MIST.

〜MIST〜 霧の街で見たもの

1 flower
一瞬のことだった。カイは焦った。まさかこんなことになるなんて。自分の不注意だった。光るライトはカイの瞳には映らず、手の花は宙に舞った。

「カイ?カイ?」
呼ばれているのは分かっていた。でも、体がいうことを聞かない。それにしても違和感があった。自分の体じゃないような・・・。
「・・・母さん?」
生まれて初めて喋るような感覚。本当にここにいるのは自分だろうか。
「ああ、良かった。本当に・・・。」
「一体何があったの?」
言った途端に、自分の声の変化に気がついた。声が甲高い。なぜ?
「いいのよ。あとでゆっくり説明する。だから今は休んで。」
「でも・・・。」
それ以上はもう何も覚えていない。そのまま、眩暈と共に広がる孤独感に一人怯えていた。
 気がつけば朝。寝過ごしたのではと焦り、ようやく今いる場所が病院だということを知る。母が入ってきた。
「ねぇ、何があったの?」
母は気まずそうだったが、どうしても気になって問い掛ける。
「・・・交通事故よ。」
ああそうか、とぼんやり思いながら姉がいないのに気がつく。
「姉さんは?一番に飛んで来そうなのに。」
ふと口をついて出た言葉だったが、この質問はあまりにも残酷だったと後で思った。
母が突然泣き出してしまった。
「ミカは・・・。ミカは・・・。」
声に力が入らず、言いよどむ。
「あなたが運ばれてきたときには・・・。」
母は泣きながら話すので途切れ途切れで聞こえづらく、正確には分からなかった。とりあえず僕は交通事故に遭って瀕死の状態で病院に運ばれたらしい。
「ミカはあなたの身代わりになるといった・・・。」
「・・・え?」
「あなたの脳は辛うじて生きていた・・・。だから、ミカの体にあなたの脳を移し替えたのよ・・・。」
そんなことがあるはずがない。これではまるでSFの世界ではないか。いくら身内とはいえ、体ごと全部なんてあり得ない。
「嘘だ。」
「本当よ。」
「夢だよ。」
「夢じゃないわ。」
「・・・そんな・・・。」
嘘の様な話と慕っていた姉がいないことで頭が混乱してしまっていた。いつも僕のことを考えていてくれた姉がいない。今、姉の体は僕のものになっていた・・・。



2 fact
それから3日が経った。
母の話では、あれ以上のことは分からなかった。
いくら気の強い母とはいえ、娘の死には耐えられなかったらしい。それからも話しはしたのだが、泣きながらだったので要領を得なかった。
でも、僕はもっとちゃんとしたことが知りたかった。全てを正確に把握できる者を待っていた。

「気分はいかがですか?藤沢・・・ミカさん。」
「まあまあ、です。」
姉の名を呼ばれるのも甲高い声も、もう慣れてしまった。
だって、この体も声も元は姉のものなのだから。
「今日は検査をしますよ。脳波とか・・・。」
「あの、ちゃんと説明してもらえませんか?」
少しでも真実に近づきたかった。でも、医者や看護婦の答えは機械的なものばかり。今度もそうだった。
「前に説明した通りです。身体の方は何の問題もありません。」
「そうじゃなく、もっと・・・。」
「もっと、何ですか?」
「いえ・・・いいです。」
これ以上は話してもずっと平行線だろうと思い、やめてしまった。
本当に聞きたいことが聞けないというもどかしさ。周りのよそよそしい態度から、嫌でも思い知らされていた。僕は一人なのだと・・・。

その夜の夢の出来事は、起きてからもずっと忘れられなかった。
夢に姉が出てきたのだ。姉は相変わらずで、どう見ても夢だと分かる内容だった。姉は姉の姿で、僕は僕の姿だったから。
どこかの屋上。僕は一人で街のネオンを眺めている。そのうち、人の気配を感じて後ろを振り向く。すると、姉が立っているのだ。
僕は一生懸命姉に話しかける。でも。姉は何も言ってくれない。僕がどんなことを言おうとも。
しびれを切らして姉に歩み寄ろうとすると、さっきまで動いていたはずの身体が全く動かないことに気がつく。
何とか姉に近づこうともがいていると、姉が呟く。
『あなたは、生きてね・・・。』
そう呟いた姉は、消える。
跡形もなく消えてしまう。
そこでやっと、身体が動く。
・・・そこで目が覚めた。

次の日も、またその次の日も姉は毎日夢に出てきた。
二週間ほど経った頃変化が起きた。姉が喋ったのだ。
『母さんは私を殺したかったのよ。邪魔だったから。でも、私の体は欲しかったみたいね。実験にちょうど適してたみたいで・・・。
だから、あなたが事故に遭ったのを幸いに脳を移したのよ。母さんが脳について研究してたのはあなたも知ってるでしょう?
前々からこういう時のために装置も開発していたみたい・・・。母さんは自分の研究のことしか考えてないのよ。』
姉は苦しそうに言った。
「そんなの信じられる訳ない・・・。脳を別の人間に移すなんて、そんなことあるわけないじゃないか!まるでSFみたいな・・・そんな・・・。」
僕の苦しみを知ってか知らずか、姉は首を振りながら、
『信じてもらえなくてもいい。でも、私の事・・・誰にも言わないでね。』
と言った。
「母さんは・・・母さんは・・・。」
そんな事するはずが無い、と断言出来ない自分が悲しかった。



3 remember
最近月日の経つのが早い。三日前まであんなに咲き誇っていた桜も、今はもう粗方散ってしまっている。
今の僕は、もう何も信じられず、生きているのか死んでいるのか・・・傍目には抜け殻の様な状態だった。
母はそんな僕を何とか元気づけようとして毎日病院に来ていたが、原因である母が来ることで余計に暗澹たる気持ちになっていた。
「今日はあなたの好きなものいろいろ持ってきたのよ。ほら・・・。」
母は僕の好きな雑誌などを持ってきたが、読む気にもならない。もう、母の顔など見たくなかった。
「そうそう、205号室の吉田さんがね・・・。」
「・・・て。」
「え?」
「出てって・・・気分、悪いからさ。」
母が顔を曇らせたのは分かっていた。でも、引き留める気にはならない。
「そう・・・ごめんね。これ、置いとくから・・・。」
廊下に出ていった母は泣いている様だった。しかし、母がこのまま傍にいれば自分がどうなるか分からなかった。
自己嫌悪に陥ったが、これが一番良い方法なのだと自分に言い聞かせる。
一人になって、改めてあの夢のことを考えてみた。
「あれはただの夢なのか?それとも姉のメッセージなのだろうか?」
僕は無神論者だし、超常現象の類も信じない。でも、夢にしては妙にリアルでもある。何となく「本物の姉ではないのか?」という考えもあった。
でも、馬鹿馬鹿しい、そんな事あるはずが無いと思う。
姉が喋った日を最後に、あの夢は見ていない。
「姉さん・・・僕は・・・僕はどうしたら・・・。」
暗闇で一人泣いていた。
姉を信じるべきなのか、それともただの幻想に過ぎないのか?
・・・分からない。もう何もかも分からなかった。
『・・・カイ・・・。』
僕ははっとして顔を上げて辺りを見回した。
「・・・姉さん?」
いるはずの無い姉を呼ぶ声が、虚しく部屋に響く。
「んなわけ・・・無い・・・よな・・・。」
自分で自分に言い聞かせ、眠りに落ちた。

『カイ。』
姉だ。紛れもない姉だった。・・・でも、夢の中・・・現実ではない。
『カイ。』
「姉さん・・・嘘だろ?嘘だと言ってよ!そんな事、母さんに出来るわけないじゃ無いか!」
夢の中でだけ、僕は僕でいられる。前の僕だ。
『本当の事よ。』
「嘘だ!!」
冷たく言い放つ姉。目の前にいるこの人は僕の姉なのだろうか?
『私の事・・・やっぱり信じてくれないのね・・・。』
「信じられるわけないじゃ無いか!本当の姉さんなら、母さんをそんな風に言う訳ない!僕の姉さんは母さんを労り、尊敬し、慕ってたんだ・・・。そんな風に言うはずが無い!!」
『風向きは変わるものよ・・・いつまでも同じものは無いわ。』
「・・・誰だよ・・・誰なんだよ!誰か、誰かの本当の事を教えてよ!!」
僕は心から叫んでいた。

「カイ?カイ?起きて・・・どうしたの?カイ。」
「あ・・・母さ・・・。」
気がつけば朝。僕の顔を母が覗き込んでいる。
「一体どうしたの?・・・その、酷く魘されてて・・・。」
「何でも無いよ・・・夢を見たんだ。」
「あら、どんな夢?」
「・・・姉さんの夢。」
「・・・そう。」
母の表情が凍りつく。
八つ当たりなんてみっともないと思ったが、もう遅かった。
もう、どうしたらいいのか分からない。



4 tomorrow
「おめでとう。いよいよ明日は退院出来るのよ。」
母が本当に嬉しそうな笑顔で言う。
姉と言い争った夢を見てから一週間。母とはその間ずっと口をきいていなかった。
「・・・全く。いい加減喋ったらどう?」
母は笑っている。
でも、どうしても裏がある様に思えてならない。
もし口を開いても、この前の様に八つ当たりになってしまうのではないかと思うと何かを喋る気にもならなかった。
「・・・あのさ。」
「あら、だんまりはもう終わり?それで、何?」
「・・・何でもない。」
「何よ、気になるじゃないの。」
「気にしないで。」
「・・・そう。」

一週間、ずっと悩んでいた。
「僕はここにいるべきなのだろうか?」と。
現実はあまりにも僕に厳しすぎた。いっそ、このまま死んでしまった方が良い・・・。
そう思う度、姉の声が繰り返される。
『あなたは、生きてね・・・。』
そこで、はっとした。
ばかな事を考えるのはやめよう。全てを忘れ、このまま姉と生きていくのが一番良い方法なのだ。
そう、僕だった頃の事は全て忘れて・・・。
自分の本当の心を偽って、自分の心を閉ざして生きていく・・・。
・・・果たしてそんなことが出来るのだろうか?
「とてもじゃないが」なんて言葉では嘘になってしまう。
そんな事は出来ない。そのうち自分の心に押し潰されてしまうだろう。
そうなる前に、けじめを付けなくてはならない。自分自身のけじめを。
「さようなら、母さん・・・。」
全てが寝静まった廊下を、僕は屋上に向かって歩き出した。



5 ending
風が強い。春でも夜は少し肌寒く、パジャマのまま出てきた僕には少し辛かった。
「へぇ・・・この辺でも少しは星が見えるのか・・・。」
空は雲一つなく、七階建ての建物の屋上からの眺めは最高だった。
『カイ・・・。』
「え?」
僕は耳を疑った。今、僕は起きている。姉の声がはっきりと聞こえるはずがない。
・・・空耳?それにしてはやけにはっきりと聞こえた様な・・・。
「・・・姉さ・・・。」
姉を呼ぼうとして辺りを見回したとき、僕は驚いた。
姉が、空中に浮いている・・・。
『カイ。』
「・・・。」
何も言えなかった。あまりにも突然すぎて、何も反応できなかった。
『カイ、こっちにいらっしゃい。』
「え?」
『こっちへ来るのよ。けじめをつけに、ここへ来たんでしょう?』
姉の問い掛けに、僕は軽く頷く。
『だったら、こっちへいらっしゃい。』
姉の言葉は優しく、そして厳しかった。
「・・・うん。」
姉のいる方へ、ゆっくりと歩いてゆく。恐怖はない。
「・・・フェンス・・・。」
『乗り越えなさい。あなたの目的は、その先でしょう?』
ゆっくりと、軋むフェンスを乗り越える。
『さあ、こっちへいらっしゃい。私の方へ。』
「・・・うん。」
僕は屋上の縁から姉の方へと大きく足を踏み出した。
『・・・カイ・・・。』



6 mother
次の日、病院の裏手で飛び降り自殺の死体が発見された。
「カイ、何で・・・?全て上手くいっていたのに・・・。最近様子がおかしかったけれど、まさか自殺するなんてね。
予想外の事態だわ。・・・これで当分の間は実験できないか・・・。新たな適応者を見つけなきゃ。」
彼女は今、母親ではなく科学者だった。
「でも、自分の娘と息子で成功するなんて・・・皮肉なものよね。」
彼女は窓の外を眺めながら言う。
朝霧のかかる街の景色を見ながら。

− 終 −

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