エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2004年8月
8月29日 【教会を建て上げる聖霊の働き】 使徒18:23-19:20
 パウロは再びアンテオケ教会から伝道旅行に出発し、ガラテヤとフルギヤを巡って諸教会を力づけた。さて、エペソにおいては、アレキサンドリヤというアテネと並ぶ学問都市出身の学識のあるアポロというユダヤ人が来て、霊に燃えてイエスのことを正確に語っていた。彼は聖書に通じていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。ユダヤ人会堂でアポロのメッセージを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れ、彼が更に神に用いられる伝道者となるために、神の道をもっと正確に説明した。その内容は、キリストの十字架と復活と昇天、水と聖霊のバプテスマ、教会の誕生といったことであっただろう。神の御心は、御霊によって知る必要がある。ここに、伝道者を育てるキリスト者夫婦の愛の配慮を見ることができる。アポロもまた、謙遜に学びを受ける教えられやすい人だった。そのため、その後、彼は神に大きく用いられた。彼は兄弟たちの励ましと紹介状をもって、アカヤのコリント教会へ行き、信者たちを大いに助けた。彼が聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。アポロがコリントにいた間に、パウロが奥地を通ってエペソに来た。アンテオケからエペソまでは約千kmの道程だった。エペソはアジヤ州の首都、政治・経済・文化・宗教(異教的迷信)の中心地、ギリシャの植民都市、交通の要所であった。パウロはそこで、ヨハネのバプテスマだけ受け、聖霊のバプテスマを受けていないキリスト者たちに出会った。彼らは聖霊のバプテスマについては聞いたこともなかったが、主イエスの御名によってバプテスマを受けると、聖霊が彼らに臨まれた。 パウロはエペソのユダヤ人会堂で三か月間大胆に語ったが、彼らのある者たちから反対されてからはそこを退き、毎日ツラノ(人名)の講堂で論じ、これが二年間続いた。西方本文には、午前11時から午後4時までという句が加わっている。エペソの人々は暑くて大変なその時間帯、昼寝をしたが、パウロは働きながら、その時間帯には勤勉に教えたのである。その結果、アジヤに住む者は皆、福音を聞いた。福音を宣べ伝える者、福音を聞きに来る者が沢山いたのであろう。神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。エペソに住む人々は皆、恐れを感じて主イエスの御名を崇めるようになり、信者は罪を告白し、魔術を行っていた多くの者は、莫大な額の魔術の書物を焼き捨てた。罪との霊的分離によって、更に霊的祝福が臨み、福音は驚くほど広まり、教会はますます力強く前進した。
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8月22日 【神の御心に従う伝道】 使徒18:1-22
 パウロはアテネを去って、コリントへ行った。コリントはアカヤ州の首都、政治的中心地、商業の盛んな国際都市、交通の要衝であり、町の活気が不道徳と迷信の温床となっていた。当時、「コリント人のようにふるまう」とは、不品行を行なうみだらな放蕩生活を意味した。コリントの教会には大きな迫害はなかったが、多くの問題があり、社会的状況が教会に影響を及ぼしていた。パウロは、同じ天幕作りのアクラとプリスキラの家に住み、一緒に仕事をし、安息日ごとに会堂で論じた。そして、シラスとテモテがマケドニヤ地方から受けた献金を持ってやって来ると、御言葉を教えることに専念することができた。 パウロは仕事をして生計を支えながら伝道するという方法を、決して正常なものとは考えていなかった。それは、変則的伝道方式、片手間伝道である。主も、福音を宣べ伝える者が、その働きから生活の支えを得るように定めておられる。しかし、パウロは報酬を受ける権利を十分に用いずに伝道した。それは、神から委ねられた福音宣教の使命を果たすために、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとして、勤勉の模範を示すために、万事につけ人々の重荷にならないように、という配慮からであった。歪んだコリント教会の姿は、パウロの伝道や欠乏を自分とは関係のないことと考え、あまり協力や献金をしなかったようである。教会は信仰を共有しなければ、真の教会として実を結ぶことはできない。ユダヤ人たちがパウロに反抗したが、神の励ましと守りによって、パウロは一年半、コリントで神の言葉を教え続けた。それからまた、ユダヤ人たちがパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行き、「ローマの公認宗教であるユダヤ教に反する教えを宣伝している」と訴えたが、アカヤの地方総督ガリオは機知に富んだ人だったので、自分の分野ではないユダヤ教の問題は取り上げなかった。パウロはなお長らくコリントに滞在してから、アンテオケヘ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。エペソに着くと、二人をそこに残し、パウロは自分だけユダヤ人会堂で論じた。かつて聖霊によって禁じられたアジヤ伝道が、今開かれたのである。しかし、もっと長くとどまるように頼むエペソの人々に、パウロは「神の御心なら、また帰って来ます。」と言って船出した。パウロはいつも自分の思いではなく、神の御心を第一として伝道したのである。「神の御心なら」という言葉は、消極的発言ではなく、神の御心なら何でもするという積極的発言である。パウロはその後、三年間エペソにとどまり伝道することになる。パウロはカイザリヤに上陸するとエルサレムに上った。その理由としては、教会に献金を届けに行った、或いは祭りまでに上って行ったということが考えられる。それからパウロは、彼を伝道旅行に送り出したアンテオケの教会に下って行った。
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8月15日 【アテネの人たちに福音を語る】 使徒17:1-34
 パウロたちはローマの軍用道路を通って、ピリピからマケドニヤ州の首都テサロニケへ行った。160kmの道程であった。いつものように、初めにユダヤ人会堂へ行き、聖書に基づいた伝道をした。幾人かのユダヤ人と大勢の神を敬うギリシャ人が信じた。ところが、ねたみにかられたユダヤ人が暴動を起こし、「世界中をひっくり返してきた者たちがここにも入り込み、ローマに対する反逆罪を犯している」と役人たちに訴えた。信者になった人たちは、すぐさま、パウロとシラスを西へ80kmの都市ベレヤへ送り出した。ここのユダヤ人は、心の広い人たちで非常に熱心に御言葉を聞き、毎日聖書を調べたので、多くの者が信仰に入り、その中には神を敬う異邦人も少なくなかった。ところが、テサロニケのユダヤ人がここにもやって来て、群衆を扇動し騒ぎを起こした。シラスとテモテはベレヤに踏みとどまったが、パウロはただちに信者になった人たちに案内されて、320km離れたアテネまで連れて行かれた。アテネはギリシャのアッティカ地方の首都であり、ギリシャ文化の中心地、世界最大の国際都市であった。パウロは町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。それは、神の視点をもつ健全なキリスト者のもつ聖なる憤りであり、伝道の動機となった。私たちがどんな罪や問題に直面したとしても、イエス・キリストには救いと解決がある。だから、私たちはイエス・キリストの御名によって祈り、大胆に福音を語っていこう。 パウロはユダヤ人会堂ばかりでなく、広場でも伝道した。パウロはアレオパゴス(アテネの軍神「アレスの丘」の意味)の評議所で、聖書を知らない異邦人に向けて説教することになった。アテネの人たちの宗教心のあつさを導入に、創造主、歴史を支配されている神、詩人の言葉、偶像礼拝などを取り上げて、まことの神とイエス・キリストのことを語った。復活のことを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は話を中断させた。しかし、アレオパゴスの裁判官など、パウロに従って信仰に入った人たちもいた。
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8月8日 【真夜中の祈りと賛美】 使徒16:16-40
 パウロたちはピリピで、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。女は幾日もパウロたちの後について、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。伝道は未信者や悪霊にはよらず、神に従う信者が聖霊によって福音を語る時、神が働かれるものである。自分とは関係ないと、神を信じず神に従わない態度は悪魔的である。困り果てたパウロは、イエス・キリストの御名によって、占いの霊を女から追い出した。キリストとの個人的出会いには、悪霊からの解放が必要である。女の主人たちは占いによって多くの利益を得ていたが、占いの霊が出て行くと同時に儲ける望みもなくなった。罪から来る収益というものが、この世にはある。しかし、キリスト者は神第一、キリスト中心の生活によって、神に祝福された豊かな人生を過ごすことができる。利己主義な主人たちは、腹いせにパウロとシラスを広場へ引き立てて行き、長官たちに訴えた。長官たちは取り調べもせず、不当に二人を何度もむち打たせ、牢に入れた。看守は二人を奥の牢に入れ、足かせを掛けた。真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美していると、他の囚人たちも聞き入っていた。そこには、神の臨在が輝いていた。肉体的不自由さの中にも、霊的な自由と解放、光と希望、喜びと感謝、信仰と平安があった。すると突然、大地震が起こって、牢の扉が全部開いて、皆の鎖が解けてしまった。看守は、囚人たちが逃げてしまったものと思い、行き詰まって自殺しようとした。そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちは皆ここにいる。」と叫んだ。救われるためには何をしなければならないのか尋ねる看守に、二人は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。看守はその夜、時を移さず二人の打ち傷を洗い、全家族そろって主イエスを信じ洗礼を受けて心から喜び、家で二人に食事をもてなした。看守は主イエスを信じ、自分の魂が救われただけではなく、家族、大地震、仕事上の大きな問題、自殺などからも救われたのだ。絶望的状況は救いのチャンスとなる。キリストは罪から魂を救ってくださるだけではなく、現実の具体的諸問題をも解決してくださる方である。ハレルヤ!看守の信仰は、敏速な従順と愛の行ないを伴なった。自分の必要を満たすだけの信仰から、他者(働き人)を顧みる信仰へと信仰が拡大したのだ。夜が明けると二人は釈放されることになり、牢を出た二人はルデヤの家の教会に行き、兄弟たちを励ましてから出て行った。ピリピの教会は、この後も力強く前進した。私たちもパウロとシラスのように、真夜中にも祈り賛美し福音を宣べ伝える者とされ、偉大な神の勝利ある御業を体験しよう。
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8月1日 【マケドニヤの叫び】 使徒15:36‐16:15
 パウロはバルナバに、第一次伝道旅行に福音を伝えた町々に行こうと提案した。ところが、前回途中で仕事を放棄したマルコに対する評価の違いが原因となって、パウロとバルナバは別行動をとることになった。一時的な意見の違いが生じたのである。しかし、後にマルコは成長し、パウロの手紙に「同労者」また、「彼は私の務めのために役に立つ」と書かれ、マルコの福音書の著者となった。バルナバはマルコを連れてキプロスに渡り、パウロはシラスを選び、教会から主の恵みに委ねられて第二次伝道旅行に出発した。パウロたちは、シリヤ、キリキヤ、デルベ、ルステラ等の諸教会を力づけ、エルサレム会議の規定を伝えた。諸教会は強められ、日ごとに人数を増していった。当時、キリキヤからデルベに行くには、タウロス山脈(3587m)を越える八日間の行程だったといわれる。ルステラには、信者であるユダヤ婦人の母とギリシャ人の父をもつ、テモテという教会の間で評判の良い弟子がいた。パウロはテモテを連れて行きたかったので、ユダヤ人伝道のために彼に割礼を受けさせた。この割礼は、救われるためのものではなかった。パウロは手紙の中で、テモテを「主にあって私の愛する、忠実な子」と呼び、彼の後継者としている。パウロたちは、アジヤやビテニヤで福音を語ることを聖霊によって禁じられ、マケドニヤに向かうことにした。ある夜、パウロが「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」という叫びを幻で見、マケドニヤへ行って福音を宣べ伝えることが神の御心だと確信したからである。パウロたちは神の御心を知ると、ただちに従った。パウロの伝道はいつも大都市から、また、ユダヤ人から始まる。パウロたちはマケドニヤの主要な大きな町、ローマの植民都市であるピリピで、安息日に川岸の祈り場に行き、そこに集まった女たちに福音を語った。(ピリピにはユダヤ人会堂がなかった。ユダヤ人男子十人がいなかったためと思われる。)主は神を敬う紫布の商人ルデヤの心を開いて、信じるようにされた。当時、紫布の商人と言えば、富豪階級に属する商人貴族であった。そして、ルデヤとその家族が洗礼を受けた時、彼女は主に忠実な者として、パウロたちを家に招いてもてなした。こうして、ルデヤの家はピリピにおける家の教会となった。神が招かれた宣教地において、主は魂の救いと宣教の拠点を備えてくださったのである。
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