エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2004年6月
6月6日 【救いの目的】 使徒9:26‐43
 サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと努力した。しかし、弟子たちは、かつて教会を激しく迫害していたサウロが、キリストの弟子となったとは信じられず、恐れた。ところが、バルナバは寛容な心でサウロを受け入れ、使徒たちのところへ連れて行き、彼のキリストとの出会い、神からの召命、ダマスコでの伝道について説明し、人間関係の結び目となった。その結果、サウロは自由に教会に出入りし、伝道できるようになった。サウロは殉教したステパノの働きを継承し、ギリシャ語を使うユダヤ人たちに伝道し、殺されそうになった。そして、兄弟たちに助けられ、カイザリヤから彼の出身地であるタルソに送り出された。神の国である教会は、一致のうちに建て上げられ、平和を保ち、主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数が増えていった。ルダの教会でペテロは、アイネヤという八年間寝たきりの中風の人に出会った。ペテロはアイネヤに、イエス・キリストがあなたの病をいやされる、立ち上がって、自分の手で生活しなさいと言った。ルダとサロン(ルダからカルメル山に至る海岸沿いの平原、ユダヤ人と異邦人が雑居している地域)の人々は皆、アイネヤを見て、主に立ち返った。次にペテロは、タビタという多くの良い業と施しをしていた女の弟子が、病気になり死んでしまったので、ヨッパに遣わされた。そこでペテロは祈り、タビタは生き返った。そして、ペテロは教会の人々を呼んで、生きている彼女を見せた。このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。病は罪から生じた。しかし、キリストは私たちの全ての罪と病を負ってくださった。キリストを信じる者が、罪赦され祝福され健やかであることは、神の御心である。いやしの目的は、いやされた人が教会の必要に応え、主に仕え、多くの実を結ぶためである。また、いやされた人を通して、人々がキリストを信じるようになるためである。
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6月13日 【神を恐れかしこむ人】 使徒10:1‐48
 カイザリヤにローマの百人隊長でコルネリオという、全家族ともに神を恐れかしこむ敬虔な正義を行なう人がいた。彼はいつも神に祈り、ユダヤ人に多くの施しをし、神に覚えられていた。彼はある午後三時の祈りの時間に、幻の中で、ヨッパにいるペテロを招き、全ての人を救う御言葉を話してもらうように語られる。彼は早速、神に従って信者の兵士と家のしもべを遣わした。一方ペテロは、昼の祈りの時間に、天からの幻を通し、異邦人にも偏見をもたず伝道するように語られる。彼も従順に神に従い、カイザリヤに出かけた。伝道される側と伝道する側への神の愛のご配慮によって、両者は神の御心に対する確信をもって出会うことができた。コルネリオは、神を愛し神に全てをかける信仰の人であったので、隣人を愛し伝道にも熱心であった。彼は親族や親しい友人など多くの人を呼び集め、神の御前に出て、ペテロの到着と語られる御言葉を待ち望んでいた。平和の福音は、イスラエルから全世界へ宣べ伝えられた。人々はイエスを木(十字架)にかけて殺した。そこには、父なる神の御心へのキリストの従順があった。しかし、神はイエスを三日目によみがえらせ、キリストの証人となる人々に現わさせてくださった。ペテロがイエス・キリストの御名による罪の赦しの福音を語っていると、耳を傾けていた全ての異邦人に聖霊のバプテスマが注がれた。彼らは異言を話し、神を賛美した。そして、ペテロに命じられて水の洗礼を受けた。このようにして、初代教会の異邦人伝道の道は、神と神に従う人たちによって大きく開かれていった。
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6月20日 【いつも神の御業に励む】 使徒11:1‐30
 使徒11章において、ペテロとコルネリオの出来事が二度目に言及され、異邦人伝道の道が開かれたことが強調されている。神の御業に励む上で大切なことは、人間の偏見や不従順によって神のなさることを妨げないことと、神のなさる救いの御業を喜び、神を誉めたたたえることである。迫害によって散らされたエルサレム教会の人々は、御言葉をユダヤ人にだけ語りながら、アンテオケまでも進んで行った。アンテオケは、シリヤの首都、世界第三の国際都市であり、その特徴は贅沢な生活、不道徳、偶像崇拝、競技と賭博などであった。そこに来てからは、キプロス人とクレネ人のキリスト者が、ギリシャ人(異邦人)にも福音を語った。主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人がキリストを信じて主に立ち返った。その知らせを聞いたエルサレム教会は、異邦人伝道にふさわしい、ギリシャ語を話すバルナバをアンテオケに遣わした。バルナバは聖霊と信仰に満ちているりっぱな人で、エルサレム教会とアンテオケ教会の結び目となった。彼はアンテオケに到着すると、神の恵みを見て喜び、死に至るまで忠実に神に従い、いつも神の御業に励むように教会を励ました。それから彼は、アンテオケ教会の教育のために、苦労してタルソまでサウロを捜しに行き、連れて来た。サウロが故郷タルソに送られて、すでに七〜八年が過ぎていた。その間も、彼が神との交わりと教会生活と伝道に励んでいたことは、その後の彼の活動から伺い知れる。アンテオケで初めて、弟子たちはキリスト者と呼ばれた。その意味は、キリストの奴隷である。エルサレムから預言者たちがアンテオケに下って来て、世界中に大ききんが起こると預言した。アンテオケ教会はそれぞれの力に応じて、自発的に迫害と貧しさの中にあるエルサレム教会に救援の物を送ることに決め、バルナバとサウロの手に託した。それは、神が喜んで受けてくださる香ばしい供え物、神の恵みの御業であり、感謝とキリストにある神の栄光の富をもたらすものであった。エルサレム教会とアンテオケ教会には、このように、教会の一体性を表わす霊的・物的交流があった。
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6月27日 【神に栄光を帰す働き】 使徒12:1‐25
 ヘロデ王(ヘロデ大王の孫)は、自らの人気取りのために国家権力を用いて、使徒ヤコブを殺害した。次にペテロも殺そうと捕えて牢に入れ、厳重に監視させた。脱出不可能な絶体絶命的状況の中、教会はペテロのために神に熱心に祈り続けていた。ペテロが殺されようとしていた前夜、彼は二本の鎖につながれ、兵士たちの間に寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らし、次々と道が開かれて、ペテロは町の通りまで導き出された。その時、ペテロは確かに主が御使いを遣わして、全ての災いから彼を救い出してくださったことを知った。ペテロがマルコの母マリヤの家に行くと、そこには大勢の人が集まって祈っていた。そして、非常に驚き、喜びに満ちた。ペテロは彼らに、主がどのようにして牢から救い出してくださったのかを話し、この事をヤコブたちに知らせるようにと言って、他の所へ出て行った。キリストの弟ヤコブは、この頃にはキリストの十字架と復活によって変えられ、エルサレム教会の中心的人物となっていた。神は、私たちがキリストの御名によって求める祈りに、私たちの思い願いをはるかに越えて、神の御心にかなった大いなる方法で、最善に応えてくださる。それは、神の栄光が現わされ、私たちの喜びが満ち満ちたものとなるためである。全てを主に委ね、神の平安のうちに歩もう。ペテロがいなくなったので、ヘロデは番兵たちを処刑するように命じ、カイザリヤへ下って行った。ヘロデはツロとシドンの人々に強い敵意を抱いていたが、彼らは自分たちの食糧(生活・利益)のために、彼に和解を求めた。和解の祭典の日に、王服を着けて演説するヘロデを、人にへつらう民衆は神として崇めた。ヘロデは人からの称賛を退けず、神に栄光を帰さないで自分に栄光を帰したので、たちまち、神に裁かれ虫にかまれて死んでしまった。ここに、神に逆らう悪魔的高慢な者の最期を見る。それとは対照的に、神を第一とし、神に従い、神の栄光を現わす人々がいた。教会はそのような時代に福音を語り、霊的・物的分かち合いをしていた。そして、神の愛に生きるキリスト者たちによって、宣教はますます拡大した。私たちはいかなる時代や場所に遣わされていても、神の御心を行なう聖い者として、全てのことを神の栄光を現わすためにし、信者にも未信者にもつまずきを与えないように心がけよう。
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