赦し、救いの喜び、笑い、賛美、義と栄光に代えられる。
主は慈愛に富み、憐みに満ちておられる。主の御前でへりくだる者を、主は高くしてくださる。神に信頼する者は、全き平安をもって堅く立つことができ、祝福を受けるのである。 |
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| 9月30日 |
【主の御心によって、教会を建て上げる】 ヤコブ4:11-17 |
隣人の悪口を言い、裁く者は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という最高の律法に違反する。それは、自分の意志を律法の上に置く尊大さである。隣人を裁くことは、神だけが許されている権利を自分が奪い、侵害する、自分を神の位置に置く高ぶりである。
律法を定め、裁きを行なうのは、ただキリストお一人であり、キリストは、救うことも滅ぼすこともおできになる。先走った裁きをするなら、自分自身が罪に定められる。しかし、神の豊かな慈愛と忍耐と寛容は、人を悔い改めに導く。
憐みは、裁きに向かって勝ち誇る。いと高き方の子どもとして、自分の敵を愛し、恩知らずの悪人にも憐み深く、裁かず、人を罪に定めず、赦し、与える、祝福された人生を歩もう。
「明日のことはわからない」という人生の真理と、神の御心を無視して、将来を自己実現や利潤追求のために計画するのは、人間中心の高ぶりである。未来は神の御手の中にあり、不確実であるのに、自分のいのちに対して高ぶってはならない。
明日のための誇りも、心配も無用である。死とキリストの再臨に直面しないのは、高慢である。神と富に兼ね仕えることはできない。
いのちは財産にはないので、どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなければならない。むしろ、神に望みを置いて、自分のために貯えず、天に宝を貯える生き方をしよう。
キリストが再臨される裁きの日には、キリストと教会に愛を行なわなかった罪を問われる。神に依存し、教会を建て上げるという、神の御心にかなった計画を立て、なすべき正しいことを忠実に行なおう。 |
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