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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2005年2月 |
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| 2月6日 |
【花婿の友の役割】 ヨハネ3:22−36 |
| バプテスマのヨハネとイエスが、同時にそれぞれバプテスマを授けていた時、ヨハネの弟子たちはヨハネに、人々が皆イエスの方へ行くと告げた。それに対しヨハネは、「人は天から与えられるのでなければ、何も受けることはできない」と答えた。人にはそれぞれ、神の御心によって分け与えられた恵みの賜物がある。ヨハネはキリストではなく、主の御前に道を備えるために遣わされた者であった。彼は自分のことを、花婿キリストの声を聞いて大いに喜ぶ花婿の友だと言った。花婿の友の役割は、結婚式の先導役である。マタイ25章には、夜中に「そら、花婿だ。迎えに出よ。」と叫ぶ声として、花婿の友が登場する。今日も預言者エリヤの霊と力をもって、主の御前に道を備える働き人が必要である。その任務は、人々に罪の赦しによる救いの知識を与え、父の心を子に向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、整えられたキリストの花嫁なる教会を、主のために用意することである。祈りと断食をもってキリストを慕い求め、ダビデの幕屋礼拝を回復し、キリストの愛によって宣教する。ヨハネは、「キリストは盛んになり、私は衰えなければならない」と言った。キリストと正しい関係にあり、自分のなすべき分をわきまえている人は、謙遜なへりくだった心が与えられる。イエスは、「わたしは心優しくへりくだっているから、わたしのくびきを負って学びなさい。そうすれば魂に安らぎがきます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」と言われた。キリストは仕える者の姿をとられ、十字架の死にまでも従われた。それゆえ、神はキリストを高く上げられ、全てにまさる名をお与えになった。悪魔は高ぶり、自分の分を越えて裁かれ、永遠の火の池に投げ込まれる。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられる。自分のなすべきことを、へりくだって忠実に行なう者とされよう。キリストは天より来られ、見たこと聞いたことを証しされ、無限の御霊を与えられて神の言葉を話された。父なる神はキリスト愛され、万物をお渡しになった。神によって新生した私たちは、豊かに御霊を受けて神を体験し、キリストを証しし、キリストの権威を用いる者になろう。キリストを今信じている者は、永遠のいのちをもつが、キリストに聞き従わない者は、神の怒りがその上にとどまる。 |
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| 2月13日 |
【救いの泉から水を飲む】 ヨハネ4:1-26 |
| イエスはユダヤを去ってガリラヤに行かれる途中、ユダヤ人が普通通らないサマリヤを通って行かなければならなかった。それは、サマリヤの女と人々を救いに導くという、神のご計画を遂行するためであった。BC722年北王国イスラエルの首都サマリヤが東方のアッシリヤに占領され、主だった男性は連れ去られ、異邦人男性が送り込まれた。残された北王国イスラエルの人々は、徐々に異邦人男性と結婚し、人種的、宗教的混血民族となった。サマリヤ人がBC5世紀にゲリジム山に造った神殿は、ユダヤの王によってBC128、9年に焼き払われた。ユダヤ人とサマリヤ人との間には、いやしがたい断絶と憎しみがあった。また、当時ユダヤ人男性は、女性に特に戸外で話をすることはなかった。そのような状況の中で、イエスはサマリヤの女に話しかけられた。いつも神の御心に従われるイエスの愛の姿を見る。イエスは女に、救いの泉から水を飲めば(イエスを信じれば)、決して渇くことがなく、永遠のいのちへの生ける水がその人の内から湧き出ると言われた。そのためには、まず神の御前における自分の罪を自覚し、悔い改めなければならないことを、イエスは知恵の言葉によって女に語られた。女はイエスを預言者(救い主)だと認め、どこで礼拝するのが正しいのか質問した。それに対しイエスは、聖書に基づいたユダヤ人のエルサレムでの礼拝は影の礼拝であり、キリストが律法を成就し、救いを成し遂げてくださった後の礼拝は、特定の場所や動物犠牲によってなされるものではなく、霊とまことによって父を礼拝する本体の礼拝であると語られた。「霊」は聖霊、人間の中心部分、「まこと」は御言葉、キリストを意味している。霊的な礼拝とは、自分自身を神に受け入れられる、聖い、生きた供え物として神に献げることである。父なる神は、そのような真の礼拝者を求めておられる。イエスを救い主として受け入れ、罪を悔い改めて洗礼を受けるなら、神の賜物として聖霊を受ける。そして、自分自身を神に献げ、霊とまことによって神を礼拝する者は、神の愛と力を受けて、神の働き人とされる。聖霊の働きによって、礼拝者として新しく創造され、神の愛を流す通り良き管となろう。 |
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| 2月20日 |
【御言葉の種蒔きと魂の収穫】 ヨハネ4:27‐42 |
| イエスが救い主だと知ったサマリヤの女は、神の恵みによって自発的に伝道した。女は罪を悔い改め、キリストを信じて、心に永遠のいのちの泉を頂いたことによって、人々に神の愛を流す器に変えられた。女の「来て、見てください。」という、直接キリストに導く言葉によって、人々はイエスの方へやって来た。その頃、食物を買って来た弟子たちに、イエスは霊的な真理を語られた。イエスは、「わたしを遣わされた父の御心を行ない、その御業を成し遂げることが、わたしの食物です。」と言われた。そこには、遣わされた者の明確な使命遂行の召命感があった。今日の私たちも神に遣わされ、神の御心を行なうために、生かされている。イエスは、御言葉の種蒔きと魂の収穫には、四か月もかからず、目を上げて心の畑を見ると、色づいて刈り入れるばかりになっていると言われた。それは、サマリヤの人々がちょうど、イエスの方に向かって来る最中であった。サマリヤの女と人々は、イエスの言葉を聞くとすぐ、イエスを信じて、永遠のいのちに入れられる魂の収穫に導かれた。刈り入れるべき時に収穫しないと、その畑はだめになってしまう。聖書の春の祭りと秋の祭りの間の四か月は、キリストの初臨と再臨の間に挿入された教会時代、福音宣教の収穫の時である。その間、一人が御言葉の種を蒔き、他の者が魂を収穫し、ともに喜ぶという、伝道の原則がある。主が人々の魂を引き寄せ、心を開いてくださる。御使いたちもともに私たちに仕え、一人の罪人が悔い改めるなら、天に大きな喜びがある。サマリヤの女を通していのちの水が流れ、サマリヤ人の多くの者が救われた。いのちの水の管とされた女には、変えられた品性と生活が見られた。サマリヤの人々がまず第一に求めたことは、イエスに滞在して頂くことであった。その結果、イエスの言葉によって、更に多くの者が救われた。人々はイエスの言葉を自分で聞いて、この方こそ、本当に世の救い主だと知ったのである。それは、神の愛への応答であった。信仰は、神と自分との個人的愛の関係によるのである。 |
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| 2月27日 |
【神に信頼して従う信仰へ】 ヨハネ4:43-54 |
二日の後、イエスはサマリヤを去って、ガリラヤへ行かれた。ガリラヤ人はイエスを歓迎したが、彼らの信仰は、しるしと不思議を見ないと決して信じない上辺の信仰であった。イエスが再びガリラヤのカナヘ行かれた時、カペナウムに病気の息子のいる王室の役人がやって来た。彼は神ご自身、また罪の赦しや永遠のいのちではなく、一時的なしるしと不思議(死にかかっていた息子のいやし)を求めて、イエスの御元に来たのである。神よりも自分の必要(利得)を優先させる動機が、そこにはあった。神のしるしの目的は、次のことのためである。
1.神の栄光が現わされること
2.人々がイエスを信じること
3.人々が神を礼拝し、神に仕えること
王室の役人がキリストを信じて救われるためには、信仰の成長が必要だった。彼はイエスに拒絶されても、求め続けた。私たちはまず第一に、神ご自身を求めることが大切である。神は御子イエスといっしょに、全てのものを恵んでくださる。また、王室の役人は自分の願っていた方法を捨て、ただイエスの御言葉の権威を信じて神の方法に従った。神と約束(御言葉)に信頼して、神に聞き従う信仰は、信仰の父アブラハムの信仰である。アブラハムは信仰と行ないによって義と認められ、神の約束が成就し大いに祝福された。神の御心を求め、御言葉を信じて従う人に、神の約束は成就する。その人は神を体験し、祝福を受け、神への信仰が成長して強くなる。そのようにして、王室の役人の息子はいやされ、役人と彼の家の者も皆、イエスを信じるようになった。イエスは第二のしるしとしてこのことを行なわれ、死に勝利されいのちをお与えになる神として、ご自身の栄光を現わされ、未信者を救いに導かれた。 |
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