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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2004年3月 |
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| 3月7日 |
【イエス・キリストの御名の権威を行使する】 使徒3:1-26 |
| ペテロとヨハネが、午後三時の祈りの時間に宮に上って行くと、宮の美しの門に生まれつき足のきかない男が施しを求めていた。ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、イエス・キリストの御名の権威を行使し、その男はいやされた。名は、その人の人格と権威を表わす。イエス・キリストには、天においても地においても、いっさいの権威が与えられている。ペテロは、お金や物質によって問題を解決するのではなく、問題の根源的原因を対処し、イエス・キリストの救いによって、問題を解決した。この種の祈りは、神への信仰、命令、人を赦すことによって、直接、真正面からイエス・キリストの御名の権威を行使する祈りである。福音宣教による魂の救いは、金銭的・物質的援助以上に大切である。その男は、歩いたり跳ねたりしながら、神を賛美しつつ、ペテロとヨハネと一緒に宮に入って行った。彼は、単なる体のいやしだけではなく、霊と魂もいやされたのだ。いやしの目的は、神への信仰と賛美、そして、キリストが証しされ、神に栄光が帰されることにある。イエス・キリストの権威は、全ての人を支配し、永遠のいのちを与える。ペテロは、その男のいやしに対する人々の驚きをきっかけとして、福音を語った。そして、イエスに栄光を帰し、イエスの御名への信仰が、この人を完全なからだにしたのだと言った。イスラエル人たちは、無知のゆえにキリストを十字架につけた。神の選びとご計画により、初めに福音を聞いたにも関わらず、それを拒み、神を知ろうとしなかったのである。神を知らない地は、真実と誠実がなく、ただ呪いと欺きと人殺しと盗みと姦通がはびこり、流血に流血が続く。神の知識を退ける民は、神に退けられ滅ぼされることになる。神を知るとは、神を信じるにまさる神との関係であり、それは、永遠のいのちである。神を求める者に、神は、ご自身が主であることを知る心を与えてくださる。そして、神の御心を知る者には、その恵みと特権に伴なう責任と使命とがある。それは、神に従って、人々に御言葉を語ることである。もし、神から離れている人に警告をしないのなら、その人の血の責任を問われることになる。初めに救われた者には、邪悪な生活から神に立ち返り、人々の祝福の基となるという大きな使命があるからだ。神から多く与えられた者は多く求められ、多く任されたものは多く要求されるのである。 |
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| 3月14日 |
【神に聞き従う宣教】 使徒4:1-22 |
| 生まれつき足のきかない四十歳余りの男のいやしを通し、ペテロは人々に福音を語り、男だけで五千人ほどがイエスを信じた。しかし、福音宣教と迫害は同時に起こっていく。なぜなら、この世界にはキリストの支配される国と悪魔の支配する国の二つしか存在せず、そこに、霊的戦いが生じるからである。復活を信じないサドカイ派の祭司たちが、ペテロとヨハネを捕えて留置し、翌日、ユダヤ人議会に引き出した。彼らは、かつてイエスにしたように、“何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか”と尋問した。それに対し、ペテロは聖霊に満たされ、それは十字架につけられ復活されたイエス・キリストの御名により、詩篇のメシヤ預言を引用し、この御名の他に救いはないと大胆に語った。実にこれらのことは、イエスが予告されていたように、迫害の場で、聖霊によって証しをするためであった。ペテロはイエスを死罪に定めた法定で、宗教指導者、知識人、貴族、権力者を前に語った。神は、この世の無学な普通の人を選んで用いてくださる。私たちの誇りは、主イエス・キリストの十字架以外にない。ペテロとヨハネは、イエスの御名による宣教を禁止されても、神に聞き従う方が神の御前に正しく、直接体験したことを話さないわけにはいかないと言った。神に聞き従うことが、第一優先順位である。神への従順は無条件の絶対服従であるが、人への従順は神への従順の範ちゅうでという条件がつく。苦難の中でも、神を愛し神に信頼して従う人は、神に喜ばれ、大きく成長する。時が良くても悪くても、生きるにしても死ぬにしても、神の言葉を大胆に語り、私たちの身を通し、キリストの素晴らしさを証ししよう。 |
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| 3月21日 |
【祈りによってもたらされる大きな恵み】 使徒4:23-37 |
| 釈放されたパウロとヨハネは、教会へ行き、ユダヤ人議会に言われたことを残らず報告した。それを聞いた人々は、心を一つにして、神に向かって祈った。彼らは、創造主なる神に、聖書の預言と成就、神の勝利の約束を用い、迫害の中でも、御言葉を大胆に語らせ、イエスの御名によるしるしと不思議な業を行なえるようにと祈ったのである。その結果、神の群れに大きな恵みが注がれた。神に対する信仰による祈りは、聖霊による超自然的祝福をもたらす。― 集まって祈っていた場所に地震が起こり、一同が聖霊に満たされ、神の言葉を大胆に語った。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強く証しし、大きな恵みが全ての者の上にあった。多くのしるしと不思議な業が行なわれ、信者が増し加えられた。教会に御霊の一致があり、全てのものを共有にし、分かち合っていた。喜んでささげる自発的なささげものが、教会のために用いられた。使徒たちによってバルナバ(かたわらに呼び寄せる・慰め・励まし・勧め・助けを与える性格を表わす)と呼ばれていたヨセフも、畑を売り、代金を使徒たちの足元に置いた。バルナバは後に、教会を迫害していたパウロをを引き受けて人間関係の結び目となり、パウロの一行による世界宣教へと橋渡しした人物である。エルサレム教会は、神への服従の霊に導かれていた。信仰による祈りによって、大きな恵みがもたらされ、教会は建て上げられていく。信仰は、神の言葉を聞くことから始まる。神の御声に聞き従い、信仰の父アブラハムがイサクをささげた完全な信仰へと成長し、神の国の豊かな祝福を受け継ぐ者とされよう。 |
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| 3月28日 |
【神を欺く罪を取り除く】 使徒5:1‐11 |
聖霊に満たされた初代教会の中にも罪が入ってきた。アナニヤ(主は恵み深い)とサッピラ(美しい)という夫婦が、自分たちがささげるべき献金を着服して神の教会を欺いたのである。初代教会には多くの必要があった。しかし、教会は献金を強要せず、私有財産は認められていた。資産や持ち物を売っては代金を使徒たちの足元に置いたのは、信者が神に対して喜んで自発的にささげたからであった。アナニヤとサッピラも地所を売ったが、代金の一部を自分のために残しておき、それが全額だと偽って使徒たちの足元に置いた。彼らは、教会の必要に対する聖霊の示しに故意に心を閉ざし、主のものを自分のために着服した罪によって裁かれた。神は、十分の一をささげることによって、天の窓が開き、祝福が注がれると約束している。十分の一をささげないないことは、神のものを盗んでいることになる。イスラエルの民は律法により、十分の一の他にも、非常に多くのささげものを命じられていた。「ささげると祝福を受ける」という神の祝福の法則の中に生きる者は幸いである。それは、永遠にわたる御国の経済システムであり、神との関係を生き生きとしたものとし、世界救済の神のご計画に属するものである。聖霊による洞察力により、ペテロはアナニヤとサッピラの聖霊を欺く罪を指摘した。
“その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。”ヨハネ16:8
今日、キリスト者は神の神殿とされており、神の御霊が宿っておられる。それゆえ、自分や教会を欺いてはならない。人を欺く情欲によって滅びていく古い人を脱ぎ捨て、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された新しい人(キリスト)を身に着るべきである。それは、日々罪に対してはキリストとともに十字架で死に、神に対してはキリストとともに復活のいのちに生きることによって可能である。神から地上において委ねられた賜物の運用管理について、一人一人が神に問われる時が来る。そのキリストの再臨の日に備えて、神を恐れ、御霊に導かれて歩もう。
“地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。”詩篇24:1
“結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。”伝道者12:13-14 |
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