| イエスは公生涯でただ一度、異邦人の地ツロとシドン(罪の町)へ立ちのかれた。ユダヤ人の反対が強まっていたので、安らぎを得られるため、また、十字架への準備をされるためだったと思われる。そこで、カナン人(イスラエルの敵)の女の悪霊につかれた娘をいやされた。イエスは最初、この女の願いを無視され、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と断られた。神の救済計画(御国の福音は、まず初めにイスラエルに提供される)によって、イエスと弟子たちの伝道範囲は、イスラエルに絞られていた。それが、イエスの地上での一貫した宣教方針であった。しかし、女は更にイエスの御前にひれ伏し、「主よ。私をお助けください。」と礼拝しつつ祈った。イエスは、「子どもたち(イスラエル人)のパンを取り上げて、子犬(異邦人)に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。イエスは子犬(異邦人)より先に、子どもたち(イスラエル人)を養わなければならなかった。“子犬”とは、野良犬ではなくペットの犬であり、ユダヤ人の間に住む、または、ユダヤ人と関わりをもつ異邦人のことを表わすイエスの愛のある表現であった。女は、「主よ。そのとおりです。ただ、子犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と、イエスのイスラエルへの第一義的使命を理解した上で、謙遜と信仰をもってイエスに応えた。イエスは、「あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」と言われ、彼女の娘をいやされた。カナン人の女は、大きな信仰を表わし、豊かな恵みを受けた。彼女の特徴は、御言葉の正しい理解、神への信頼と服従、愛と忍耐、明朗さなどである。それからイエスは、異邦人の地デカポリス地方で多くの病人をいやされ、それを見た群衆は、イスラエルの神を崇めた。その頃、イエスは空腹な群衆をかわいそうに思われた。イエスは魂の救いだけではなく、肉体の必要をも顧みられる方である。神のあわれみは、人間のあらゆる必要を満たす。弟子たちがこのことに否定的だったのは、先のパンの奇蹟から学んでいない心の鈍さと異邦人に対する配慮のなさゆえである。イエスは異邦人にもパンの奇蹟を行なわれ、ご自分がユダヤ人のメシヤだけではなく、異邦人のメシヤでもあることを示された。今回も、七つのパンと少しの魚というわずかなものが、主の御許へささげられ、裂かれ、大きな祝福となった。主の愛とあわれみが、弟子たちを通して多くの悩み苦しみにある人々に及んだ。自分自身というわずかなものを主の御許へ行ってささげるなら、主は大いに祝福され、人々の必要にために、私たちを用いて、ご自身のものを与えてくださる。キリスト者には、他者の幸せのためにキリストを与え、奉仕する使命がある。 |