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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2006年1月 |
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| 1月1日 |
【溢れるばかりの喜びの油を注がれた方】 ヘブル人1:4-14 |
聖書全体は、神の御子イエス・キリストを証言し、必ず全部成就する。聖書が書かれたのは、全ての人がキリストを信じ、永遠のいのちをもつためである。聖書のメッセージは、キリストの十字架と復活、人々の悔い改めと罪の赦しが、全世界に宣べ伝えられることにある。
ここには、神が語られた御使いとキリストについて、書かれている。
御使いは、神に造られた被造物であり、神の御心に従って、神に仕える霊的実在である。神の御使いは皆、キリストを拝す。神に反逆した御使いは、堕落して悪魔と悪霊になった。
御子イエスは、父なる神から生まれた長子であり、ダビデ契約のメシヤである。また、神であり、主であり、神から溢れるばかりの喜びの油を注がれた方である。この「喜び」は、キリストの十字架の犠牲のゆえに、人々が贖われ、キリストの花嫁である栄光の教会に建て上げられることにある。キリストとともに立つ花婿の友も、そのために働き、喜びをともにする。
万物の創造主であるキリストは、天地が滅びても、変わることなく、永遠の主権をもって、統べ治められる方である。
神の御霊に導かれる人は、神の子供である。キリストに従い、自分の十字架を負う者は、救いの相続者として、キリストと栄光をともにする。 |
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| 1月8日 |
【溢れるばかりの喜びの油を注がれた方A】 ヘブル人2:1-11 |
キリストによって語られた素晴らしい救いを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければならない。「押し流される」とは、船が強風のために港に入れない状態を指す。信じて告白することと、実際生活が食い違うのである。
救いは、三位一体の神と弟子たちによって、証しされた。「律法」も「救い」も、服従を要求し、賞罰規定がある。救いの招きに対する応答は、決してないがしろ(ギリシャ語アメレオー:いいかげん、無頓着、無視、気にもかけない)にしてはならない、人生において最も重要なことであり、律法以上に大きな報いをもたらす。
神が人間を御心に留められるのは、創造において人間が神のかたちに造られ、神と愛の人格的関係に置かれていたからである。人間には、全ての被造物を統治管理する世界支配の使命と、神の祝福と繁栄が与えられていた。
最後のアダムであるキリストの救いは、罪によって失われた人間の創造目的を回復させる。それは、復興(リバイバル)である。やがて千年王国において、キリストとともに支配する時、人間に与えられた王としての役割と栄光は、完全に回復する。
キリストは多くの苦しみを通して、救いの道を完成された。聖とする方(キリスト)も、聖とされる者たち(キリスト者たち)も、一人の神である父をもっている。ただ十字架の贖いによって、キリストと一つにされる関係の中でのみ、キリスト者は聖められる。
キリスト者は、御霊の働きにより、栄光から栄光へと、キリストのかたちに変えられていく。神との交わりの祝福の中で、キリスト者たちの聖化は完成し、キリストの花嫁なる栄光の教会とされるのである。 |
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| 1月15日 |
【キリストの贖いと教会賛美】 ヘブル人2:12-13 |
キリストは、ご自身によって聖とされる者たちを兄弟と呼ぶことを恥とはせず、「わたしは御名を、わたしの兄弟たちに告げよう。」と言われる。名は、その人の人格と特徴の全てを意味する。
キリストは、「御名(神がまことにどのような方であるか、神のご性質と御心)」を告げ知らせ、神と私たちの交わりを回復してくださる。「父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」
過越の祭りの贖いの杯(聖餐式の原型)の次には、賛美の杯(小羊の婚宴)が続く。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。」という言葉で始まる詩篇22編は、前半に、キリストの十字架における神への嘆きと信頼の言葉が、後半に、キリストの昇天における神への賛美と宣教の言葉が記されている。
キリストは、「教会の中で、わたしはあなたを賛美します。」と言われる。キリストの御霊は、教会を宣教と賛美に導く。キリストは、異邦人の中で、神を誉めたたたえる方である。
全ての異邦人は、主の民とともに喜び、主を誉めたたえ、王なるキリストに望みをかける。キリストの輝く再臨前の裁きの時、東の国々、西(海)の島々、海の向こう、地の果てから、主の威光をたたえて喜び叫ぶ、賛美の歌声が響く。
賛美は神から出たものであり、聖なる神は賛美を住まいとされる。キリストの賛美と宣教の働きは、教会によって世代から世代へと継承され、世界大の救いが訪れ、地球規模のリバイバルが起こる。キリストはダビデの天幕の王座に座られる。
キリストの贖いと教会賛美は、民の不信の中にあっても、燃える信仰を与え、神の子供たちを生み出す。教会は賛美の中で建て上げられ、救霊の実を結び、前進するのである。 |
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| 1月22日 |
【キリストの十字架の死によって】 ヘブル人2:14-18 |
キリストは十字架の死によって、悪魔という、死の力をもつ者を滅ぼされた。神の御子が現われたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためである。死は、罪に対する神の裁きである。キリスト者にとって、死は、天国の門であり、世を去って、キリストとともにいることである。
キリストは十字架の死によって、人々を罪の奴隷から解放された。主イエスを信じ告白する者は、悪魔の支配からキリストの支配に移され、恵みの下にあって、神の従順な奴隷とされ、永遠のいのちに至るのである。
罪:ギリシャ語のハマルティアーには、「的を外す」という意味がある。キリストという的から外れ、神との正しい関係から外れた人間の状態(目標のない、知情意が歪んでいる人生)を意味する。
キリストは十字架の死によって、民の罪のために、神の御怒りのなだめとなられた。キリストは、あわれみ深い、忠実な大祭司として、大贖罪日の「罪を取り除くいけにえ」の、完全な成就となられたのである。
神の御霊に導かれる人は、神の子供である。キリストは教会を生み出すために、十字架において苦しまれた。キリストとともに、教会を建て上げ、完成させるために労苦する者は、キリストとともに永遠の御国の栄光を相続する。
キリストの愛と信頼に応えて、キリストと教会のために、最善の働きをすることが、主人であるキリストと、しもべであるキリストの弟子の喜びであり、永遠に価値ある生き方なのである。 |
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| 1月29日 |
【天の召しに与っている者として】 ヘブル人3:1-6 |
キリストの十字架の血によって、聖なる兄弟たちとされた者たちは、天の召しに与っている。それは、天からのイエス・キリストの啓示であり、天国への召しでもある。
私たちが信仰告白するイエスは、神の国の代表として遣わされ、神のメッセージを伝えられた。また、人の代表の大祭司となられて、贖いを成し遂げられた。この方を深く心に留めて、最大限の注意を払い、自己中心からキリスト中心の生き方に変えられなければならない。イエスは、ご自分を立てた父なる神に対して忠実な方である。
イエスは神の家である教会を建てる方てして、モーセより大きな栄光を受けるのにふさわしいとされた。イエスは万物の支配者、神であり、王として神の家を忠実に支配される。教会は、「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」である。
キリストにある救いの確信と、救いの完成である天国への希望とを、終わりまでしっかりともち続けるなら、キリスト者は神の家とされ、御国を相続することができる。 |
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