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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2007年4月 |
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| 4月1日 |
【御霊の自由】 ローマ8:1-2 |
神が建てられた教会に、人々がしっかり根付いて、御霊の自由に溢れる町となるように、これからもともに歩んでいきましょう。そのためにもまず、私たちが聖霊様を歓迎し、聖霊様に導かれて、キリストの教会を建て上げていく役割を、しっかりやり遂げていきましょう。
創世記に、アブラハムと甥のロトが、偶像の地メソポタミアから出て、神の導かれる地に移っていく出来事があります。二人とも神を信じる、神の人でした。新約で言うなら、二人ともクリスチャンでした。しかし、両者には大きな違いがありました。
アブラハムは霊的に神と交わり、神の言葉を聞く信仰をもっていました。しかし、ロトはクリスチャンでありながら、肉の思い、人間的判断を優先させ、この世中心でした。約束の地で暮らす場所を選ぶ時も、自己中心で選び、伯父アブラハムへの謙遜の心も、不足していました。
また、不正を憂える心をもっていましたが、神に祈るよりも、自分の考えで行動し、失敗してしまうのでした。ロトには、霊的なクリスチャンになれるチャンスがありました。霊の人アブラハムの傍にいたのですから。しかし、謙遜でないゆえに、アブラハムから学ぼうとしなかったのです。
私が教会でクリスチャンになった時も、最初は霊の人たちとは一線を画していました。その時は、クリスチャン生活が堅苦しくて、楽しいという時は稀でした。しかし、聖霊のバプテスマを受けるよう促され、数年後にそれを受けた時、信仰生活が楽しく変わりました。御霊に導かれ、御霊とともに歩むことが、どんなに自由で楽しいかを知りました。
ブレーキをかけながら自転車のペダルを踏むのは、何と重いことでしょうか。心のブレーキを外して、御霊に導かれるクリスチャン生活を、これからも選び取っていきましょう。 |
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| 4月8日 |
【健全な教えにふさわしいこと】 テトス2:1-8 |
健全な教えにふさわしい(一致した、適している)ことを語るように、命じられている。
年をとった男には、自制(節制)し、謹厳で(落ち着いた、真面目な、尊敬に値する、行動の厳格さ)、慎み深く(精神が健全で、沈着冷静な、分別のある)、信仰と愛と忍耐において健全であるように。
同じように、年をとった女には、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒の虜(酒の奴隷、囚われの身)にならず、夫を愛し、子供を愛し、慎み深く、貞潔(神に属する、聖なる、清純)で、家事に励み(家事を立派に果たす、家で働く、家庭的)、優しく、自分の夫に従順であり、良いことを教え諭すように。
同じように、若い人々には、万事において、思慮深くふるまうように、勧める。
また、自分自身が良き業の模範(打ち型の押印)となり、純正な(偽りの教えに汚されず、腐敗していない)教えをし、威厳を保ち、非の打ちどころのない、健全な言葉を用いることである。
それは、神の言葉が謗られることがなく、敵対する者が、私たちについて、何も悪い(価値のない)ことが言えなくなって、恥じ入るためである。 |
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| 4月15日 |
【良い業に熱心な神の民】 テトス2:9-15 |
人の下で働く人は、全ての点で自分の上に立つ人に従い、喜ばれるようにし、反抗したり、盗みをせず、努めて真実を表わす(証拠を提供する、自分が十二分に信頼しても大丈夫であることを示す)ように勧める。それは、あらゆることで、私たちの救い主である神の教えを飾る(最高の美が輝き出るように、色々な宝石を散りばめる)ためである。キリスト者の具体的な日常生活のあり方は、健全な神の教えを基盤として規定されるのである。
全ての人を罪から救う(解放する)神の恵みが現われ、不敬虔と神から離れたこの世の欲を捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に(信仰深く)生活し、祝福された望みとして、大いなる神であり、救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを、待ち望むようにと教え諭した。
キリストが私たちのために、ご自身を十字架上にささげられたのは、私たちをあらゆる不法(神の戒めに背く行為)から贖い出し(罪の力に服させられている状態から解放し)、良い業(神の御心を行なうこと)に熱心なご自分の(特別な、選び出された、自分の所有に属する)民を、ご自分のためにきよめるためであった。
神の働き人には、これらのことを、十分な権威をもって教え、行なうように勧め、励まし、実行しない時には、責め、戒める務めが、委ねられている。この働き人に与えられた神の権威は、倒すためではなく、教会を築き上げるために、授けられたのである。 |
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| 4月22日 |
【豊かに注がれた聖霊】 テトス3:1-7 |
キリスト者が社会生活において、思い起こし、注意すべき点は、支配者や全て神によって立てられた権威者に服従(忠実に、諸規則を遵法する)し、従順で、いつでも良い働きをする備えができていることである。
平和の神の子供として、ただ、全てのことを適切に、秩序をもって行ない、誰にでも義務を果たすように、命じられている。神は、全ての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられる。全ての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげることは、救い主である神の御前に喜ばれる、良いことである。
また、私たちはキリストにあって、誰をもそしらず、争わず、柔和で、全ての人に優しい(静けさ、親切さ、忍耐強さ、完全な丁重さ)、愛と謙遜と正しい態度を示す者となることができる。
パウロたちも、救われる以前は、愚かな(無分別で、霊的理解力がない)、不従順で、迷った者であり、罪の奴隷(一切の自由が奪われ、ただ盲目的に服従しなければならない状態)になり、悪意と妬みの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者であったと語っている。
しかし、救い主なる神の慈しみ(親切、温和、好意)と、人への愛が現われた時、神は、私達の行なった義の業によってではなく、ご自分の憐みのゆえに、聖霊によって、新しく生まれさせ、全く新たに造り変える洗いをもって、私たちを救ってくださった。神は、この聖霊を、イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのである。
それは、私たちがキリストの恵みによって、義と認められ、永遠のいのちの望み(確実な保証である聖霊)によって、神の相続人となるためである。 |
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| 4月29日 |
【正しい仕事に励む】 テトス3:8-15 |
聖書の健全な教えは、信頼できる真実な言葉であるから、確信をもって、力強く主張するようにする。それは、キリスト者が、人々に有益な良い業に励もうと(前に置く、携わる、捗っている)、心がけるようになるためである。
それとは反対に、人々に無益でむなしい、愚かな議論、系図、口論、律法についての論争などを避ける(身を翻して別の方を向く)ように、命じられている。分派(肉の行ない)を起こす者は、悔い改めの機会を与えるために、一、二度戒めてから(警告)、従わなければ、関係をもたないようにする(除名)。このような人は、堕落しており(心がすっかり歪んでいて、邪道に陥り、知的・道徳的に腐敗している)、自分で悪いと知りながら、忠告を聞き入れず、分裂を助長させる欲望をもって、分派活動をするという、罪を犯しているのである。
しかし、私たちの仲間は、なくてはならないもののために(日々の必要のために、実際に必要な物を賄うために、緊急の必要な場合に助けるために、差し迫った必要に備えて、いかなる必要が生じた場合でも間に合うように)、正しい仕事に励む(善い行ないに身を入れる、慈善の働きに従事する)ように、教えられている。それは、実を結ばない者にならないためである。
クレテの教会には、パウロたちを愛する誠実な(忠実な)信仰の友である人々がいた。教会の聖徒たちが、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するために、五役者(使徒・預言者・伝道者・牧師・教師)は、正しい仕事に励むのである。 |
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