エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2007年3月
3月4日 【御言葉を述べ伝える使命】 Uテモテ4:1-8
神の御前で、キリストの再臨と御国を思って命じられているのは、御言葉を宣べ伝えることである。時が良くても悪くても、歓迎されてもされなくても、聞かれても聞かれなくても、しっかり励むようにと。神の寛容に基づいて、注意深い指導を伴って、罪を認識させ、正しい教えを示し、主イエスを信じ、悔い改めて回復するように、勧めるのである。

 人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分自身のために、都合の良いことを聞きたくて、好みに合った教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、間違った教えに逸れていく霊的酩酊時代が来る。 

 しかし、どのような場合にも慎み(油断なく見張り)、困難に耐え、伝道者として働き、御言葉を宣べ伝える使命を十分に果たす責任が、キリスト者にはある。

 パウロは、殉教によって血を注ぎ、世を去って、新しい栄光の御国に入ろうとしていた。キリストを愛するゆえに、彼は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を注意深く守り続けてきた。彼のためには、キリストの再臨の日に授けられる勝利者のための義の栄冠が、正しい審判者である主によって用意されていた。それは、パウロだけではなく、キリストの再臨を慕っている全ての人に、授けられるのである。
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3月11日 【天の御国に救い入れられる恵み】 Uテモテ4:9-22
  パウロはテモテに、何とかして早く、冬になる前に、マルコを伴って来るように頼んだ。アドリヤ海は冬の間、航海不能となり、パウロの殉教の日は近づいていた。当時、この手紙が届き、テモテがエペソからローマに来るのに、数ヶ月はかかった。

 デマスは今の世を愛し、パウロを捨ててテサロニケに行ってしまった。彼は主イエスに向けるべき愛を、この世に向けてしまったのである。マルコはパウロの務めにとって、役に立つ有用な人物になった。この時までに、パウロとの関係が回復したのである。銅細工人のアレキサンデルは、パウロたちの言葉に激しく逆らい、多くの悪を示し、パウロをひどく苦しめた。その仕業に応じて、主が彼に報いられる。

 パウロの最初の弁明の際には、彼を支持する者は誰もなく、皆彼を見捨ててしまった。しかし、主がパウロの味方となり、彼を助けるためにともに立ち、力を与えて、御言葉を全ての国の人々に、余すところなく宣べ伝えさせてくださった。当時のローマは、世界の中心を意味した。ローマ法廷の被告席が、世界宣教の機会となったのである。主は、極度の危険と全ての悪の業から、パウロを助け出し、天の御国に救い入れられた真実な方である。私たちの指導者たちの信仰の結末をよく見て、その信仰に倣おう。
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3月18日 【敬虔にふさわしい真理の知識】 テトス1:1-9
 「テトスへの手紙」は、パウロの2度目の投獄前に、パウロによって書かれた。健全な教えと実践がテーマである。神のしもべであるパウロが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を強め、敬虔にふさわしい真理の知識に精通させるためであった。それは、真実な神が、永遠の昔から約束してくださった、永遠のいのちの望みに基づくことである。

 パウロがテトスを「百の町がある島」と言われたクレテに残したのは、残っている仕事を十分に秩序だて(完全に整え)、パウロが指図したように、町ごとに教会の長老(監督)を任命するためであった。

 監督の資格は、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、子供は信者であり、不品行(放蕩)を責められたり、反抗的(不従順)であったりしないことが条件である。また、神の家の管理者として、わがまま、短気、酒飲み、けんか好きでなく、不正な利を求めず、旅人をよくもてなし、善を愛し(親切に専念し)、慎み深く(分別があり)、正しく、敬虔で、自制心があり、健全な教えをしっかりと守っていなければならない。それは、監督が健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためである。
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3月25日 【人々の信仰を健全にする務め】 テトス1:10-16
 監督は、健全な教えと実践をもって、人々を励ましたり、反対する者たちを正したりする務めをする。自分自身と教えることによく気をつけ、あくまでそれを続けるなら、自分自身をも、教えを聞く人をも救うことになる。

 クレテの偽教師(偽兄弟)は、「割礼からの人々」というユダヤ的な特徴があった。彼らは、反抗的(教会の公的規則に服従しない者)であり、空論(単なる無知、無価値なおしゃべり)に走り、人を惑わす(欺く)者たちであった。彼らの口を封じて、彼らが損傷を与えるのを未然に防がなければならなかった。彼らは不正な利を得るために、健全な教えに反した教えを教え、家々を破壊していた。

 また、偽教師の特徴は、世俗的なものであった。クレテ島の詩人が言った次の証言は、本当であった。「クレテ人は昔からの嘘つき、悪いけだもの(肉欲を追求する、野獣のように敵意をむき出しにする、意地悪)、怠け者の食いしん坊(抑えがたい食欲、働くことをいやがり、欲に満ちた生活をする)。」更に、偽教師の特徴は、真理から離れた(耳を背ける、断わる、強い拒絶)、人間的なものであった。

 だから、健全な教えに反する要素を厳しく戒め、人々の信仰を健全にし、間違った教えと実践に、心を寄せる(心を奪われる、賛意を表する)ことのないようにする務めが必要だったのである。

 きよい心の持ち主には、全てのものがきよいが、知性と良心までも汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはない。神を知っていると言っても、行ないでは否定している不従順な人々は、主に忌み嫌われ、どんな良いわざにも不適格な失格者である。
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