ふ〜みんの森便り 19

        新年明けましておめでとうございます。

   2003年の夜明けは何とも穏やかで厳かなものでした。
        2002年大晦日までしんしんしんとひたすら降り続いた雪も嘘のようにピタッと止んで、
  太陽さんがやさしく微笑んでくれてます。
   ありがたやぁ〜ありがたや。この1年の計でありますように。。。。。




雪国の暮らし
      
例年に比べ、根雪がちょい遅かった今冬、その反動かとにかくひたすら降り続く雪・雪・雪
この半端でない降り方にさすがに筋肉痛を訴えはじめた父に希望の光が!☆★☆
そう強力除雪隊員の登場!!冬休みに突入した子ども達であります。
いつになく降り注ぐ、父と母の期待のオーラに応えるべく2人の息子は
朝・昼・夕せっせっせっせとひたすら除雪。

大晦日。外から「お〜い!!」と呼ぶ声が。。。
声の先には、命綱を煙突につけて得意げに屋根の雪下ろしをしている翔太の姿あり。
ぉお〜様になってるでないの!と見とれてると
こんどは薪小屋の小屋根から「かあさぁ〜ん」の声。
ぉ〜おそっちには了亮が。こいつは調子にのってタイタニックの格好しておちゃらけてる。
「2人とも落ちるんでないよ〜」と声かけながら
昨年までは単なる手伝い程度が、今冬は主力に成長した子ども達の姿に
胸ジ〜ンで、写真を撮りまくった母でありました。
雪国の暮らしもいいものです。





おじちゃんの灯火

私の母は7人姉妹の長女。・・で、当然叔父叔母は若く(といっても、今や50代〜70代)
小さな頃から私にとっては身近な存在でありました。
皆仲良くってめちゃめちゃ明るい親戚で、集えば笑い話が絶えないのです。
その中でも群を抜いて面白さピカ1まさに夫婦善哉を地でゆくM夫妻。
その叔父ちゃんが、現代の難病で12月末帰らぬ人となりました。
発病から亡くなるまで1年ちょっとの月日でした。

日に日に筋力が落ち、身体が思うようにならず、叔父ちゃんのショックは底知れなかったと思います。
そして傍らにいる叔母ちゃんの辛さも計り知れないものだったと思います。
だけど叔父ちゃんと叔母ちゃんはそんな現実に逃げずに、しっかり向き合っていきました。
亡くなる前日まで息子と2人で、お風呂大好きな叔父ちゃんを毎日お風呂に入れ続けたとのこと。
自宅で最愛の人々に包まれて、手厚く介護され逝った叔父ちゃん。
60年の人生は短かったけれど、愛情の中身は最高に濃い人生だったよね。

叔父ちゃんが亡くなった今、気がかりなのは叔母ちゃんのこと。
その叔母ちゃんから手紙が届きました。
不思議なもので、辛かった介護の日々よりも、元気なときの楽しい日々しか思い出さなく
叔父ちゃんがいない寂しさは募るばかり。でも皆がいるから頑張って生きていくと。

人の死はとても悲しいです。そして残された者は寂しい。。。
でもその人の残していってくれたものは沢山あるのですよね。
叔母ちゃんの手紙から、私も叔父ちゃんとの楽しい思い出たくさん思い出しました。
たとえばこんな話がありました。
町営住宅に住んでいたM家族。ある日どこからともなく煙が。。。
隣が火事だ!!と瞬間思った叔父ちゃんは即刻行動!新品の長靴だったけど
救わなければ!!の思いで長靴ごと隣家の窓をガシャーンと割って
「火事だ!!逃げろ!!」と入っていったら
何故か家族は夕食の団らんのまっただ中
当然、突然長靴姿で窓硝子割って入ってきた叔父の存在に 家族は呆然
まさに、こりゃまった失礼の感じだったのだとか。。。
結局、火元はその家ではなく、まだまだ向こうの家だったのだそう。
この時の話を漫才のように話す叔父ちゃんに
もうみんなでお腹抱えて涙流して笑ったものでした。

思い出すと、笑っちゃう。そんな楽しいことばかり残してくれた叔父ちゃんです。
叔父ちゃんはいつも周りの人を愉しませてくれた。その場を明るくしてくれた。
私は幼心にこの叔父から笑いの価値を学ばせて貰っていたように思います。
私はそんな叔父ちゃんが大好きだったし、決して忘れません。
命の灯は消えても、その人が灯していってくれた灯は
人の心の中でいつまでも消えないものですよね。

明日何が起こるかは誰にもわからない。
自分の命もいつまでなんて保証はない。
いつどうなろうとも自分自身悔いのない日々を送りたい。
そして自分の命の灯は消えても人の心の中に明るい灯をともしていける
叔父ちゃんみたくありたいなと思う私です。




ルンルン♪スローライフ
♪♪

11月に某大学のS君が卒論の取材で訪ねてくれました。テーマは「スローフード」
出来るだけ短時間で調理し、短時間で摂取するファーストフードに対し、
ゆっくり時間をかけてそしてゆっくりいただくスローフード。
むかしはスローフードが当たり前の時代だったのに、
いつしか便利さが時間の短縮に磨きをかけファーストフード全盛の時代となった現代。
あらためてその食生活が問われてきた昨今です。
私も医学・健康に連なることには関心大で、日々の暮らしが重要なキーワードであると確信し、
いろいろ勝手な仮説を立てては試みて(おバカなものがほとんどだけど・・・)
時として(いやしょっちゅうかも。。。)家族からは冷たい視線を送られる日々。。。
そんな中でS君との話はとても面白く嬉しいものでした。
ぅんぅんぅんそうそうそう!と若さ共鳴して♪ぃぇ若いエネルギー吸収して
愉しい時間が過ぎゆきました。

・・で、話しててそうかぁ〜と思ったのは
この暮らしって名付けて「スローライフ」なのだわっていうこと。
別にスローライフやろう!!て始めた訳じゃないのだけれど
結果的に「スローライフ」といえるものになっちゃてる。
除雪だって機械使えば1人の力で短時間に簡単に終わっちゃうけど
我が家の場合は人手が4人もあり、除雪のメリット考えたら
体力増強・教育要素・生きる能力増強・健康保持・共同作業で心の絆太く・エコロジーとe.t.c・・・。
特に冬は雪や寒さで、予想外のことが次々起こってくれちゃうので
その都度、う〜んと頭悩ます・・のではなく頭使えちゃう
いやおうなく脳と身体と時間を使っていく暮らしとなっております。
そのおかげか今のところ皆いたって健康花○印。
今までは不便を愉しんでまぁ〜すって言ってたけど
これからは「スローライフ」を愉しんでまぁ〜すと言っちゃおうっと。




帰ってきたギター少年

夫は中学時代よしだたくろうの大ファンで、ギター大好き少年でありました。
その後しばしギターとは縁がなくかれこれ30年近くの月日が過ぎていき。。。
ふと気が付けば息子が中学生。ある日息子の友人(というか先輩です)が
ギター片手に我が家を訪れ、ミニミニコンサートをしてくれました。
そして涙チョチョ切れそうな懐かしいフォークをメドレーで唄ってくれちゃって、
夫の心の奥底に眠っていたギター大好き少年の想いにピッと火が・・・。
むかしは子どもの手には届かない遠い存在のものが今は手の届く距離にある。
ギターの本も増えること増えること。。。憧れのマーチンのギターはさすがに手は届かないけれど
マーチンの弦はしっかと購入し「ぅ〜ん。さすがにマーチン(の弦)はいい音だにぃ〜」と悦に浸ってる。。。
そして暇さえあればポロンポロンポロン♪〜
最初はン?スーちゃん今頃歌ってんの?(12時と18時の町に流れる曲にあわせて歌う)
と思ったら夫の唄だったってことも。。。
でも継続は力なりなのだわぁ〜最近では、あ、この曲何々ねとわかるように。
父のこの様子に刺激を受けたのは子ども達。一緒にポロンポロンとやってます。
最近は「ゴンチチ」の「放課後の音楽室」をマスターするんだと張り切っております。
次のクリスマスあたりにはミルトコッペ男3人衆のミニコンサートなんか開けちゃうかなぁ〜
などと突飛な事が、つい頭をよぎってしまった母であります。




かたずけに燃える母

部屋をあれこれいじくることは好きだけれど
実は、かたづけが苦手な母でありました。

皆が拍手したくなるくらいきれいに片づけても
ものの数時間後にはいとも無惨に散らかってしまう我が家でありました。

これには我が家に生息している散らかしギャングの存在と
何かと忙しい(そうにしてる?)ことに濡れ衣を着せている母の存在。
そして、衣・食・住全てを受けてたってくれている34畳のワンルームの存在があります。

さて、ある日母は考えました。このままではいけないと。。。
・・・で散らからないような部屋作りに着手することにしたのです。
まず、すぐ散らかる中身を検証。
脱いだ服、靴下・読んだ本・新聞・おかしを食べた袋・ゲームなどなどe.t.c・・・。
何をどうしたらいいのかなぁ・・としばし考え
そのものとして考えてみると、皆帰る場所がないからそのまんまなのだ!
だったら帰る場所を作ってあげたらよいのよねん♪とその物にとっての家(収納場所)づくり。
ここで威力を発揮したのは100円ショップ。
見た目にも飾りになるような数々の箱の中に事細かに分類。
例えばゲームのコードのみを入れる箱。(コードは毎回はずす)
電池のみを入れる箱というように。
一見面倒くさそうなんだけど、やってみると実にすっきりするので簡単にクリア。
洋服は外出着関係(ウィンドブレーカー・手袋・帽子・耳当てなど)は
玄関近くに棚つけて大きめなバスケット篭に入れ、
コート類はその棚に衣紋掛けに掛け、部屋の中に持ち込まなくてすむように。
ゴミ箱も大きめな籐篭を増やし(これも100円)、出たゴミはすぐにゴミ箱へ。
脱いだ服は洗濯行きとそうでないもの用の篭を用意。
本は1カ所にまとめないで、部屋のあちらこちらに収納箇所を設け
読む人・読む時(日中・寝るとき)・読む用途に合わせ分類。
そしていつもテーブルの上に散らかってしまう細々したものは
とりあえず保管の篭と夫関係の細々・妻関係の細々と分けました。

さぁ驚き桃の木山椒の木!ふしぎふしぎあ〜ら不思議!
全ての帰る場所ができた途端、あっという間にすっきり片づくようになりました。
よっこらしょと重い腰あげなくても、タッタカタァ〜と軽やかに!

そんなわけで、いつも居心地の良い我が家をキープすることに燃えている母となりました。
この炎じぇ〜ったい消さないのだ!!



今年の抱負

今年は着手することは、地道に眈々と丁寧にやっていく力を身につけたいなと思います。
「継続は力なり」この言葉を信条にもち、母はやるのです。

具体的にはおかみ業はもちろんのこと、種腫の出稼ぎ業。
そして今年から翔太が高校。お弁当づくりのスタートです。
3年後には了亮が続くので、今年から6年間の母の愛情弁当。
悔いの残らないよう、励みたいなと思ってます。
何しろ得意な分野ではないので。。。まずやる気から。。

得意な分野といえば、部屋の模様替え部門。
3月、仕事が空くこの月にジャングルか、はたまた砂漠と化した子ども部屋を
サイコー居心地のよい部屋に改造するぞと宣言。
これはもう今から胸ワクワク、斬新に手がけようと思ってます。

さ、始動した2003年。大晦日での結果はいかに!