Tsuki.



― 月よ、我に力と希望を与えよ。そしてその祝福を祈らん。 ―

〜 第一夜・人間 〜
今日は新月(ニュームーン)。
外は天気なのに、月は出ていない。
私は深呼吸をして、窓を閉めた。

〜 第一夜・天使 〜
闇夜に不思議な影。
中空に浮いている。
鳥には見えない。
白い翼は、優に2メートルはあるだろう。
それは鳥の身体ではなく、人間とおぼしき身体についていた。
「天使」。
そう呼ぶに相応しかった。
その翼のついた人間は、藍色のスーツを身に纏っている。
その名を「ラハマイエル」。
月の守護を受ける天使。
『新月(ニュームーン)か・・・道理で力が出ないはずだ』
とても美しい声で、彼はつぶやいた。
そのつぶやきは、風に乗っててどこかに消える。
しばらくは地上を見下ろしていた彼も、やがて漆黒の闇に消えた。

〜 第二夜・人間 〜
今日は予報では曇りだった。
でも、夕焼けの空には白い月(ホワイトムーン)が見える。
月はほんの少ししか出ていないけれど、それも綺麗だ。
頬杖をつきながら、私は月を眺め始める。
「月よ、我に力と希望を与えよ」
何気なく私はつぶやいた。

〜 第二夜・天使 〜
『月よ、我に力と希望を与えよ』
彼は今日、この言葉を幾度となく唱えていた。
森の中で。
湖のほとりで。
高い建物の上で。
そう唱えるたびに、心が落ち着くのだ。
『月よ、我に力と希望を与えよ』
もう一度唱えた時、彼は耳を疑った。
誰かは分からないけれど、今、自分と同調(シンクロ)した者がいる。
まさか・・・人間?
彼は喜びとともに、不安を抱いた。
仲間がいる、それ自体は喜ばしいことだ。
しかし、人間となれば別。
同調(シンクロ)出来ると言うことは、すなわち我々の世界により近い者。
「死期の近い純粋な心の持ち主」。
彼は死というものが嫌いだった。
夢、希望、未来・・・死はいろいろなものを失う。
喜怒哀楽といった感情が無い彼も、これだけは嫌いなのだ。
間違いであることを願いながら、彼は消えた。

〜 第三夜・人間 〜
私は今、病室にいる。
もともと悪かった心臓が、急に悪化したのだ。
今日は三日月(クレセント)。
暗くなってきた空に浮かぶのが見えた。
点滴の管を気にしながら窓を開ける。
まだ頼りないけれど、それでも出ていないよりはいい。
「月よ、我に力と希望を」
また、その言葉を口にする。
明日も晴れるといいなと思いながら、私はベッドに戻った。

〜 第三夜・天使 〜
ラハマイエルは上空から波長を感じとっていた。
昨日の同調(シンクロ)した相手を捜すためだ。
相手の命がどれくらいもつかによって変わってくる。
できればまだ間に合うぐらいでいてほしい。
その可能性はかなり低いけれど。
まだ命がもつのであれば、運命を変えることもできる。
それに、相手は多分まだ子供だろう。
まだ出たばかりの芽をわざわざ摘むことはない。
そう考えているうちに、ひとつの魂が彼のそばを通って昇っていった。
子供のものである。
病院の方から来たようであった。
『月よ、この魂に祝福を』
祈りを捧げ、魂を導いてやる。
頼りなげな魂は、ゆっくりと昇っていった。
それを見送った彼の耳に、祈りの声が聞こえた。
「月よ、我に力と希望を与えよ」
今度は間違いなく聞こえた。
さっき昇っていった魂の来た病院からだ。
病院の方を見る。
ひとつだけ窓が開いている部屋。
子供・・・女の子だ。
入院している。
多分もう長くはないだろう。
とにかく、もう一度確認しなければ。
その女の子が窓を閉めるのと同時に、彼の姿は消えた。

〜 第四夜・人間 〜
今日も晴れ。
明日からは天気が崩れるらしい。
だったらなおさら見ておかなければ。
そう思って私は窓を開けた。
次の瞬間、私は驚いた。
「天使」が目の前にいたのだ。

〜 第四夜・天使 〜
ラハマイエルは病院の屋上にいた。
暗くなり始めている空に、今日も月が見える。
『今日も夕闇に月が映えている』
彼は感嘆の言葉を洩らした。
そろそろだな、と彼のつぶやく声。
屋上から降りて彼女の病室の窓に移る。
ちょうどその時、彼女が窓を開けた。

― 月よ、この神の子に祝福を。 ―

〜 第四夜・人間 〜
「・・・て・・・天使?」
私はあまりに驚いて、それだけしか言えなかった。
すると、藍色のスーツを着た天使は、一瞬体をこわばらせた。
でもそれも一瞬だけで、今度は微笑んだ。
まさに天使の微笑み。
『月よ、この神の子に祝福を』
天使がそう言った時、突然風が吹いた。
再び目を開けた時には、天使の姿はなかった。

〜 第四夜・天使 〜
「・・・て・・・天使?」
窓の外に彼の姿を見た彼女はそう言った。
彼は戦慄した。
彼の姿が見える、という事は彼女は天使になりかけているのだ。
だが、それを気取られてはいけないと思い彼は微笑んだ。
悲しみを含んだ微笑みを。
『月よ、この神の子に祝福を』
祝福を贈る事が、彼に唯一できる事だった。

〜 第五夜・人間 〜
予報の通り、今日は雨だった。
でも今は外の事を気にしてはいられなかった。
昨日の「天使」の微笑みが気になる。
笑っているのに、どこか悲しげだったのは気のせいだろうか・・・

〜 第五夜・天使 〜
ラハマイエルは雲の上にいた。
そこなら月の光があるからだ。
しかし、地上には届いてはいまい。
彼女は大丈夫だろうか。
何も出来ないが、せめて彼女を見守ってやろう。
彼はそう決意した。

〜 第六夜・人間 〜
今日は一日中検査をしていた。
近く手術をするらしい。
ちらりと見た窓の外には、雨が静かに降っていた。
「月よ、我に力と希望を与えよ」
心の中で唱えた言葉は、月まで届くだろうか・・・。

〜 第六夜・天使 〜
彼は病院の窓から彼女の様子を見ていた。
あまり関わってはいけないと分かっていても。
『彼女の命、もって満月(フルムーン)まで・・か』

〜 第七夜・人間 〜
今日は雨が激しく降っている。
そのせいなのかは分からないけれど、ベッドから起き上がれない。
ベッドの中で、あの天使の事を考えていた。
彼は一体何をしに私のところへ?
導き出した答え、それは
「天から私を迎えに来た者」・・・。

〜 第七夜・天使 〜
雲の上で月光を浴びながら、彼は考えていた。
自分はなぜそこまでに彼女にこだわるのだろうか、と。
何かつながりがあるのだろうか。
全ての答えを導く事はまだできない。
『月よ、我に知恵を。そして答えを・・・』

〜 第八夜・人間 〜
今日は何があったろう・・・。
天気は・・・どしゃ降りの雨。
私は何をしていたっけ。
そう・・・ずっと薬で寝ていたんだ。
まだボーッとしている私の耳元には、雨音が激しく聞こえていた。

〜 第八夜・天使 〜
彼は考え続けた。
彼女に執着する理由。
そして今自分が何をすべきかを。
その答えが出せないままに、彼女を死なせる事はできない。
だいぶふくらんできた月を見る。
『月よ、その光と力を一人の神の子に』
彼の祈りは通じるだろうか。

〜 第九夜・人間 〜
今日はだいぶ気分がいい。
雨が弱くなったからだろうか。
今日はいろいろなことを聞いた。
明後日は晴れるという事。
気分が良いようなら少しだけ動いてもよい事。
手術を一週間後におこなう事。
手術の話を聞いて私は少しふてくされた。
一週間後といったら満月(フルムーン)ではないか。
一週間後の天気の予報は・・・快晴。
せっかくの満月(フルムーン)が見られないのが悔しい。
「もしかしたら、最後になるかもしれない・・・」
不安がつい口に出た。
不安が重くのしかかる。
「月よ・・・我に力と希望を・・・」

〜 第九夜・天使 〜
ラハマイエルは落ち着かなかった。
日に日に不安が心に募った。
嫌な予感がする。
月はとても綺麗なのに、凶事が起こる予感。
『主よ、我らを救い給え・・・月よ、我に力と希望を・・・主よ・・・』
彼が懸命に祈る姿は、どう映るのであろう・・・。

〜 第十夜・人間 〜
十日め。
月はだいぶ出てきている事だろう。
そう思うと、とても月が恋しくなった。

〜 第十夜・天使 〜
彼の胸騒ぎは抑えきれぬものになっていた。
その胸騒ぎは、何かを警告するという事ではないようだった。
ぬぐいきれぬ不安を抱き、彼は困惑した。
この感じは、既視感(デジャ・ビュ)・・・?

〜 第十ー夜・人間 〜
私は機嫌がよかった。
五日ぶりに月が見られるからだ。
窓は開けられないけれど、月が見られるだけいい。
彼女はうれしそうに月を眺めていた。

〜 第十ー夜・天使 〜
久しぶりに雲が晴れた。
彼女は月を眺めているのだろうか。
月を眺めれば、彼女の体力も少しは回復するだろう。
『月よ、神の子に祝福を・・・』
彼は小さくつぶやいた。

〜 第十二夜・人間 〜
最近調子が悪い。
薬をもらえば少し良くはなるけれど、それも一時的なもの。
反動でもっと悪くなる時もある。
体を動かすのは億劫なので、窓越しにしか月を見られない。
私は悔しくて、涙を流した。

〜 第十二夜・天使 〜
あと三日。
満月(フルムーン)まであと三日だ。
ラハマイエルは苛立ちを露にした。
彼女はみるみる衰えてゆく。
反対に月はどんどん満ちてゆく。
まるで生命を吸い取られているかの様だ。
それに・・・ほかにも気に掛かる事がある。
この様な状況・・・どこかで同じ事が起こった様な気がする。
これとまったく同じ事が。
どこだろう。
いつだろう。
考えれば考えるほど分からなくなる。
しかし、日が経つにつれて彼の既視感(デジャ・ビュ)はがぜん現実味を増していった。

〜 第十三夜・人間 〜
私は死ぬかも知れない。
私はそう思った。
あの夜の天使。
最近の体調。
そして、あの時天使が言った言葉とあの祈りの言葉。
『月よ、この神の子に祝福を』、「月よ、我に力と希望を与えよ」
神の子・・・イコール天使。
天使・・・イコール死。
そう考えない様にはしていたけれど、一番つじつまが合うと思った。
月が、一層輝いてきた。

〜 第十三夜・天使 〜
月が昇るのと時を同じくして、ラハマイエルも現れた。
今日の月もまた一段と綺麗だ。
彼は彼女のために祈った。
『月よ。その美しき光であの神の子を守り給え』
彼の祈りは、風に乗って消えた。

〜 第十四夜・人間 〜
今日は雲が少し出ている。
そのせいで月が見え隠れしている。
小さな頃、それを見て私が言った言葉。
「お月様が隠れんぼしてる」
月が見られるのも今日で最後なのだろうか。
明日は手術がある。
みんな心配はないといっているけれど、私はとても不安だった。
「月よ、我に力と希望を与えよ」
少し、元気になったような気がした。

〜 第十四夜・天使 〜
ラハマイエルは力なく樹の上に立っていた。
自分の力を彼女に送っているからだった。
『月よ・・・あの神の子に力を・・・』
弱々しく唱える。
だが、いくら彼が彼女に力を送っても無駄だった。
彼女は徐々に弱っていた。
『・・・っつ・・・!』
彼は月が見えなくなるまで、そこでうなだれていた。

― 満月(フルムーン)、新しい天使の誕生、心の崩壊 ―

〜 第十五夜・人間 〜
私は手術室で手術を受けていた。
麻酔がまわって記憶はない。
少しまわりで何か叫んでいるのが聞こえる。
とはいっても何を言っているのかなんて分からない。
頭の中で反芻しているのはあの言葉。
「月よ、我に力と希望を与えよ」
でも、何だか考えることもままならなくなってきた。
頭の中で描いていた景色も。
昨日喋っていたことも。
すべてが消えていくようだった。
何も考えられない。
闇の中に取り残されたよう。
聞こえてくるのはあの言葉だけ・・・。
私は叫んだ。
「月よ、我に力と希望を与えよ・・・!」
途端に体が軽くなる。
遠くから声が聞こえる。
『お前の魂は清く美しい。死してなおその輝きを失わない』
あの天使に似た声。
『お前を月の守護を受ける天使とする。お前の名はサミエルだ』
私は、サミエル・・・。

〜 第十五夜・天使 〜
『・・・・・・・』
彼は手術室の隅に立っていた。
誰も気がつかなかった。
最初は落ち着きを払っていた医者たちが、突然慌て出した。
「心電図、フラットです!!」
「脈拍が・・・先生!」
「心マッサージ、急いで!!」
「静脈注射っ!心電図は!?」
「フラット!」
「下がって!・・・だめだ、もう一度!!」
その様子を見ていた彼は、あの既視感(デジャ・ビュ)の事を考えた。
これは・・・?
目の前の光景を追っていくうち、彼は気付いた。
だいぶ昔の記憶。
そう、あれは・・・。
『あれは・・・私と同じだ・・・私が死ぬ時の、光景・・・』
彼はすべてを思い出しつつあった。
私も心臓が弱かった。
月が好きだった。
そして、月の丸い日に・・・。
満月(フルムーン)の、夜に・・・。

すべてを知った彼は、絶望した。

― 月の守護を受ける天使たちよ。汝らが健やかにあるように。 ―

〜 最終夜・天使達 〜
ラハマイエルは湖のほとりで月の光を浴びていた。
彼女の死と自分の前世の記憶で絶望の淵にいた。
『ラハマイエル』
後ろから突然名前を呼ばれる。
振り向くと、そこにはサミエルが立っていた。
その姿は、あの時の少女だった。
彼は驚いた。
『サミエル。あなたと同じ「月の天使」です』
その言葉を聞いた彼は、サミエルをきつく抱きしめた。
『サミエルか・・・良い名だ』
彼の頬には、涙がつたっていた。


月の良く照る晩には外に出て。
月の光を浴びながら散歩して。
月は何もかも癒してくれるはずだから。
Fin

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