エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2006年7月
7月2日 【天の故郷を喜び迎える信仰】  ヘブル11:8-16
 信仰によって、信仰の父アブラハム(多くの国民の父)は、神の召しを受けた時、神に従って出て行った。信仰とは、自分の考えではなく、神の御言葉と権威に従うことである。神の道と御思いは、人の道と思いとは異なり、天が地よりも高いように、はるかに高く、神の言葉は必ず成就する。

 信仰によって、アブラハム、イサク、ヤコブは、約束された地に、他国人のようにして住み、天幕生活をした。彼らは堅い基礎であるキリストの全き贖いの上に、神が設計し建設された、天にある永遠の都を待ち望んでいたのである。それは、教会の完成、栄光の教会と一つにされる、小羊の妻である花嫁、聖なる都、新しいエルサレム、天から与えられる住まい、神の幕屋である。

 信仰の人々は、信仰によって生き、信仰によって死んだ。彼らは、はるかに天の故郷を見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していた。それゆえ神は、彼らの神と呼ばれることを恥とされず、彼らのために都を用意しておられた。天に国籍のある者は、神の御心である十字架の道に生きる。生きることはキリストであり、豊かな実を結ぶことになり、死ぬことも益であり、世を去ってキリストとともにいることになる。主人に委ねられた地上のいのちを、主人に喜んで頂ける忠実な思慮深いしもべとして、永遠のいのちに備えて生きることが必要である。 

 信仰によって、アブラハムの妻サラも、約束してくださった神を真実な方と考え、90才で子を宿す力を与えられた。救いのかぶとをかぶり、神の約束を堅く信じ、神の御業を体験しよう。
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7月9日 【偉大な神への信仰による決断】  ヘブル11:17-31
 信仰によって、アブラハムは試みられた時、神の約束に矛盾はないと決断し、イサクをささげた。彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考え、イサクを死者の中から取り戻した。このことは、キリストの十字架の型となった。神は、御心のままに働かれ、志を立てさせ、事を行なわせてくださるのである。信仰こそ、世に打ち勝った勝利である。

 イサクとヤコブとヨセフは、不妊の女から生まれ、信仰と祝福を継承した。モーセも出生に関する苦難があり、ヘブル人の男の子が生まれたら殺さなければならないという王の命令にあった。しかし、信仰によって、モーセの両親は、その子が神の目にかなった、かわいらしい子であるのを見て決断し、モーセを隠した。主を恐れることは知識の初めであり、主に信頼する者は守られる。

 信仰によって、モーセは成人した時、キリスト=神の民=今日の教会とともに苦しむことを決断し、それを大きな富と思い、神の実在と報いから目を離さようにして、忍び通した。

 信仰によって決断し、キリストを受け入れ、罪を告白し、洗礼を受け、神が立てられた指導者に語られた神の戦略に従って戦う。

 信仰によって、遊女ラハブは、神の使者たちを命がけでかくまったため、彼女と家族だけはエリコの町で救われた。そればかりではなく、異邦人ラハブは、イスラエルのユダ族のサルモンと結婚し、ボアズの母となり、ダビデとイエスの系図に入れられた。神の働き人をふさわしく受け入れ、もてなす者は、神に対してしていることになり、その働き人の報いに決して漏れることはない。
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7月16日 【あらゆる境遇に対処する信仰】  ヘブル11:32-40
 昔の信仰の人々に、キリストの教会の多様性と、あらゆる境遇に対処する信仰を見ることができる。
 ギデオンは少人数で、バラクは女預言者と協力して、サムソンは一人で、戦い勝利した。エフタは一度神に対して誓った誓約を、誠実に最後までやり遂げた。ダビデは賛美礼拝を国家の中心に据えた。サムエルはとりなしの祈りと預言をした。

 「彼らは、信仰によって、国々を征服し、」:エデンの園(神との交わり)の回復、サタンの支配から神に立ち返らせ、罪の赦し、聖なる教会、御国の相続を得させること/「正しいことを行ない、」:罪と死の法則から救われ、いのちの御霊の法則によって、神の権威に従うこと/「約束のものを得、」:イエス・キリストを信じ、約束の御霊を受けること/「ししの口をふさぎ、」:神に従い、堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かうこと/「火の勢いを消し、」:キリストの苦しみと栄光にあずかること/「剣の刃をのがれ、」:凱旋の賛美と教会の祈りによって、敵の束縛が打ち破られること/「弱い者なのに強くされ、」:神の恵みは十分であり、神の力は弱さのうちに完全に現わされること/「戦いの勇士となり」:キリストの愛によって、圧倒的な勝利者となること/「他国の陣営を陥れました。」:キリストの権威の下に、あらゆる国の人々が弟子化されること/「女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。」:イエス・キリストの御名による救いといやし/「またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。」:義のために迫害される者の、天における報いは大きいこと/この世は、信仰の人々にふさわしい所ではなく、神を知らない人々は、キリストとその弟子を憎む。

 キリスト者も、昔の信仰の人々も、同じキリストの十字架の贖いによって、救われる。私たちの主イエス・キリストゆえに、ただ神に感謝しよう。
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7月23日 【イエスから目を離さない信仰】 ヘブル12:1-11
 多くの証人(殉教者)たちが、私たちを取り巻き、応援している。だから、全ての障害と不従順の罪を捨てて、信仰生活という競争を忍耐をもって走り続けよう。へりくだって、キリストの従順のいのちに生きる道は、天国の鍵を開き、栄光に至る。

 イエスは、天の幕屋(神との交わり)への道が開かれ、花嫁との婚姻の時が来ることを喜ばれて、辱めを受け十字架を忍び、神の御座の右(最高の栄誉と権威の座)に着かれた。罪人たちの反抗を忍ばれたイエスのことを考え、罪を悔い改め、主を仰ぎ見て、主に仕えよう。

 聖書は、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益である。神の愛と懲らしめに対しては、畏敬と服従をもって応じよう。イエスは多くの苦しみによって従順を学び、彼に従う全ての人々に、とこしえの救いを与える。神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならないが、神を愛する人々には、必ず万事が益になる。

 主の懲らしめによって訓練された人々は、平安な義の実を結ぶ。キリストの栄光の姿に変えられ、神の御心を行なう生活ができるようになるのである。神の国は、義と平和と聖霊による喜びである。霊的成長に役立つことを追い求め、教会を建て上げよう。
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7月30日 【霊の父に服従して生きる@】 ヘブル12:12−17
 弱った手と衰えたひざを「まっすぐ」にして、「まっすぐな道」を作らなければならない。
 主の御言葉は正しくまっすぐであり、そのうちに曲がったことやよこしまはない。悪魔は、神に反逆する曲がりくねる蛇、真理がない偽りの父、初めから人殺しである。

 魔術師エルマは、パウロたちの宣教を妨害し、「あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、全ての正義の敵」と呼ばれ、主のまっすぐな道を曲げた。また、自分は偉大な者だと語っていた魔術師シモンは、イエスを信じつつも、心が神の前に正しくなかった。彼は悪事を悔い改めず、悪に染まった古い性質と邪悪な思いの中に生きていたのである。

 「まっすぐな道を作る」とは、信仰生活の障害となる罪を悔い改め、御子イエスの尊い血で罪を取り除かれ、邪悪な良心ををきよめて頂くことである。まっすぐな信仰の道の邪魔となる、全ての悪魔的なものを取り除こう。

 パウロは天からの光に照らされ、神の権威に出会い、地に倒れた。彼は、「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。」と、心から神に服従した人の態度をもって応えた。そして、彼は「まっすぐな道」に導かれ、神に遣わされたアナニヤから、彼がしなければならないことを告げられた。アナニヤの按手によって、彼は目からうろこのような物が落ち、目が見えるようになり、バプテスマを受け、聖霊に満たされ、食事をして元気づいた。まっすぐな道は、御霊に導かれて歩む道であり、いやしがある。

 従順な信仰の道は、曲がった邪悪な世代の中にあって、純真な傷のない神の子供となり、いのちの言葉をしっかり握って、世の光として輝く、キリストの再臨に備える道である。主は、主に聞き従う者の魂を生き返らせ、御名のために、義の道に導いてくださる。それは、慰めと勝利の道、慈しみと恵みとが追ってくる人生、主の家に住まい、キリストと一つにされる安息である。神に完全に服従する教会は、神の国の到来をもたらす。
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