上記のボドには1965年 (オネゲル没後10年記念) に録音された素晴らしい演奏があります。
管弦楽編成は、改訂される前の原編成にもとずいて演奏されています。(何故改訂版で再録したんだろう)
日本では当時「コンサート・ホール・ソサエティ」という通販専門の会社があり、そこから発売されました。
(蛇足ですが、ここから伝説のブーレーズ指揮「春の祭典」が発売されています) CD化もされてるようですが
(ACCO 20082-2 /1999.5)、多分入手は難しいでしょうね。 もし、どこかで(中古店ででも)見つけられたら、即手に入れて私に連絡を
(^^;
特に第12曲「呪文(まじない)」で巫女が、サムエルを冥界から呼び起こす場面は最高の聴きどころです。
巫女の声は、あるいは低く、あるいは高く、次第に狂乱しクライマックスを盛り上げます。 すべての音響が静止したとき、サムエルの声が奈落の底から響いてきます。
"汝は何故に我を呼び起こし、我を煩わすや?" ( Pourquoi m'as-tu trouble pour me faire
monter? ) という箇所、何度聴いても背筋がゾクッとします。 でも何故か、このサムエルの語りの部分
(L'Ombre de Samuel) が、他の盤では無いんです。 どうしてなんでしょう。どなたかご存じのかた、ぜひ教えて下さい。
全3部27曲からなり、語り手が旧約聖書「サムエル記」に書かれている ダビデの事蹟を要約しながら語り進める
第一部 (サムエル記 上第16章~下第1章に基づく)
1:序奏 2:羊飼いダビデの歌 3:詩篇「主は讃えられよ」 3b:ファンファーレ・ゴリアテの入場 4:勝利の歌 5:行列 6:詩篇「恐れてはならない」 7:詩篇「鳩のように翼があれば」
8:予言者の歌 9:詩篇「神よ、我を哀れみたまえ」 10:サウルの陣営 11:詩篇「神はわが永久の光」 12:呪文(まじない) 13:ペリシテ人の行進 14:ギルボアの嘆き
プロローグにはじまり ダビデの生い立ち、羊飼いの少年ダビデの歌う素朴な神への賛歌
石の礫を投げ一撃のもとに倒したゴリアテとの戦い 若い世継ぎダビデの下に集まる人々の動きを見たサウル王の嫉妬
ダビデは荒野に逃れ予言者のもとへ行き、苦難にたえ成長していく ダビデを追って野営したサウルが、寝ているところをダビデに殺される変りに槍と壺を奪われる
ダビデはペリシテに逃れるが、ペリシテとイスラエルに戦がおき、戦いに利なきを知ったサウルは みずから巫女のもとに行き、予言者サムエルの霊を呼び出し、サウルは自分の終焉を知る
ペリシテは戦に勝つが、ダビデはサウルとその子ヨナタンの死を聞き、ギルボアの丘で号泣する
第二部 (サムエル記 下第2章~下第6章に基づく)
15:祭りの歌 16:聖櫃の前の踊り
イスラエルの王となったダビデの戴冠の祝賀の音楽
イスラエルの娘たちは、失われた民族の栄光をダビデに見いだし、新しい王を讃えて歌う 国中の民が集まり、神によみされたダビデ王の戴冠を祝い歌う。 (「ダビデ王」全曲の中で一番壮大な部分)
第三部 (サムエル記 下第7章~第24章・列王記 第1章~第2章に基づく)
17:賛美の歌 18:召使の歌 19:懺悔の詩篇「神よ哀れみたまえ」
20:詩篇「私は罪の子として宿り」 21:ダビデの詩篇「私は山に向かって目をあげる」 22:エフライムの歌 23:ヘブライ人の行進 24:ダビデの詩篇「やさしい愛の心で主を愛す」
25:詩篇「この恐ろしさの中に」 26:ソロモンの戴冠式 27:ダビデ王の死
王となったダビデの数々の事蹟が語られる 権威の絶頂となったダビデ、だがその王の心にも邪念が忍び寄り
沐浴するバテシバの美しさに心を惑わし、その夫ウリアから奪いさり王妃にくわえた 神エホバの怒りがくだり、最愛の子アブサロムが父にそむき反乱を起こす
叛徒たちはアブサロムの森に鎮圧されたが、ダビデは殺された我が子を傷んで泣く ダビデは廻りの反対を押しきり民の数をかぞえたことで、もう一度神の怒りに触れた
人民は疫病に苦しむが、ダビデは壮麗な宮殿を建立しエホバの怒りを和らげる ダビデはやがて年老い、イスラエルの地には平和が満ち、その館は黄金で飾られる
パテシバの子ソロモンに王位を譲ったダビデは、新王の戴冠式を見下ろし ソロモンへの歓喜の声を聞きながら、この世の全てを成し終えたことを知り
静かに神殿に横たわり、この世とこの世の至高者とを賛美しつつ生涯を閉じる
|