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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2006年10月 |
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| 10月1日 |
【羊の大牧者イエス・キリストの復活によって】 ヘブル13:17-25 |
教会の成長のために、いつも心配りをし、神に責任を果たしている指導者たちの言うことを聞き、服従するように、命じられている。教会の指導者たちは、聖徒を整え奉仕の働きをさせ、教会を建て上げる務めをしている。彼らが嘆かずに、喜んでその働きができるように、協力するのでなければ、益にならない。
御言葉の教えに骨折り、よく指導の任に当たっている指導者は、二重の尊敬を受けるにふさわしく、「働き手が報酬を受けることは当然である」と聖書に記されている。謙遜に、へりくだって指導者に従うことは、神の力強い御手の下にへりくだることである。そのように従う人は、必ず成長して祝福される。また、指導者たちが正しい良心をもって、何事についても正しく行動できるように、とりなす必要がある。神の働きを速やかになすことができるように、祈り支えるのである。
永遠の契約の血による羊の大牧者、主イエスを復活させた平和の神は、イエス・キリストによって、御心にかなうことを私たちの内にしてくださる。そして、私たちが御心を行なうことができるために、あらゆる良いものを備えて、完全な者にしてくださる。神は御心のままに、私たちの内に働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのである。
私たちは神の作品であり、神があらかじめ備えてくださった良い行ないをするために、キリストにあって新しく造られた。壊れたものが修理され、失われたものが回復され、キリストにある救いと永遠のいのち(愛、喜び、平安、正しさ、赦し、一致、調和、健康、安息、豊かさ、祝福、繁栄…)が与えられたのである。キリストに栄光が世々限りなくあるように。アーメン。 |
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| 10月8日 |
【祝福に満ちた神の栄光の福音】 Tテモテ1:1-11 |
「テモテへの手紙第一」は、使徒パウロがエペソの監督テモテ(神の栄誉)に書いた牧会書簡(パウロが書いた13の手紙中3通)である。「使徒の働き」以降に書かれたといわれる。
パウロの使徒の権威は、神とキリストの命令によった。パウロの愛する、忠実なテモテは、パウロにとって、信仰による真実のわが子であった。テモテのりっぱな働きぶり(適格性)は、諸教会に証しされており、子が父に仕えるように、彼はパウロと一緒に福音に奉仕してきた。彼は、パウロが諸教会で教えていたとおりに、キリストにあるパウロの生き方を思い起こさせた。
この手紙には、「違った教え」を禁止する命令(軍隊用語)が書かれている。それは、無益な議論を引き起こすだけで、信仰による神の救いの実現をもたらさない、思弁的、律法的なものであった。律法は、罪の意識を生じさせ、キリストに導き、信仰による救い(義認)をもたらすために、正しく用いるならば、良いものである。
信仰による神の救いの実現をもたらすのは、「健全な教え」であり、祝福に満ちた神の栄光の福音である。それは、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰から出てくる、愛を目標としている。
栄光の福音は、キリストの御顔の輝きであり、キリスト中心、キリストとの結びつき、御国の福音、神との交わり、ダビデの幕屋の回復、天国の実在である。その福音を神に委ねられた者として、全世界に出て行き、全ての造られた者に福音を宣べ伝え、あらゆる国の人々をキリストの弟子とし、栄光の教会を建て上げ、主の日に至るまで忠実に働こう。 |
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| 10月15日 |
【満ちあふれる神の恵みによる義の生活】 Tテモテ1:12-20 |
キリストは、パウロを福音の務めに任命し、信頼できる忠実な者として承認された。パウロは以前は、神の教会を迫害する者であったが、故意の罪ではなかったので、あわれみを受けて赦された。神は、滅ぼされるべき怒りの器に、豊かな寛容と忍耐を示し、あわれみの器として、豊かな栄光を与えてくださる。この神の恵みは、キリストにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれて支配し、私たちを義の生活と永遠のいのちへと導く。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」 神の恵みの大きさを知ったパウロは、自分の罪深さを知り、真にへりくだって、自分のことを「罪人のかしら」だと言った。彼があわれみを受けて救われたのは、今後キリストを信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本となり、励ましとなるためであった。
彼に対する神の恵みは、むだにはならず、神の恵みによって、彼は全ての使徒たちよりも多く働いた。真に自分の罪を悔い改める者は、多くキリストを愛するようになり、多くの罪を赦される。神に栄光が世々(この世と来たるべき世)限りなくあるように。アーメン。
パウロはテモテに命令を委ね、神に召された預言に力づけられ、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くように奨めた。偽りの教えに惑わされると、良心が麻痺し、信仰の破船に会う。神を恐れることを学ばせるために、教会からサタンの領域に引き渡される人々がいる。それは、彼らが悔い改めて、健全な教えに立ち返り、矯正され、回復するためである。 |
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| 10月22日 |
【全ての人の救いのために祈る】 Tテモテ2:1-7 |
まず初めに重要なことは、全ての人の救いのために祈ることである。権力者のためにも、敬意を示し、願い、祈り、とりなし、感謝をささげよと、命じられている。それは、敬虔に、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためである。そうすることは、救い主である神の御前に良いことであり、神の御心にかなうことなのである。とりなしとは、本来、神の創造の御業において、その者に与えられ、備えられていたが、現在失われている地位と立場が贖われ、回復されるように祈ることである。聖書には、エデンの園の回復が約束されている。
神は全ての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられる。神は唯一である。神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人となられたキリスト・イエスである。キリストは、全ての人の贖いの代価として、ご自身のいのちをお与えになった。キリストの十字架の血によって、神と人との交わりは回復された。キリストは、全ての人の救い主である。これが、キリストの十字架の時から、再臨の時に至るまで、なされるべき証しである。パウロは、この証しのために、宣伝者、使徒、信仰と真理を異邦人に教える教師とされた。私たちも、この証しのために、キリストと結ばれて、キリストの働きを継承する者とされよう。 |
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| 10月29日 |
【きよい手を上げて祈り、行なう】 Tテモテ2:8-15 |
男性は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るように、命じられている。「きよい手を上げて」とは、罪を悔い改めて、御子イエスの血で洗われた、新生した純真な心と、聖い神との交わりによる、聖い生活をもって、という意味である。救われるために、心を洗って悪を除き、祈り(神との交わり)が妨げられないことが、肝要である。
日の出る所から、その沈む所まで、主の御名は崇められ、きよいささげ物と祈りがささげられる。聖書には、天におられる神に向かって、心と目と両手を上げて、祈り、賛美する姿が書かれている。
神を敬う女性は、良い行ないと、柔和で穏やかな霊をもつ、心の中の隠れた人柄を飾りとするように、また、ただ静かにして、よく従う心をもって教えを受けるように、命じられている。男性の権威と主導権を尊び、神の創造の秩序を保つように教えられている。偽教師たちによって、惑わされやすい女性たちの存在が、当時の教会の背景にあったと考えられる。女は惑わされてしまい、あやまちを犯したという、エバの不従順の罪とは、次にあげることである。
1.アダムから御言葉の戒めをうかうか聞いて、うろ覚えにしていた
2.蛇(サタン)の声に耳を傾けた
3.神の権威(夫)を無視した
4.自分の判断を優先させた
しかし、女性が慎みをもって、信仰と愛と聖さを保つなら、夫の助け手として、また、子供を産んで育てるという、家庭生活の中に、生きがいを見出すことができる。そして、救いは完成する。 |
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