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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2004年1月 |
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| 1月4日、11日 |
【聖書的教会観)】 エペソ1章-6章 |
エペソ人への手紙から、キリスト者とは何か、教会とは何かを学ぶ。
〔キリスト者とは〕
1.キリストにおいて、天にある全ての霊的祝福を受けた者であり、神の永遠のご計画の中に、
愛をもって神の子どもとしてあらかじめ定められた者である。(エペソ1:3-5)
2.かつては、罪過の中に死んでいた者であったが、今は、あわれみ豊かな神の大きな愛と恵みの
ゆえに、キリスト・イエスとともに生かされ、ともに神の領域である第三の天に座らされた者である。
(エペソ2:4-6)
3.キリスト・イエスにあって、ユダヤ人と異邦人はともに御国の相続者である。(エペソ3:6)
4.アダム以来の罪をもつ古い生まれながらの人を脱ぎ捨て、御霊によって新生し、真理に基づく
義と聖をもって神のかたちに新創造された、キリストを身に着る者である。(エペソ4:22-24)
5.御霊に満たされた者である。(エペソ5:18)その特徴は、キリスト中心の愛と光の生活、
時を贖い出す賢い生き方、賛美と感謝、相手を立てる生活である。
6.キリストを恐れ尊んで、互いに仕え合う者である。(エペソ5:21)ここに社会倫理の基本がある。
キリスト者は、キリストの模範と御霊の内住によって、愛と平和と秩序の神の栄光をあらわし、
社会に影響力を与える者である。
〔教会とは〕
1.キリストのからだなる教会(エペソ1:22-23)〜ここで語られている教会とは、普遍的教会(使徒信条 の聖なる公同の教会、見えざる唯一の教会)のことである。普遍的教会には、時間と空間を超えて、 教会誕生以来のあらゆるキリスト者と、キリスト者の集まりからなる地域教会が含まれている。
かしらなるキリストとキリストのからだなる教会は一体であり、教会はキリストご自身でもある。
2.新しいひとりの人なる教会(エペソ2:14-16)〜教会は、使徒2章の五旬節の日(七週の祭り)に誕 生した。キリストのからだである教会は、ユダヤ人と異邦人からなる。ユダヤ人と異邦人がキリストに おいて一つとされ、ユダヤ人の共同体でも異邦人の共同体でもない、新しい第三の共同体が創造さ れた。
3.神の豊かな知恵を示す教会(エペソ3:10-11)〜御使いの領域である第二の天では、天使と悪魔・ 悪霊の戦いがなされている。天使はキリスト者に仕える霊であり、諸教会に仕えている。教会の 祈りと 宣教において、御使いたちもともに仕え、戦っている。教会を通して示される神の多彩豊富 な驚くべき救いの知恵(知識を運用する能力)は、目に見える地上世界(第一の天である人間の
領域)においてだけではなく、天上においても御使いたちに喜びをわき起こす。そして、御使いたち
とともに神を誉めたたえるのである。
4.愛の共同体なる教会(エペソ4:16)〜キリストのからだは、一体性における多様性がある。キリスト からからだの各器官として、一人一人には異なる賜物が異なる分量で与えられている。からだに
不必要な部分はなく、人と比較する必要もない。御霊の一致を熱心に保ち、愛によって結び合わさ れて、各自が自分に与えられている分を忠実に果たす時、教会はかしらなるキリストに向かって
成長し、建て上げられていく。
5.キリストの花嫁なる栄光の教会(エペソ5:26-27)〜エバがアダムから出たように、キリストの花嫁 なる教会はキリストから出た。それゆえ、天の性質のみで造られるものである。教会は、神の権威 と祝福をもって地を支配するという人間の創造目的を回復し、キリストの勝利によって、悪魔のしわ
ざを打ち壊し、地上に神の国をもたらす使命がある。
6.神の軍隊なる教会(エペソ6:10-11)〜信仰生活は悪魔の軍勢との霊的戦いであり、神の全ての
武具(防御と攻撃)を身に着けて、格闘の姿勢を保たなければならない。御霊の与える剣である
神の言葉と御霊による祈り、それが攻撃の武具である。キリストは十字架の死によって悪魔という 死の力をもつ者を滅ぼし、人々を悪魔の支配から神の支配へと移し、勝利と解放を与えてくださる。
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| 1月18日 |
【教会の完成時に起こること(1)】 ローマ11章 |
“信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。” ヘブル12:2
教会には始まりがあり、完成がある。御霊によって始められたことが、御霊によって栄光から栄光へとキリストと同じ姿へ変えられ行き、完成にまで至るのだ。イエスは、“あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。”と言われた。また、パウロは、うしろのものを忘れ、神の栄冠を得るために一心に走っていると語っている。私たちは、すでに達しているところを基準として進む者ではあるが、キリストを目標とする。新約時代になって初めて明らかにされた神の奥義の一つは、異邦人の完成のなる時、イスラエルの国家的救い(完成)が起こるということである。異邦人の完成とは、福音が全世界に宣べ伝えられて、全ての国民に証しされること(マタイ24:14)、そして、あらゆる国の人々がキリストの弟子とされることである(マタイ28:19‐20)。それは、教会が建て上げられ、あらゆる点において成長し、完全におとなになって、キリストに達するということである(エペソ4:11‐16)。キリストは羊がいのちを得、それを豊かにもつために来られた。私たちが救われ、キリストのいのちあふれる豊かな生活をすることは、神の御心であり、伝道につながる。神の知恵と知識との富は、底知れず深く、その道は測り知りがたい。しかし、主の御心とご計画を少しでも伺い知るなら、喜んで従おう。エルサレムから始まった福音宣教が西回りに世界一周し、再びエルサレムに届けられるという世界宣教観をもち、異邦人伝道に励み、教会を建て上げよう。そして、異邦人ルツがキリストの系図に入れられたように、イスラエルの救いのために働こう。なぜなら、全てのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからである。この神に栄光がとこしえにあるように。アーメン。 |
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| 1月25日 |
【教会の完成時に起こること(2)】 ローマ11章 |
| “その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。”(ローマ11:25-26) 異邦人の完成のなる時、イスラエルは国家的に悔い改め、イスラエルの救いは一日のうちに一瞬にしてもたらされる(イザヤ66:8、ゼカリヤ3:9)。主がイスラエルの不義を一日のうちに取り除かれるからである。イスラエルの救いの型となった人物が二人いる。それは、パウロとヤコブである。教会を激しく迫害していたパウロは、ダマスコ途上、光に打たれてキリストと出会い回心した。そして、諸国の民の光として宣教し、多くの苦難を通った。ヤコブ(かかとをつかむ、押しのける者)は、長子の権利を兄エサウから奪い取ったが、敵に囲まれ苦難の中にあった。ペヌエル(神の御顔)における祈りの格闘の末、神の祝福を得、その名をイスラエル(神が戦う、神が守ってくれる人)に変えられた。ヤコブは神と和解した後、エサウと和解することができた。〜イスラエルが神と和解した後、世界の平和がやって来る。エルサレム(平和の基)は高く上げられ、全ての国々がそこに流れて来、世界の中心となる。それは、キリストが王座を据えて世界を治め、エルサレム(シオン)から主の御言葉が出るからだ(イザヤ2:2-5)。“起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。”イザヤ60:1 外国人も再建に仕え、エルサレムは主の町と呼ばれ、永遠の誇り、世々の喜びの町に変えられる。民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有する。 “時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。”イザヤ60:22 神とイスラエルの関係を見る時、神の永遠の愛、誠実、あわれみ、恵みとまこと、赦し、回復を知ることができる。そして、私たちも同じ主イエス・キリストを信じる信仰によって、ともに神の約束に与り、神の国を受け継ぐ者とされたのだ。 “神の賜物と召命は変わることがありません。”ローマ11:29 |
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