 |
| |
| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
| |
| 2003年10月 |
|
| 10月5日 |
【贖罪の日〜イスラエルの国家的救い】 レビ23:26-32 |
| 第七月の十日は、「贖罪の日」の聖なる会合である。贖罪の日には、二つの中心的な意味がある。 一.イスラエルの国家的贖いの日である。この日、イスラエル民族全体の罪のために、一頭のやぎがほふられ、その血をもって大祭司は、一年に一度至聖所に入り、民の罪のために贖いをした。もう一頭のやぎは、アザゼル(取り除くの意味)として、イスラエルの民の罪を負わされ、荒野に放たれた。贖罪の日の動物犠牲は、キリストの十字架の犠牲によって成就した。血を注ぎ出すことなしには、罪の赦しはない。キリストは大祭司であられ、ご自分の血によって、ただ一度、まことの至聖所に入られ、永遠の贖いを成し遂げられた。私たちのために、まことの聖所への新しい生ける道を開いてくださったのだ。二.個人的に心を痛め、罪を悔い改める日である。贖罪の日は国家的贖いの日であるが、贖いの効果は、個人的に心を痛め罪を悔い改める人にのみ発揮される。このことは、イエス・キリストが全人類の罪の贖いのために死んでくださったが、その効力が発揮され救われるのは、その事実を受け入れ、罪を悔い改めた人のみであるのと同じである。これからやって来る患難時代の終わりには、イスラエルは霊・魂・肉体において、苦痛を受ける。そして、イスラエルは罪を悔い改め、国家的な救いの日を迎える。贖罪の日のイスラエルの国家的贖いと個人的悔い改めは、患難時代とイスラエルの国家的悔い改めをもって成就する。キリストがすでに成し遂げてくださった罪からの贖いを、罪を悔い改めて、私たちの霊・魂・肉体・家系・地域・国家に適用していこう。主は豊かな恵みとあわれみをもって、私たちの罪を赦し、神との和解、罪からの解放、聖霊の満たし、病のいやし、創造時の状態への回復、幸い、祝福、栄光、永遠のいのち、キリストにある全ての良きもので私たちを満たし、救いを完成してくださる。そしてそれは、イスラエルの国家的救いとキリストのご再臨の道を備えることになる。 |
| メッセージのトップへ戻る |
|
| 10月12日 |
【仮庵の祭り〜地上の幕屋と天にある永遠の家】 レビ23:33-44 |
| 第七月の一五日から七日間プラス一日は、主の仮庵の祭りである。エルサレムで祝われる三大祭りは、それぞれエルサレムの地において成就する〜過越の祭り→キリストの十字架の死、七週の祭り→聖霊のバプテスマによる教会誕生、仮庵の祭り→キリストの再臨と千年王国。仮庵の祭りは、キリストの初臨と再臨、また天国における霊的現実をあらわす祭りであり、仮庵に住み、出エジプトしたイスラエルの民が、荒野で過ごした四十年間の神の恵みを覚える〜天に故郷をもつ私たちは、地上では旅人であり寄留者である。地上の幕屋である命は儚いものだが、キリストを信じる者には天にある永遠の家が与えられる。教会においては、天が開かれ、聖霊が自由に働き、ダビデの幕屋(賛美礼拝)が回復し、異邦人とイスラエルがリバイバルする。新天新地における神の幕屋では、神が人とともに住まわれ、もはや死も、悲しみ、叫び、苦しみもない。仮庵の祭りには、しゅろの枝を持ってハレル(メシヤ的詩篇113篇-118篇)を賛美し、メシヤと神の国を待望するが、天国では、世界の数えきれない程の大群衆が、しゅろの枝を持って神を賛美している。仮庵の祭りは、収穫の喜びの祭りである。イエス時代、最終日の大いなるホサナの日に、神殿の祭壇の土台の鉢に水が注がれると、民は大きな喜びの声をあげた。それは、終わりの時代にイスラエルに聖霊が注がれる預言を表わした。イエスを信じる者は、心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになる。主イエスの再臨される時、エルサレムから湧き水が流れ出る。新天新地では、神と小羊の御座から水晶のように光るいのちの水の川が流れている。イエス時代、神殿にはランプが灯され、神の栄光を表わした。イエスはまことの光、神の栄光であられる。イエスがエルサレムに再臨される日、夕暮れ時に光がある。新天新地では、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりである。太陽も月もいらず、もはや夜もない。仮庵の祭りには、全世界の民の回心をも願って、多くの動物犠牲(過越の祭りの二倍)がささげられた。ゼカリヤ14章に預言されているので、ユダヤ人たちは仮庵の祭りは異邦人もともに祝うべきだと考えている。主イエスが再臨されると、生き残った全ての民は、毎年、万軍の主である王イエスを礼拝し、仮庵の祭りを祝うために、エルサレムに上って来る。上って来ない民には、神の刑罰が下る。 |
| メッセージのトップへ戻る |
|
| 10月19日 |
【共同体における祭司の務め】 マタイ23:23-39 |
| 教会という愛の共同体において、最も大切なのは、正義とあわれみと誠実である。十分の一献金の意義もそこにある。“地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。”詩篇24:1
本来、神のものを喜んで神にお返えしし、キリストの教会のために用いていくのだ。“人はうわべを見るが、主は心を見る。”Tサムエル16:7 心を見通される神の御前に、心砕かれ、へりくだって、生かされよう。私たちのきよさ、正しさは、外側ではなく、心の内側から流れ出る。それは、いのちの御霊の働きである。イエスは、偽善の律法学者、パリサイ派の人たちに、先祖からの積み重なる正しい血を流した罪の報復が、あなたがたの時代の上に来ると言われた。ここに連帯性の論理がある。アダムによって、全ての人が罪を負う者とされた(原罪)。キリストの十字架の贖いによって、信じる全ての人が義と認められ、罪から救われる。連帯性の罪というものがある。キリストを十字架につけたのは、私の罪のためだった。先祖、国家、人類の罪の報いが自分と無関係ではなく、今の時代や後の時代の上に重くのしかかっている。だから、破れ口に立ち、私たちは祭司の務めを果たさなければならない。祭司とは、神と人との仲介者であり、神と人との和解と交わりのためにとりなしをする。とりなしとは他人に代わって祈ることであり、本来、神の創造の御業においてその人に与えられ備えられていたが、現在、失われている地位と立場が回復され、贖われることを目指す。破れ口に立つ者は、敵と戦いながら破れ口を修復するという、二重の責任がある。実に本来、イスラエルは“祭司の王国”として、教会は“王である祭司”として、神に召されているものである。その祭司の務めの使命を、神に遣わされた場所で、忠実に果たしていこう。連帯性の罪を悔い改め、神の御顔を慕い求めて、この地に赦しといやしを頂こう。神は、永遠の愛をもってイスラエルを愛し、再び建て直してくださる。イスラエルの民が国家的に悔い改め、“祝福あれ。主の御名によって来られる方に。”と言って、メシヤなるイエスを喜び迎える日が、やがて来る。そして、イスラエルの救いは、異邦人に更に大きな祝福をもたらす。私たちは、イエス・キリストを土台とし、霊の家である教会に生ける石として築き上げられ、御霊によって、としなしの祈りをしよう。それは、大祭司であられるキリストが、今も神の右の御座でなしておられる、聖なる祭司の務めである。 |
| メッセージのトップへ戻る |
|
| 10月26日 |
【世の終わりに福音を宣べ伝える】 マタイ24:1-28 |
| キリストが再臨される世の終わりには、様々な前兆がある。一つは、エルサレム神殿の破壊である。イエス時代、ヘロデ大王によって、エルサレム神殿は大理石や金箔を用いた壮麗な建物であった。その立派な神殿が、紀元70年に皇帝礼拝をするローマ軍によって、完全に破壊されてしまった。“異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。”ルカ21:24 という御言葉のとおり、今日に至るまで、エルサレムの地は異教の神礼拝によって汚され攻撃され続けている。神の国到来による新しい創造の予兆として、産みの苦しみの初めとなる世の終わりの前兆が他にも幾つかある。一.偽キリストの出現:様々な苦難と救世主を待望する人々の思いに乗じて、偽キリストが現われ、多くの人を惑わす。二.戦争:世界的国家秩序の混乱。三.飢饉と地震:自然秩序の混乱。四.キリストの弟子への外部からの迫害。五.クリスチャン内部からの背教と堕落:つまずき、裏切り、憎しみ、偽預言者の出現、不法、愛が冷たくなる。六.福音の世界宣教:迫害と背教の中で、福音は全世界に前進し、全ての国民に証しされる(全ての人が福音を聞き、キリストを信じるわけではないが)。キリストの再臨は、一瞬の出来事であり、誰にでもすぐわかる。キリストは報いを携えて、花嫁なる教会を迎えに、また、世界を裁くために来られる。私たちはその日その時まで、様々な苦難の中でも福音を全ての人に宣べ伝え、ユダヤ人と異邦人からなる教会を建て上げる働き人とされよう。 |
| メッセージのトップへ戻る |
| |
 |