エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2006年5月
5月7日 【キリストの血による新しい契約】  ヘブル8:7-1
 神は、初めのモーセ契約に欠けがあるとして、新しい契約を結ばれた。初めの契約は、神の御声に聞き従うなら、神の民となり、祝福されるが、契約を守り通さないなら、呪われるというものであった。

 新しい契約では、イスラエルの家とユダの家が一つとされ、キリストによる和解と一致に導かれる。祈りと賛美によって、神の勝利と支配を体験するのである。

 新しい契約の特徴は、
 1.思いが刷新される。聖霊のバプテスマによって、新しい神の霊、新しい一つの心が与えられ、心に律法が書きつけられる。古い人を捨て、天からの新しいキリストのいのちに生きるのである。キリスト中心の心をもって、御霊によって生きるなら、律法の要求は全うされる。

 2.全ての者が、主を知る。きよめられ、誠実(ヘブル語 hesed:忠誠心、真実、恵み、憐み、思いやり、契約の条項に対する忠実さ)な者となる。 

 3.キリストの十字架の血によって、義とされ、罪を赦される。契約の賞罰規定に従って、罪の代価は支払われた。私たちの古い人も、キリストとともに死に、葬られた。悔い改めて、罪を告白する者は、御子イエスの血によって、罪を赦され、全ての罪と悪からきよめられる。

 神は新しい契約と言われた時、初めの契約を古い(法律の失効を表わす言葉)とされた。それは、救われた者たちが、無効なもの(古い契約、古い人)を捨て、真に有効なもの(新しい契約、新しい人)を固守するようにという促しである。
 
 新しい契約は、永遠の愛の契約であり、無限の御霊の注ぎによって、教会と世界宣教は完成される。
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5月14日 【キリストによる新しい秩序の確立】  ヘブル9:1-14
 初めの契約において、幕屋には聖所と至聖所があった。聖所には、祭司たちがいつも入って礼拝を行なうが、至聖所(神の臨在の場所、神の御前)には、大祭司が年に一度だけ、自分と民の罪のために、動物の血を携えて入った。

 聖霊は、前の幕屋が存続している限り、まことの聖所への道は、まだ明らかにされていないということを示しておられる。それらは、キリストによる新しい秩序が確立する時までの比喩であり、礼拝する者の良心を完全にすることはできなかった。
 
 天の偉大で完全な幕屋において、キリストは罪のないご自分の血によって、永遠の贖いを成し遂げられた。キリストによって神に近づく人々は、完全に救われることができる。いのちは血の中にあり、いのちの贖いをするのは血である。

 新しいいのちをもたらす、キリストの贖いの血の効力は、

1.〔良心をきよめる〕 良心は、「神の霊に対して、自分の霊を開けるドアのよう」であり、心に書かれている律法を行なおうとする。良心が純粋にされ、良心の働きがいっそう鋭く、敏感で正確になる。きよめは、聖別と洗いと所属であり、教会をキリストの花嫁として栄化する。良心がきよめられると、キリストと教会を愛し、神の栄光を求めるのである。

 2.〔死んだ行ないから離れさせる〕 死んだ行ないとは、形式的な礼拝、儀式や慣習に縛られた生活、不道徳や退廃、虚無、迷信、敵意、争い、ねたみ、分裂など、御霊に逆らう、肉の行ないである。このようなことをしている者たちが、神の国を相続することはない。

 3.〔生ける神に仕える者とする〕 仕えるとは、神を礼拝し、祭司的奉仕を行なうことである。祈りと賛美をもって、神の御前に礼拝をささげ、キリストに従い、新しい契約(御霊・福音)に仕える者となろう。
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5月21日 【永遠への想い】  ヘブル9:15-28
 新しい契約は、罪の違反を贖うキリストの十字架の死によって、実現し有効になった。一方的恩寵によって、救われた者たちが、約束された永遠の御国を受け継ぐためである。
 新しい契約は、天上の永遠に続く、愛の契約である。
 新しい契約は、教会賛美で現わされ、神の栄光と御業が解き放たれる。

 “神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。”伝道者3:11 いつまでも残るものは、信仰と希望と愛である。
 イエスが来られたのは、羊がいのちを得、それを豊かにもつ(豊かになる)ためである。悪魔が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためである。キリストは、敵が食い尽くした年々を、償ってくださる。
 ダビデは、敵に略奪された時、彼の神、主によって奮い立ち、主に伺って、何一つ失わず、敵から全てを取り返し、分捕り物も取った。神に従い、悪魔に立ち向かうなら、悪魔は逃げ去る。キリストの十字架において、敵は武装を解除され、捕虜として凱旋の行列に加えられた。
 私たちをキリストにある神の愛から引き離すものは何もなく、キリストによって、私たちは圧倒的な勝利者となるのである。神への愛の炎は、消されない。

 キリストの注ぎ出された血によって、告白された罪は、赦され取り除かれる。そして、全ての罪と悪から、心がきよめられる。
 キリストは、ただ一度、神にご自身をいけにえとしてささげらた。今は、私たちのために、神の御前におられる。私たちも、今、イエスの血によって、大胆にまことの聖所(神の幕屋)に入ることができる。
 待ち望むキリストの再臨の時には、救い(教会と宣教)が完成される。永遠に続く、神への信仰と希望と愛を、心に抱き続けよう。
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5月28日 【聖なる永遠に完全にされた人々@】  ヘブル10:1-18
 律法は、後に来る素晴らしい実物であるキリストの影であった。律法のいけにえは、決して神に近づく人々の罪を除き去り、完全にすることができず、かえって罪が思い出された。律法は、人々の罪を示して、キリストに対する信仰による救いに導くものである。

 神は、律法のいけにえやささげ物を喜ばれず、満足されないで、キリストのからだを造られた。キリストの心の内には、神の御教えがあり、キリストは、神の御心を行なうために、世界に来られた。キリストは、神の御声に聞き従うことを喜びとし、自発的に十字架の死にまでも、神に服従された。

 このただ一度のキリストのいけにえによって、人々の救いは完全に成し遂げられた。キリストの一つのささげ物によって、罪を悔い改め、キリストを信じ従う人々は、罪を赦され、聖なる永遠に完全なものとされた。

 教会は、かしらであるキリストのからだであり、神の臨在で満ちている。神の御心を行なうキリストの働きは、今も教会に継承されている。神の御声に聞き従うことを喜びとし、御霊によって生きよう。 
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