corkboard 『京都11区』

劇団MONO第31回公演『京都11区』@伊丹AI・HALL

2003/08/24 (SUN) その妙なリアリティが恐ろしい

近未来の京都が舞台。ってことだけど予備知識をあんまり入れないで観に行った私はてっきり現代の京都で進みつつある事態のデフォルメなんじゃないかと思ったくらい真実味のあるストーリーでした。そもそも設定が「近未来」とあるだけで何年くらい先を指すのかまでは示されていないってゆうのが恐ろしい。「北崎町」も実在するものだと思ってたってば。

歴史的文化財としての京都を保存するために、京都的でないものを排除する条例が制定された京都市。「京都的でないもの」には「京都生まれではない人」も含まれていて、この物語は排除されようとしてる「京都的でないもの」たちの抵抗を描いてる。っていう理解でいいんだよね?「脚本」としてこの作品に出会ったならもっと冷静に物語が描こうとしているものを分析できたんだろうけど、ナマの舞台に触れちゃったから、全身的な感覚で、「なんだか怖い」とばかり感じてる。舞台ならではの感覚だよね。

京都を訪れたのは中学の修学旅行が最初で最後、な私。京都についてほとんど何も知らない。調べるまで「京都11区」というタイトルがどういう意味なのかもわからなかったし。どうやら京都市が11区に分かれていることから「東京23区」的な表現として捉えるのが正しそうだけど一般的な用語なのかどうかまではわからない。検索してみてもこの芝居のことばかり引っかかる。きっと一般的用語ではないんだろうね。だって例えば「大阪24区」とはあんまり言わないしね。手元にある大阪市の地図ぐらいでしか見ない表現。

だから京都にとって私は「京都的でないもの」だ。京都に暮らしてるわけじゃないから正確には「観光客」だけど。仮にその物語に飛び込んだなら、私も排除される側だ。だけど、「余所者をなんとなく排除しようとする作用」ってけっこうそこらじゅうで起きてるんじゃない?ナチスとか在日コリアンとかの政治的な問題を持ってこなくたって、そこらじゅうに。私が7歳から18歳まで過ごした、今の私にとっては故郷であるところの富山県にだって、「余所者」としての「旅の人」って表現がある。東京とか、筑波研究学園都市(←私の経験から出た例。けっして「つくば市」ではなくあくまで「筑波研究学園都市」)とかの、「余所者」ばかりで形成されてる限られたコミュニティを除くと、日本中どこでもそうじゃないかな、と思う。だから、『京都11区』の舞台設定がやたらリアリティを持ってて怖く感じられた。

「怖い」「怖い」連発したけど、「怖くて嫌だった」って訳じゃないところがポイント。むしろ今年ミーハー抜きで観た芝居の中では今のところベストかも。伊丹まで足を運んでよかったー。っていうか伊丹まで片道45分だからちっとも遠出ではなかったりするが。

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