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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2006年3月 |
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| 3月5日 |
【天の幕屋に入られた大祭司】 ヘブル人4:14-16 |
キリストは、もろもろの天を通られ、天の幕屋の内側に入られた偉大な大祭司である。ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げたれたのである。神は、全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、全ての支配、権威、権力、主権の上に、全ての名の上に、高く置かれた。
キリストは、人としてこの世におられた時、罪を犯されず、荒野の試みに勝利された。悪魔は、父の御心を行なうという、父の家の仕事から引き離そうとする。しかし、キリストは、父なる神との愛の交わりにとどまられ、神への信仰、信頼、全き従順の道を全うされた。父の御心以外のことは、何事も行なわれなかったのである。
キリストは、彼に従う人々の弱さに同情(ともに苦しむ)され、おりにかなった助けを与えてくださる、あわれみ深い大祭司である。キリストが設けられた新しい生ける道、神の恵みの御座に大胆に近づこう。そして、御子イエスの血によって、一切の霊肉の汚れから自分をきよめ、神の恵みに応えて、喜びと感謝をもって主に仕えよう。賛美の中で、荒野に生ける水の川が流れ出るようになる。その主の御霊の川とは、「知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊」である。
主がこれからなされる新しい事は、先(昔)の事どもにまさる。「わたしはこの宮を栄光で満たす。この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさろう。きょうから後、わたしは祝福しよう。」 今日、主への賛美と大収穫の時代が訪れているのである。 |
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| 3月12日 |
【ダビデの王座の大祭司】 ヘブル人5:1-10 |
旧約時代の大祭司は、神に召されて、神に仕える栄誉ある任務を受けた。律法において、祭司は、あやまって罪を犯した者のために、贖いをする。その者は、あやまって罪を犯したので、贖いをすれば赦される。無知のために、あやまって罪を犯す者には、聖書の一致した教えがなければならない。主の言葉を侮り、その命令を破る、故意に罪を犯す者は、民から断ち切られ、その咎を負う。
なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪である。御言葉を実行する人は、その行ないによって祝福される。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけない。無知な、心の定まらない人たちは、聖書を曲解し、自分自身に滅びを招いている。自分自身の堅実さを失うことなく、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しよう。
キリストは神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司となる栄誉を、ダビデ契約のメシヤとして与えられた。メルキゼデク(義の王)は、シャレム(完全な、平和な:エルサレムの同義語)の王、いと高き神(主)の祭司であり、キリストの祭司職の予型であった。ダビデはエルサレムを首都とした時、メルキゼデクの王位と祭司職を継承した。そして、ダビデの家系から出る王なるキリストは、メルキゼデクに等しいとこしえの祭司であると、詩篇で預言されたのである。
キリストは人としてこの世におられた時、ご自分を死から救うことができる父なる神に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられた。キリストは父の御心への従順によって、多くの苦しみを受けられたので、キリストに従う者たちに同情することができ、とこしえの救いをお与えになる。
キリストは善を行なって苦しみを受け、その足跡に従うようにと模範を残された。聖書には、キリストにあって敬虔に生きようと願う者は皆、迫害を受けると書かれている。私たちがキリストの残された模範に従い、神との愛の交わりと神への信仰と従順の道を歩む時、キリストはともに苦しみ、とりなし、助けてくださる。
キリストは、あわれみ深い、忠実な大祭司である。父の御心を行なう弟子は、キリストの家族であり、天の御国に入ることができる。神は、御心を行なう者とともにいてくださるのである。 |
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| 3月19日 |
【成熟を目指して前進する】 ヘブル5:11-14 |
ヘブル人への手紙の著者は、大祭司キリストについて、話すべきことが沢山あるが、受け取り手の耳が鈍くなっている(心がふさがっている、怠慢な)ため、説き明かすことが困難であると記した。それは、キリストへの飢え渇きや情熱が余りなく、霊的価値がよくわかっていない、神の国に鈍い心の状態である。
原因は、この世のものから自分の関心を断ち切ることができていない、無知や高慢、自らの罪を愛し、真の悔い改めをしない心である。
しかし、主イエスの御名を呼び求め、へりくだり、主の御顔を慕い求め、悪い道から立ち返るなら、キリストの十字架の贖いによる罪の赦しといやしを体験することができる。義に飢え乾いている者は幸いであり、満ち足りるようになる。神は、神を信じ知恵を求める者に、惜しみなく与えてくださる方である。
成長した聖徒は、更に神の御心についての素晴らしい教えを味わい、実践することができる。生ける神の御言葉と聖霊によって、善悪を見分けることができ、神の国建設のために、祝福を増し加えられるのである。成熟を目指して前進し、教会を建て上げる愛の奉仕に励み、信仰とキリストに関する知識の一致に達しよう。
神の御心は、私たちがあらゆる点において成長し、完全に大人になって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達することである。 |
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| 3月26日 |
【熱心な愛の奉仕を保つ】 ヘブル6:1-12 |
キリスト者は初歩の基本的な教えを後にし、義の教えを通じ、霊的成熟を目指して前進する存在である。そうでなければ、故意にキリストに背く背教の危険がある。しばらくの信仰生活の後、それを捨てる人は、キリストの十字架の贖いの血と恵みの御霊を侮る、重大な罪を犯す。
神の御心より、自分の思いを大切にしている人は、霊的に成長しない幼子である。傲慢な心の人は、神に対して心が閉ざされてしまって、もはや学ぼうとする姿勢がなく、悪魔に働かれやすい心の状態になってしまう。神の救いの恵みという驚くべき祝福に与りながら、応答をせず、いばらやあざみを生えさせるのである。それは無用であり、やがて呪いを受け、ついには焼かれてしまう。
しかし、神に愛されている聖徒たちは、いつでも御言葉から学ぼうとする素直な柔らかい心をもち、救いにふさわしい良い実を結ぶ。神の栄光のために、地域教会を建て上げる愛の奉仕を、最後まで熱心に継続するのである。神は正しい方であり、その愛の奉仕を覚えていてくださる。
福音の正しい教理は、キリストと教会に対する熱心さを保ち、希望と確信に基づく、健全な信仰生活に導く。神の御心である十字架の道を回避せず、新しいぶどう酒を入れる、新しい皮袋として柔軟性をもち、キリストのいのちを成長させ、賛美の中に生きよう。霊的な礼拝の中で、祝福は拡大し、教会は完成される。 |
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