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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2005年12月 |
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| 12月4日 |
【ガリラヤ湖で舟の右側に網を下ろす】 ヨハネ21:1-14 |
弟子たちは、「ガリラヤで復活のイエスにお会いできる」という約束に従って、ガリラヤにいた。そして、ガリラヤ湖で漁をしている時、イエスがお現われになった。彼らは小舟に乗り込んだが、その夜は何も取れなかった。夜が明け染めた時、イエスが岸辺に立たれ、弟子たちに声をかけられた。
「夜」はイエス不在を表わし、「輝く明けの明星」「光」は、イエスを表わす。“
まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。”詩篇84:11
イエスは、「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」と言われた。そのとおりにすると、網は、おびただしい153匹の大きな魚でいっぱいになった。けれども、網は破れなかった。十字架の死にまでも従われたキリストは、神の右の座におられる。
実に、神の側における方法とは、自分を捨て、十字架の道に従うことであり、そこに神に栄光が現わされるのである。主の御言葉に聞き従う宣教は、素晴らしい祝福となり、全てが良きに導かれる。
153匹とは、当時知られていた魚の全種類であり、全世界の人々が教会に集められることを象徴している。教会の9(完成)X17(霊的秩序)=153(リバイバル)という解釈もできる。
網が破れなかったことは、沢山の人が救われても、教会が分裂しないことを表わす。御霊のために蒔き、失望せずに、善を行なうなら、時期が来て、御霊から永遠のいのちを刈り取ることになる。主にある労苦はむだではなく、勝利であり、確信と忍耐を保つなら、大きな報いをもたらす。主を賛美する者には、豊かな収穫と繁栄が約束されている。
イエスに愛されたヨハネは、「主です。」と他の弟子たちよりも早く、イエスに気づいた。ペテロは一刻も早く主に近づこうとして、湖に飛び込んだ。弟子たちが陸地に上がると、イエスは朝の食事を用意しておられた。
キリストの食物は、神の御心を行ない、その御業を成し遂げることであった。それは、天国の祝宴をもたらす。私たちも、キリストの御業を御霊によって継承し、教会を完成させ、一人でも多くの贖われた聖徒たちとともに、小羊の婚宴に与るために、神と協力して働こう。 |
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| 12月11日 |
【キリストを愛する召命】 ヨハネ21:15-25 |
【キリストを愛する召命】 ヨハネ21:15-25
ペテロは、イエスの弟子であることを三度否定した後、激しく泣いて悔い改め、イエスの赦しと回復へと導かれた。
イエスから、「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」と言われて、初めに弟子として召されたガリラヤ湖で、ペテロはもう一度、キリストを愛する召命を受けた。そこでは、炭火が起こしてあり、ペテロが、イエスを否定した時に暖まっていた炭火を思い起こさせた。
イエスは、「ヨハネの子シモン。」と、以前、ペテロにケパ(岩、ギリシャ語:ペテロ)という名前をお与えになった時の呼びかけをされた。ペテロは使徒として、教会の土台となった。
かつてペテロは、「私は決してつまずきません。」と言ったが、イエスの「あなたはわたしを愛しますか。」という三度の問いかけに、「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」と謙遜に答えた。
私たちの信仰は、神の愛と恵みに支えられている。
この復活のイエスとの出会いを通し、ペテロは、イエスの十字架の死と復活による罪の赦しと永遠のいのち(神との交わり)を体験し、心の傷がいやされ、キリストを愛する召命を回復することができた。キリストを愛する召命とは、教会を建て上げる奉仕である。キリストへの愛は、教会奉仕(仕事)によって表わされる。
「わたしの羊を飼いなさい。」と言われたイエスが示された模範は、羊のためにいのちを捨てる良い羊飼いの姿であった。イエスの十字架の姿に、神の愛と栄光が現わされている。
愛には常に、責任と使命、犠牲が伴うのである。生きるにしても、死ぬにしても、十字架の道にあることが、神の栄光であられるキリストの素晴らしさを現わす生き方である。
教会において、自分に与えられた賜物を良い管理者として用い、神が豊かに備えてくださる力によって、忠実に自分の分を果たそう。それは、全てのことにおいて、イエス・キリストを通して神が崇められるためである。栄光と支配がいつまでもキリストにあるように。アーメン。 |
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| 12月18日 |
【教会の完成を目ざして】 ヘブル人への手紙 |
「ヘブル人への手紙」の著者は不明であり、A.D.60年代に書かれたと思われる。当時、ユダヤ人やローマ帝国の迫害の中で、信仰が後退する危険が生じていたキリスト者たちへの励ましの手紙であり、年数がたっても余り成長していない人々や、初めの頃、激しい苦難に耐えていた人々が、最後まで押し流されず、イエスに焦点を当てて、信仰の確信を堅く保つようにと勧めている。
「イエス・キリストは、全てに優って偉大なお方である」という、キリストの優越性・卓越性・至高性が記されている。
最初の契約がキリストによって成就し、未来には、「なおさら」大きな素晴らしいことがキリストによって力強く完成する。キリストは完全(ギリシャ語テレイオス:目的、目標、極限、成熟する、大人に達する)な救い主であり、キリスト者を完全に救い、きよめる方である。
ご自分の御前に置かれた喜びのゆえに、十字架を忍ばれ、神の御座の右に着座されたイエスから目を離さず、教会の完成を目ざして、御霊によって、キリストの栄光のかたちへと、完全に造り変えて頂こう。 |
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| 12月25日 |
【神の栄光の輝き、御子イエス】 ヘブル人1:1-3 |
神は旧約時代には、預言者を通して語られたが、終わりの時(新約時代、救いの時、成就の時期)には、御子イエス・キリストによって語られた。キリストは、預言者に優る方である。
神は人知ではわからないことを、主導権をもって現わし示してくださる啓示の神である。滅びに向かっていた人類の歴史は、キリストの十字架の贖いによって、決定的な転換点を迎えた。キリストは神の約束の成就であり、永遠の贖いを成し遂げられた大祭司である。
ここには、信仰の目で見るキリスト観が語られている。御子イエスは、万物の創造主、相続者(所有者)であり、力ある御言葉(レーマ)によって万物を保持しておられる。また、御子イエスは、神の栄光の輝き(光、神ご自身)、神の本質の「完全な現われ:ギリシャ語カラクテール:刻印」であり、十字架によって人類の贖いを完成され、全能の神の右の座に着かれた。
「神の右の座」とは、キリストの最高の栄誉、王としての至高の地位、主権、支配権を、「座に着く」とは、完成のしるし、勝利の結果、安息を表わしている。大祭司なるキリストは、救いを成就し、神の右の座において、ご自分によって神に近づく人々のために、とりなしの務めをしておられる。
私たちキリスト者は、キリストを信じ、約束の聖霊によって証印を押された者である。そして、キリストと苦難をともにしているなら、豊かな栄光に輝く御国をキリストとともに相続することになる。イエスは弟子たちに、「天の父が完全であるように、完全でありなさい。」と言われた。多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされたキリストこそ、彼に従う全ての者を完全(永遠)に救うことがおできになる救い主である。 |
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