エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2006年4月
4月2日 【天の至聖所に入る望み】  ヘブル6:13-20
 アブラハムがひとり子イサクを神にささげた時、神はご自分をさして誓われ、「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いに増やす。」と言われた。人の場合でも、誓約には真実性と責任性がある。神は約束の相続者たちに、誓いをもってご計画を保証されたのである。

 神が約束された、アブラハムの子孫であるキリストの十字架の贖いによって、呪いは祝福に変えられ、今は、信仰によって約束の御霊を受ける恵み時である。聖霊は、私たちが御国を受け継ぐことの保証である。

 私たちの前に置かれている栄光の望みであるキリストを慕い求めて、世を逃れて来た私たちに、神は約束と誓いをもって、力強い励ましをお与えになる。この望みは、魂の安全で確かな錨の役を果たし、天の至聖所(神の御前、神の御住まい)に入る、まことの聖所への道である。

 キリストは王の王であり、大祭司である。私たちは、偉大な神への偉大な信仰をもって、神の国とその義を第一にし、新しいぶどう酒を入れる新しい皮袋として、キリストのいのちに満ち満ちた教会となろう。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、十字架を忍び、神の御座の右に着座された。

 花婿イエスと花嫁教会との婚姻の時が、近づいて来ている。祈りの家で、心と身を整え、キリストを愛する喜びに満たされよう。キリストが再び来られる時には、私たちはキリストの御姿を見て、キリストの似姿へと変えられる。この望みを抱いて、小羊イエスの血と御言葉と聖霊によってきよめられ、神の御旨に生きよう。 
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4月9日 【今、いのちの木の実を食べよう。】  ゼカリヤ7:8-14
 最近食材に対する関心が流行し、テレビでも多くのチャンネルで放映されています。ところで、聖書に記されている『いのちの木の実』を食べる効用は何でしょうか。それは、死を迎えることがないということです。人は一度はなくなります。しかし、いのちの木の実を食べる者は、よみがえり、天の御国で永遠に生きることができる日が来るのです。イエス様は私たちの罪の身代わりとして十字架にかかって罰を受けてくださいました。しかし預言されていた通り3日目によみがえられました。このよみがえりこそ、イエス様を信じる者は終末にはよみがえるという保証です。

 神様は罪を犯したアダムとエバをいのちの木があるエデンの園から追放されました。以来人類には罪と死が入り込みました。けれども感謝すべきかな、神様はこの世にもいのちの木を備えてくださいました。旧約の時代には神からの知恵です(箴言3:18)。いのちの木の実を食べるためにはどうしたらいいか。ゼカリヤ7:9-10に4つに集約して記されています。人はそれをしっかりと自分のものにしようとしませんでした。たとえば、心の中で悪をたくらむな、それを禁止するという知恵も守りませんでした。そのために多くの苦しみが続きました。それでも神は人を見捨てず、いのちの木として、イエス様を送ってくださいました(ヨハネ15:1-5)。

 多くの人がいのちの木の実なんて食べたくないと離れています。しかし今からはいのちの木の実を食べたいと思うようになってください。いのちの木の実を食べる人はもはや死がなく、今この世に住んでいる時から恵みと祝福を受けていくことができるからです(詩篇23篇、ヨハネの黙示録22:14)。
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4月16日 【永遠のいのちの力によって】  ヘブル7:1-19
 キリストの型であるメルキゼデク(義の王、私の王は正しい)は、優れて高い神の祭司であり、サレム(平和)の王であった。メルキゼデクは、族長アブラハムから十分の一を受け、アブラハムを祝福した、偉大な人物であった。

 彼には、レビ系の祭司職のように系図がなく、神の子に似て、いつまでも祭司であり、永遠に生きていると証しされている。家系(生まれ育ち)や民族などによらないで、神との交わりによって、個人の人格に備わった資質や権威に基づき、祭司として立てられたのである。

 それは、今日、キリストの血によって贖われ、王である祭司とされたキリスト者たちにも言えることである。信仰によって義と認められた私たちは、キリストによって神との平和をもっている。神の国は、義と平和と聖霊による喜びである。

 レビ系祭司職と律法によっては、義(罪の赦し)と平和(神との交わり)に到達できなかったので、神は他に、メルキゼデクに等しい祭司キリストを、とこしえに立てられたのである。

 祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければならない。キリストは律法によらないで、永遠のいのちの力によって、祭司となられた。律法による古い祭司制は、廃止(ギリシャ語アセテーシス:取り除く、ないがしろにする)された。古いものに固執することは、疑いや不信仰、不従順をもたらし、無益で危険である。

 他方で、更に優れた神に近づく希望であるキリストに、私たちは導き入れられた。新しいぶどう酒を入れる新しい皮袋として、古いものを捨て、キリストの新しいいのちに満たされる者は、神の恵み、力、祝福を受け、聖霊の川が心の奥底から流れ出す。

 キリストは、その血により、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の人々を王とし、祭司とされた。それは、私たちがキリストとともに十字架の栄光の道を歩み、人々のためにとりなし、地上を治めるためである。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。
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4月23日 【キリストによって神に近づく人々】  ヘブル7:20-28
 主は、変わることのない御心として、キリストに対して、「あなたは、とこしえに、メルキゼデクに等しい祭司である。」と誓われた。神は信頼できる、確かで、真実な方である。

 その神の誓いが、キリストの祭司職の完全性、至高性の究極的根拠である。そのようにして、イエスは、更に優れた新しい契約の保証となられた。律法の後に語られた神の誓いの御言葉は、永遠に完全な御子を大祭司として立てる。 

 罪のないキリストは、贖罪をただ一度で、永遠に成し遂げてくださった。キリストは契約に忠実な、憐み深い大祭司である。キリストは永遠に生きていて、人々のためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことができる。

 へりくだって罪を悔い改め、神の御顔を慕い求め、キリストを心の王座にお迎えし、聖霊に満たされる者は、きよめられて、完全な者へと変えられていく。そして、キリストの血によって、王である祭司とされた。

 キリストの模範に従い、御霊によって、全ての聖徒のために、また全ての人のために、とりなしの祈りをするのである。とりなしの礼拝と宣教によって、教会を建て上げ、キリストの再臨に備えよう。
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4月30日 【新しい契約に仕えておられる大祭司】  ヘブル8:1-6
 私たちの大祭司キリストは、天にある真実な幕屋で、更に優れた新しい契約の仲介者として、大能者なる父に仕えておられる。私たちのために、とりなしの祈りをしてくださっているのである。

 天国の中心は、礼拝であり、幕屋の目的は、「神が人とともに住まわれる、神との交わり」である。そこに、エデンの園の回復、救い、赦し、きよめ、永遠のいのちがある。神と人との契約の本質は、「神が人々の神となり、人々が神の民となること」である。新しい契約の成就によって、人は、神の永遠の御住まいにあって、安息に入ることができる。

 旧約においては、キリストが預言され、新約においては、キリストによって預言が成就された。キリストは、ただ一度のささげもので、新しい契約(ギリシャ語ディアセーケー:遺言)である、救いの約束の保証となられた。

 一方的な意思と主権は、神にあり、人は、ただ一方的な神の恵みを信じて受け取ることによって、救われるのである。このキリストの血による新しい契約は、過越の食事に制定された。地上の大祭司は、天にあるものの写しと影に仕えているが、実体は、キリストの十字架の贖いにある。

 キリストの血は、救われた者の良心をきよめ、死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とする。キリストとともに新しい契約に仕える者、御霊に仕える者とするのである。心を御言葉で刷新され、全てをささげて、神の御心を行なう、真の礼拝者となろう。
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