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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2007年2月 |
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| 2月4日 |
【真理をまっすぐに語る働き人A】 Uテモテ2:20-26 |
キリストの教会という大きな家には、金や銀だけでなく、木や土の器もある。ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用いられる。罪を徹底的に取り除き、自分自身をきよめ、汚れたことを離れるなら、主に用いられる器となることができる。すなわち、聖められた、主人にとって役に立つ者、主の御心にかなった働きをいつでもする準備が整えられた者である。それで、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求める生活をするのである。
愚かで、無知(無学)な思弁を避け、いっさい関わりをもってはいけない。主のしもべである働き人が争ってはならず、むしろ、全ての人に優しくし、忍耐強く、柔和な心で、反対者たちに真理を教えるように、命じられている。そうすれば、神が、彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださり、彼らが目覚めて悪魔の支配と罠から自由になることがあるからである。
キリストの贖いの血による新しい契約は、信じる人々に罪の赦しと心を刷新を得させ、神との交わりを回復する。 |
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| 2月11日 |
【終わりの日の困難な時代@】 Uテモテ3:1-9 |
終わりの日には、背教と堕落の困難な、つらい時代がやってくる。黙示録で語られているように、不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行なう。それとは反対に、正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされる。ここには、人々の悪徳の一覧表が書かれているが、これらは、キリスト者の徳の正反対なのである。
あらゆる悪の根源は、愛の対象が神に向けられていないことであり、自己愛や(物質を代表する)金銭愛などの的外れの愛である。神より快楽を愛する結果が、悪徳となって表われるのである。
その時に人々は、大言壮語する者(ほら吹き/自慢好き/威張った/虚勢)、不遜な者(高慢/横柄さ/他人を軽蔑し、自己を高しとする)、神をけがす者(口汚ない/悪口/友や隣人をののしる)、両親に従わない者(親を親と思わない)、感謝することを知らない者(恩知らず)、汚れた者(俗悪な/聖くない)、情け知らずの者(自然の人情を欠いている)、和解しない者(和解しにくい/人を赦そうとしない/休戦協定を結ばない/敵意があまりに激しく、休戦が不可能な様)、そしる者(中傷する、悪魔の複数形)、節制のない者(自制のない/外部の影響に支配される心/感情・欲情・本能を支配できない)、粗暴な者(躾けられていない)、善を好まない者(神の御心を第一とせず、自分勝手に生きる)になる。
これらの悪徳を避け、神を第一に愛することを根源とし、正反対の徳を、聖霊によって身に着けよう。キリストに結ばれ、良い実を豊かに実び、父なる神の栄光を表わす人生を歩もう。 |
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| 2月18日 |
【終わりの日の困難な時代A】 Uテモテ3:1-9 |
終わりの困難な時代には、友を裏切る者、向こう見ずな者(無謀な、軽はずみ、頭から真逆さまに落ちる)、慢心する者(うねぼれの強い)、見えるところは敬虔(外面的・形式的宗教)であっても、その実(力)を否定する者になる。それは、キリストの贖いの血の効力と聖霊の力を積極的に否定する姿である。
彼らは、信仰を完全に捨ててしまったのではなく、外見は信仰深く見えながら、実際には信仰の内容を否定している者である。こういう人々を避け(背を向け)、一切関わりをもたないようにせよと命じられている。
彼らの中には、家々に陰険な方法で忍び込み、愚かな女たちをとりこにしている者がいる。その女たちは、様々な情欲に引き回されて、罪を山のように高く積み重ね(もはや打ち砕くことが難しい状態)、いつも学んではいるが、決して真理の認識に達することができない。こういう人々は、真理に逆らう、知性(心全体)の腐った、信仰の失格者である。彼らの愚かさは、全ての人にはっきり分かるようになり、もはや前進できなくなる。
しかし、私たちは、罪を悔い改め(心を全く新しく変えること)、キリストの贖いの血の効力を受け、力と愛と慎みの聖霊に満たされよう。そして、健全な真理の教えに従い、キリスト中心の信仰と神との親しい交わりをもって、熟練した者となり、敬虔に生きよう。 |
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| 2月25日 |
【聖書の目的】 Uテモテ3:10-17 |
テモテは、終わりの困難な時代にあって、パウロの健全な教えと生き様、目的、信仰、寛容、愛、忍耐、また、迫害や苦難をよく知っており、その上で従っていた。キリストとの愛の結びつきがあり、敬虔に生きようと願う者は皆、迫害を受ける。しかし、悪をはかる有害な人や詐欺師たちは、惑わし惑わされながら、ますます悪に落ちていく。純粋な信仰をもつ神の人から、聖書の健全な教えを学んで確信したことにとどまり、離れてはならない。
聖書の第一の目的は、私たちに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることである。聖書の一つ一つの部分は全て、神の霊感によるもので、聖霊によって働く。私たち新しい契約に仕える者は、文字ではなく御霊に仕える。文字は殺し、御霊は生かすからである。
聖書の第二の目的は、神の奉仕者が、神の御心にかなった全ての働きを行なうために、十分に整えられることである。そのために、聖書は真理を教え、罪を示して正しくし、まっすぐに生活できるように訓練する。神の御心は良いことで、神に受け入れられ、完全である。キリストがお立てになった五役者(使徒・預言者・伝道者・牧師・教師)によって、聖徒は奉仕者として整えられ、神の御心である教会を建て上げる働きをする。そのようにして、聖く傷のないものとなった栄光の教会が完成する時、花婿なるキリストは再び来られる。その時、教会はキリストの花嫁として御前に立つのである。 |
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