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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2007年5月 |
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| 5月6日 |
【義の実に満たされている者】 ピリピ1:1-11 |
「ピリピ人への手紙」は、パウロが獄中から、ピリピ教会へ宛てた手紙である。獄中にいたパウロに、ピリピ教会は、エパフロデトに贈り物を託して届けた。ピリピ教会は、ヨーロッパの異教都市における最初の教会であったが、パウロの宣教の働きを助け、パウロと親しい関係にあった。そして、苦しみと迫害の中にあっても、満ち溢れる喜びがあり、極度の貧しさの中にあっても、惜しみなく施す富がある教会であった。そのようなピリピ教会へのパウロの手紙には、溢れる感謝と主にある喜び(喜び・喜ぶ:16回)が強調され、また、教えと警告が書かれている。
神の御心を行ない、キリスト・イエスに仕えるパウロは、キリスト・イエスに結ばれているピリピ教会を思うごとに、神に感謝し、いつも喜びをもって祈った。ピリピ教会は、最初から、福音を広める良い働きに与ってきた。そして、パウロに対して、霊的・物質的な(有形・無形の)援助をもって協力し、ともに恵みに与ってきた。
パウロは、キリスト・イエスの愛の心をもって、ピリピ教会の人々を慕い、彼らのために祈った。教会の愛が、真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、真に優れたものを見分けることができるように。また、教会が、キリストの再臨の日には、純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者(善い業を行なえる者)となり、神の御栄と誉れが現わされるように。
真実な神は、私たちの救いを完成に至らせてくださる。全てのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからである。この神に、栄光がとこしえにあるように。アーメン。 |
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| 5月13日 |
【生きることはキリスト】 ピリピ1:12-26 |
パウロがキリストのゆえに投獄されたことは、かえって福音を前進させることになった。そのことは、親衛隊全員(ローマ皇帝の親衛隊は、約9千人)と、その他の全ての人にも明らかになった。また、兄弟たち(当地のクリスチャン)の大多数は、パウロが投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神の言葉を語るようになった。
キリストを宣べ伝える者たちは、愛と善と真実をもって、純真な動機からしていたが、中には、ねたみと争いと党派心(野心・利己心・分派精神)をもって、見せかけでする者たちもいた。しかし、パウロは、キリストが正しく宣べ伝えられているなら、あらゆる仕方であっても、喜んだ。というのは、ピリピ教会の祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが、パウロの永遠の救いとなることだったからである。
パウロの切なる願いと望みは、どのような場合にも恥じることなく、あらゆる大胆さで、生きるにしても、死ぬにしても、行動全般において、彼の身によって、キリストの素晴らしさが現わされることだった。生きることはキリスト(キリストが私のうちに生きておられる)、死ぬこともまた益(世を去ってキリストとともにいること)であるというのが、キリスト者に与えられた生き方である。
肉体のいのちが続くのは、教会の必要(信仰の進歩と喜び)のために、豊かな実を結ぶ働きをするためである。そして、キリスト・イエスに結ばれているという誇りは、教会の交わりによって、増し加えられるのである。 |
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| 5月20日 |
【キリストの福音にふさわしい生活】 ピリピ1:27-2:4 |
ただ、キリストの福音にふさわしく、天国に国籍をもつ者として生活するように、命じられている。そこには、共同生活のニュアンスがある。
一つ御霊によってしっかりと立ち、心を一つにして福音信仰のために、ともに戦うのである。罪・利己的な自我・悪魔との戦いのために一致団結し、力を合わせて共同戦線を戦い、反対者たちに驚かされる(脅されてたじろぐ、恐れる、おびえる)ことはないという証しは、神から出た救いのしるしであり、反対者たちには、滅びのしるしである。
私たちは、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのために苦しむ特権をも与えられた。この苦しい戦いを経験し、キリストと苦難をともにする者は、キリストと栄光をともに受ける、キリストとの神の共同相続人となる。
キリストにあって励まし、愛の慰め、御霊の交わり、愛情(思いやり)とあわれみがあるのだから、神が喜ばれるように、私たちは一致を保ち(同じことを思い)、同じ愛の心をもち、心を合わせ、志を一つにして(一つのことを思い)、一つ目的のために一生懸命になろう。何事も自己中心(党派心・利己主義)や虚栄(名誉心)からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思おう。
一致とへりくだりこそ、神の御心の道だからである。 |
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| 5月27日 |
【キリストのへりくだりと栄光】 ピリピ2:5-11 |
キリストをへりくだりの模範とする心構えが必要である。キリストは神の御姿(本質・身分)である方なのに、神の栄光や特権に執着されないで、ご自分を放棄して、仕える者(しもべ・奴隷)の姿をとり、人間となられた。キリストはへりくだって、十字架の死にまでも、父なる神に従われた。ここに、完全な愛と従順とへりくだりと忍耐の姿がある。それは、神と教会への愛ゆえの犠牲であった。
神の豊かな慈愛と忍耐と寛容によって、人は悔い改めに導かれる。十字架の愛が、人を造り変えるのである。
主が、私たちの心を神の愛とキリストの忍耐に導いてくださるように祈ろう。そして、妥協と打算によってではなく、愛と忍耐によって、へりくだって、神と人に仕えよう。神を愛するという第一の戒めと、隣人を自分自身のように愛するという第二の戒めが回復し、神の栄光が現わされるように。
キリストは復活し、昇天された。神は、キリストを高く上げて、最高の栄誉をお与えになられた。それは、イエスの御名の下に、有形無形の全ての被造物が膝をかがめ、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神が誉めたたえられるためである。イエス・キリストは、「王の王、主の主、忠実また真実、神の言葉」である。
「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」黙示録5:13 |
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