エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2006年2月
2月5日 【神が幕屋を張られる花嫁@】  ヘブル人3:7-12
 御霊は、「今日、神の御声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない」と言われる。地上生活という荒野の旅路は、神の御声に聞き、信仰によって従い、祝福を受ける場所であるが、悪魔の試みを受けやすい場所でもある。

 イスラエルの民は、荒野で神を試み、モーセと争い、神の御怒りを引き起こしたので、荒野を40年さ迷い、カナンの地に入って、安息を得ることができず、荒野で滅ぼされた。同じように、キリストを信じた後、悪い不信仰な心になって、生ける神から「離れる」者があってはならない。

 この「離れる」というギリシャ語アポステーナイから、アポスタシア「背教」という語が出た。キリストを信じた後、堕落する者は、最大の罪を犯しており、初めより悪くなる。諸悪の根源は、キリストから心が離れている自己中心である。

 悪魔のスピリットは、心の中で、自分が王座を占め、自分を神とすることである。自己中心、苦いねたみと敵対心、不信仰と不従順などの罪を言い表わし、悔い改めるなら、御子イエスの尊い血によって、全ての罪は赦され、きよめられることができる。

 神から出た者は、神の言葉に聞き従う。キリストに教えられたとおりの生き方をするのが、本当の弟子である。キリストへの信仰と従順は、その人を罪から解放し、自由にする。「御霊に属する人」は、心の王座をキリストに明け渡しているので、聖霊に満ちあふれ、御言葉を守り行ない、いのちと平安の実を結ぶことができる。

 キリストを信じ従う者たちは、神の安息に入り、天にあるエルサレム、新しい契約の仲介者イエスと注ぎかけの血に近づいている。自分の衣を小羊の血で洗って、白くした者たちの上に、神は幕屋を張ってくださる。

 彼らは天に住む者たちであり、いのちの水の泉に導かれる。キリストの花嫁は、聖なる正しい行ないによって、小羊の婚宴の用意を整え、光り輝く、きよい麻布の衣を着せられる。キリストが神の右に座を占めておられる、天にあるものを思い、求めよう。
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2月12日 【神が幕屋を張られる花嫁A】  ヘブル人3:7-12
 キリストを信じた後、堕落する人々は、自分で神の御子をもう一度十字架にかける、最大の罪を犯している。義の道を知っていながら、聖なる命令に背くよりは、それを知らなかった方が、彼らにとってよかった。

 神の側につくという立場を取り続けない、中途半端な悔い改めと信仰と服従は危険である。元いた悪霊が自分より悪い他の霊を7つ連れて来て、住みつくようになり、その人の後の状態は、初めの状態よりもっと悪いものとなる。

 悪魔(ルシファー:輝く者、光の天使、明けの明星)のスピリットは、心の中で、自分が王座につき、神になろうとする自己中心の思いである。世の終わりには、背教が起こり、不法(罪)の人、つまり滅びの子が現われ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言する。

 悪魔と悪魔に従う者たちは、神に裁かれ、火の池に投げ込まれて、永遠に苦しむことになる。羊の囲いの門であるキリストから入らないで、他の所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗である。彼らは、良い牧者であるキリストに聞き従わない。
 
 それと正反対なのは、ダビデの幕屋のスピリットをもつ人々である。彼らは罪を悔い改めて、天国の門であるイエス・キリストを心の王座にお迎えし、いつも聖霊に満たされ、祈り、賛美する。花婿イエスと花嫁教会の慕い求める愛の関係は、永遠に続く御国の姿である。

 キリストの十字架の血によって、罪の赦しときよめの恵みに与った者たちには、天国のまことの聖所への道が開かれている。新しい人なる教会は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至る。御霊によって神の御住まいとされたキリスト者たちを通し、神の栄光は世界中に解き放たれる。

世の終わりには、正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なる者とされるのである。
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2月19日  【神が幕屋を張られる花嫁B】  ヘブル人3:13-19
 キリストは、天にある更に偉大な完全な幕屋を通り、ご自分の尊い血によって、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられた。それゆえ、キリストを信じる者は、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができる。そこには、何の分け隔てもなく、キリストが全てであり、全てのうちにおられる。

 私たちは今日と言われている間に、日々互いに励まし合って、誰も罪に惑わされて、かたくなになってはならない。キリストと教会に対する正しい心をもち、愛と信仰と従順の道を歩むのである。それは、キリストを通して、賛美のいけにえを絶えずささげること、善行、集会、指導者に服従することである。

 イエスは安息日の主であられ、地上で、天の父の仕事を行なわれた。イエスの食物は、父の御心を行ない、その御業を成し遂げることであった。イエスの働きは今も、キリスト者たちによって継承されている。それは、飲み食いをはじめとする自我欲に従った生活ではなく、神の御心を行なうという目的に導かれた、神の栄光を現わすために全てのことをする生活である。

 堅固な信仰の基礎であるキリストの贖いと御言葉の上に教会(人生)を築き、キリストに与る者とされよう。純粋な花嫁なる教会として聖められ、花婿なるキリストの現われの時、称賛と光栄と栄誉に至ることができるよう、日々神との交わりの中に生き、備えよう。
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2月26日 【キリストにある安息】  ヘブル人4:1-13
 教会は、「この地上に神の御国を建設する、神の贖いの働き」をする。キリストの血により贖われた、「選ればれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」として、御国の前進のために、全生活において、神の御心を行なうのである。

 説き明かされた福音に対する信仰と従順によって、神の安息に入る約束は、神の民にまだ残されている。神の安息とは、キリストにある安息、永遠のいのち、まことの聖所への道、天の幕屋の内側である。

 天の幕屋では、聖徒たちが神の御座の御前の聖所で、昼も夜も神に仕え、礼拝し賛美している。天国の礼拝の型であるダビデの幕屋の回復は、教会の誕生によって成就し、ますます今日、完成に向かっている。ダビデ(愛された者)の一つの願いは、主の家(幕屋)に住み、主の御顔を慕い求め、礼拝し賛美することであった。

 私たちは、ダビデと同じ心をもつ聖徒たちが、世界中に起こされ、新しい歌で、主を賛美する幸いな時代に生かされている。神はダビデのように、その時代にあって神の御心に仕える聖徒たちと、ダビデへの変わらない、とこしえの愛の契約を結んでくださる。心の王座にキリストをお迎えし、礼拝する者は、天の恵みの御座にいるのである。

 創生の初めの安息の祝福(神との愛の関係)も、キリストの贖いによって回復される。罪を悔い改めて、神に信頼し従う者は、荒野がエデンの園にされるのを体験する。そこには、楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。そこでは、神のかたちとして創造された人が、神とともに歩み、神の仕事をするのである。
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