ふ〜みんの森便り bP8
平成14年 8月12日発刊
東京から北海道に越してきた頃は、
「北海道は梅雨がないからいいよねぇ〜。夏は北海道サイコー!」
なぁ〜んて言っていたけれど、ここ何年かの北海道の7月は、
しっかり梅雨の様相でありまして。。。。。
この梅雨が明けたらギラギラの夏が来るぅ〜と待ち続けて、
ふと気が付けばもうお盆!!エェ〜ウッソでしょー
いんや、嘘でない嘘でない・・・
でも、きっと厳しい残暑がやってくるのだ!
とあくまでも夏をあきらめない母の今日この頃です。
さて、やってきました42回目の誕生日
母のちびまるこ時代の話です
いくつになっても、誕生日が来るのは嬉しくて、身体のリセットボタンをピッと押して、
さあまた(?)生まれ変わりましょ!っとリフレッシュ。
それにしても42年間も年月を積み重ねてきたとは。。。
目をつぶれば小学校の光景だって、中学校だって、高校時代だって簡単に思い出せるのに
何年前の話?となると、かれこれ25・・30年!?なんてことになり
へぇ〜!なんてあらためて驚いちゃったり。
この間、ちびまるこちゃんを見ていたら、
きっと作者のさくらももこさんと世代が同じなんだろなぁ・・
妙にうんうんと頷きながら見入っている自分がおりました。
・・・で、今はサザエさんと化している、私のちびまるこ時代の話をしたいと思います。
私は3人姉妹の末っ子で、一番上の姉とは7歳、2番目とは5歳と、年が離れた3番目。
この年が離れて生まれたことにはちょっと理由がありまして。。。
最初から男の子を欲しかった父は、立て続けに女の子が生まれがっくし(T.T)
しばらく間があきました。
・・・・そして時が経ち私が授かったとき、この子はきっと男の子だ!!と勝手に決めつけ、
名前も文夫と決め、「文夫君」に会う日をそれはそれは楽しみにいたそうな。。。
しかし、しかし、おぎゃぁ!と生まれてきたのはピッカピカの女の子。
あれだけ楽しみにしてた父に申し訳ないと
母は父が来たときに毛布をかぶって「ごめんなさい」と謝ったとか。
名前は「文夫くん」の名残をいただき文江となったようでありまして、いたって簡単。
(ちなみに私の友人は父親が東京に出張に行っていたときに生まれたので
「京子」と名前がついたとか。。。)
さて、ちびっ子時代の私は常に髪はレザーカット(ベリーショート)。
国鉄の共同浴場で湯船に浸かろうと、浴槽をまたいでいるときだって
「僕、熱いからきをつけるんだよ」と間違われるくらいの男顔。
小学校時代もどちらかといえば男の子とサッカー、野球して遊ぶことが多く
とにかくやんちゃ。ケガの耐えないガキんちょでありました。
小学校高学年になってからは、娘盛りの姉たちの影響受けたオマセさん。
耳をダンボにして姉たちの会話を盗み聞きし、
訳もわからない内容を得意になって学校で話すこともしばしば。
今思えば、爆笑の数々なのですが、中でも秀逸なのが
「同性(同姓)結婚事件」
姉1「ねぇねぇ、スウェーデンで同性結婚が認められたんだって」
姉2「へぇ〜さっすが進んでるぅ〜」
私(へぇ〜同姓結婚って珍しいことなんだぁ)
さて、翌日学校での社会の時間。タイミング良くテーマはスウェーデン。
先生「スウェーデンについて知ってることぉ〜」
私(そうだ!昨日お姉ちゃん達が話してた!)と勢いよく「ハーイ!!」
先生「おっ!赤塚(旧姓です)」
私「ハイ!スウェーデンでは最近同姓結婚が許されたそうです!」
しかしその後、先生の反応が変。顔が真っ赤になってコメントに困っている様子。
クラスの子も何人かは照れている模様。。。。
私は何故なんだろと謎に包まれたまま社会の時間は終わり、
クラスで物知りのM君にその謎を尋ねたところ
「だってオマエ、同性結婚っていうのは男同士、女同士が結婚することなんだぞ」
ヒェ〜!!そんなことってこの世の中にあるの?ひぇひえひぇ〜っ!!
っと天と地がひっくり返るくらい驚いた私でありました。
そして自分の言ったことの周りの反応を思い返し、
子供ながらに顔から火ふく思いだったことはいうまでもありません。(^_^;)
さて、今ほど情報が氾濫してる時代では無かったので、純情100%の女の子。
クラスの男の子と話をしていたとき、その子のツバキの一部が口の中に入り、
真剣に子供ができてたらどうしようと悩んだこともありました。
今思えば、どれもこれも笑い話で終わっちゃうけど、当時はマジでしたよね。
天真爛漫の小学生時代の卒業文集には、なりたい職業はアナウンサーか新聞記者。
行きたい国はオーストラリアと書いてあります。
当時の私が今の私に会ったらどう思うのかな・・・・
「思いでぽろぽろ」宮崎 駿の世界ですね。
長男翔太バスケに燃えた日々
美流渡中学校の部活は、男子はバスケットしかないと知った野球大好き6年生だった翔太は、
中学校に入ったら直談判して野球部つくるんだ!と張り切っておりました。
しかし、世の中そんなうまくはゆかず、最初はしかたなくバスケット部の一員に。
何年か前までは男子生徒も多かったので、野球部は存在したのだけれど、
男子生徒の人数も減ってからはバスケット部へ変更。
歴史の浅いバスケ部は、他校と試合をしても、負け続け100点ゲームもしばしば。
そんな中でも必死に練習する上級生の姿に触発され、
ルールの理解も深まるにつれ、バスケの情熱も急上昇!
3年生が引退した後は自立性も育ち、部員といってもほとんどがクラスメイトのメンバーは
バスケに燃えていったのであります。
今でも感動が湧き上がる試合は、1年生の3学期にあった1年生大会。
1年生メンバーは当時5名。控え選手ゼロの中で、部員数の多い相手チームと戦い、
熱戦を繰り広げ、ナント初めての勝利!
応援団は、オリンピックより燃えて、興奮した試合でありました。
この勝利は子供達に「やればできるんだ!」という自信を与え、
それからというもの寝ても覚めてもバスケバスケバスケ。まさにバスケ馬鹿の日々。
そんなバスケ馬鹿にとって、中学校生活最後の舞台となる中体連がこの7月にありました。
故障者だらけのスタメンで、16年ぶりに町内大会を優勝し、
南空知大会ではナント!ベスト8入りを果たしました。
かけがえのない1人1人の努力の結晶と思うと、実に涙が出てきます。
時同じくして、日本と韓国とで開催したワールドカップで、
日本選手がもたらしてくれた感動と同質の感動があり、多くの元気を与えてもらいました。
これまでの翔太を振り返ると、生涯バスケをやり続けたいから勉強するという、
翔太ならではの理論で自発的に勉強をしだし、
人間関係もチームワークの視点から多くを学び
バスケのやれるとこ、試合あるとこどこまでも飛んでいく〜と
行動的になり、他校の友人も増えました。
思うに翔太の中学時代はバスケを抜きにして語ることはできなく、
バスケを核にして成長してきたのだなぁと実感します。
一つのことに思いっきり打ち込める幸せを学ぶことのできた貴重な時代。
これからの人世の基盤となりますよう。。。。と希う母でありました。
「特集」3泊4日道東旅行の旅
今年の夏休みは、念願の道東旅行。
やっぱり道東といえば野趣あふれる露天風呂でしょ!キャンプ場で自炊しながら、
のんびり湯に浸かるっていうアウトドアスタイルはどう?と妻からの提案は夫があっさり却下。
「だってオマエ。オレなんか薪きって火焚いて毎日アウトドアしているみたいなもんだろ。
旅に出たときくらいゆっくりしたいなぁ。俺たちホテル泊まるから、
オマエ一人ホテルの横でテント張ってアウトドアしてろ。」とけんもほろろ。
子ども達といえば、翔太は「どこでもいいよ」とオールマイティー派。
了亮は「オバケでないとこだったらどこでもいい」と恐がり派。
う〜んどうしよう〜。旅の本買って、
インターネットでいろいろ調べて日夜もんもんもん。。。。。
さて、道東の旅を米農家の友人善生さんにしたところ、
時同じくして道東の旅の予定が・・。ならば一緒に行こうやと2家族8人の旅決定!
互いの尋ねたい場所を出し合って、私がプランを立てることになったのであります。
どうせだったら、3泊の中身はいろいろあった方がいいなと
1泊目はホテル、2泊目は湖畔のバンガロー、3泊目は善生さんの友人宅ということに。
さぁてさて、出発日にむけて気分は急上昇。ワクワクしっぱなし。
久しぶりの遠足心待ち気分をたっぷり味わうことができました。
8月5日朝、善生家の9人乗りのワゴン車に荷物を積んでいざ出発〜
三笠を抜けて芦別方面へ向かい、富良野へ到着。
ファーム富田で花々を堪能し、美瑛を通ってサロマ湖へ。
ここでは私の尊敬すべき知人、とっても素敵なボーイフレンド
(77歳のかっこいい〜青年です)の「琢郎さん」が一人暮らしをしながら、
無料のログハウスの茶屋を開いてて、皆で立ち寄り歓談。
オホーツクの厳しい自然の中、親と共に開墾した地を生涯離れることなく
又、農民代表として国会議員をやらせてもらったのだから「農」に触れ続けていくんだと
熱く語ってくれる琢郎さんに皆の胸も熱くなりました。別れ際、
「第1次産業がダメになれば、日本もダメになる。農業を愛してやり続けていって欲しい。」
と、本業の善生さん、農業応援団の私に熱きエールを送ってくれました。
う〜ん、それにしても何時会ってもかっこいいなぁ〜。
今回初対面の善生さんの妻市子さんも、娘のかなえちゃんも「素敵〜」とファンに。
素敵に年を重ねていってる琢郎さん!いつまでもお元気で。
その人の 熱き情熱 胸焦がし
湧別芭露、琢郎さんと共に
さて、今日の宿は網走湖畔の網走グランドホテル。
玄関にはいると、ミントの香りのあったか〜いオシボリが手渡され心地よく。。。。
部屋は網走湖が見えて眺め良し。浴衣に着替えて、まずは食事。
料理が美味しいと情報は掴んでいたけれど、オホーツクの海の幸が満載で、
刺身・海鮮焼き・海鮮しゃぶしゃぶと3種の味を堪能し、
他にもグラタン・茶碗蒸し・箸休め・デザートと超豪華!しかも美味しい!
私が今まで行ったホテルの食事の中でもしかして1位かも。。。
しゃぶしゃぶの鍋には雑炊だよね!とほかにも食べる人いるだろうと
2人分のご飯を頼んで雑炊作ってみたものの、周りはすでに満腹状態。
鍋の中はだしを吸って、倍に増えたご飯が今か今かと食べてくれるのを待っている。
私のお腹も10分目くらいにはなっていたけれど、残すのは申し訳ないし・・・
ハイッ私が責任とって食べましょ。。と必死になって食べ、ほぼ完食。
お腹はもう破裂寸前でありました。
しばし、お腹を休ませて温泉へ。
ホテル自体が高台にあるので露天風呂からの眺めも良く、最高の気分。
熱めの露天の隣に冷たい露天もあるので、交互交互に浸かることができ長湯もOK。
う〜んここの露天風呂もオススメ度◎
夜はぐっすり眠り朝4時に目覚め、念願の朝風呂へ。
露天風呂に浸かりながら朝日を浴び、たかぁ〜くどこまでも広がっていく青空と
流れる雲に宇宙を感じてしまったというスケールのでかい朝風呂となりました。
さぁ〜お腹も空いたぞぉ〜と朝のバイキングへ。
これがまたなかなかで、とにかく一つ一つが美味しかったぁ〜。
ケーキも美味しくって翔太なんか20個(小さい)も食べたとか。
極めつけはおみやげのタラバガニ1ハイ。
ウン♪このホテルならまた来たいな♪と思った網走グランドホテルでありました。
宇宙から 眺められたか 我が裸身
さぁ、網走といえば、あばぁ〜しぃりぃ〜番〜がぁ〜いぃ〜ちぃ〜♪
この日は網走が道内一の暑さ(31度)だったそうで、汗かきかきの参観。
人形たちがリアル感ありましたねぇ〜。
親たちは歴史の流れを感じ、子ども達は悪いことしちゃなんないぞ〜
と悟った機会となったそうな。。。
網走番外地・脱獄名人?と記念写真
網走観光の後は、常呂で海の幸のお昼。カニをしこたま食うぞ〜と張り切っていた了亮は、
何故かメニュー板を前にしカニ丼は頼まず、冷やし中華とチャーハンの注文。
せっかく本場に来てるのに。。。と思う私と、ここが年の感覚の違いなのか。。。
この後、水産加工店で今晩の食の材料の買い出し。
ホタテ・イカ・ツブ・カキ・こまいと新鮮な材料をたっぷりと♪
いざ屈斜路湖畔和琴半島へ!!
屈斜路湖は若者・家族連れで賑わっておりました。
コテージは湖の直ぐそばで、シンプルなログ。
リヤカーで荷物を運んでからは、早速夕飯の準備に取りかかる一行。
板前経験のある善生さんは、ホタテ・ツブ・イカを次々と華麗な包丁さばきで刺身にしていく。
我が家の夫は、日頃の技を活かして持参の七輪に火起こし作業。
市子さんは圧力鍋に自家米の善生米を仕込む。
手に技のない私は、ひたすらウロウロ。。。。
子ども達は水際でなにやら遊んでおりました。
さぁ準備整い湖畔の夕食だぁ〜。
皆で七輪囲んで焼き鳥・焼き魚・焼きイカ・焼きカキ・焼きホタテ・焼きおにぎり!!
おまけに超新鮮なホタテ・ツブ・イカの刺身!!!
ビール片手に食らいつく!というワイルドさ。
おっとぉ忘れておりました。ホテルのみやげのタラバガニ。
これがまた、身がたっぷり詰まってて味もサイコー!!
もぅ夢でない?というくらいの美味しさに溢れた夕食でありました。
そうそう、焼き鳥食べた後の串に四角いプロセスチーズを刺して七輪であぶって食べるの
めっちゃくちゃ美味しかったぁ〜!トゥロ〜ゥっとして最高でありました。超オススメ!
お腹は満腹ほろ酔い気分の一行の次なる行動は
屈斜路湖畔の自然露天風呂。
ここは混浴なので、女性陣は一応水着をつけました。
自信のある?男性陣はすっぽんぽん。(これがホントですよね。)
湯の中は砂地で、優しい感触。湯加減は場所によって違っていて
ややぬるめの場所を選んで、じっくり浸かっておりました。
波の音がザッザッザッと聞こえてきて、ぁあ〜気持ちいいぃ〜!
岩に座って涼んだり、浸かったりで思いっきり長湯しちゃいました。
さて、その夜は気温がグッと下がって、寒い寒い〜〜〜。
部屋にストーブはあるのだけれど、ストーブつけるとこまではいかないし。。。
結局、車の中に敷いてきた敷き布団・座布団・タオルなどなどを
身体に覆って2日目の夜は暮れたのであります。
キャンプ場での朝は早い!4時すぎに目覚め、夫は露天風呂へ。
市子さんと私は朝食作りにいそしむ。
今朝も圧力鍋でご飯を炊き、おにぎり作って、もいちど鍋でみそ汁つくり。
具は先日残ったホタテの貝柱、なすびと豪華もん!
焼き鳥・焼きイカと焼いてるうちに、結局早朝宴会スタート!(確か5時半頃だったような・・・。)
食べた!飲んだ!浸かった!の屈斜路湖でありました。
湖の湯の ぬかりし砂の 優しさよ
3日目は知床横断道路を通り、羅臼の善生さんの友人宅へ。
道中の羅臼岳は雲の上にぽっかり浮かんだひょっこりひょうたん島かラピュタかの如く。。
とっても神秘的で感動しました。
もひとつ驚いたのは、道ばたの看板。「クマに餌を与えないでください」
さっすがひぐまが北海道で一番生息しているという知床ならではの言葉。
羅臼では、まず有名な露天風呂「熊の湯」へ。
渓流の傍らに作られた露天風呂で、男女別。
ここは、脱衣所にある心得が熊の湯ならではの味がある。
最初に「この心得を読む余裕のない人は湯に入らなくて良い」
「湯に入っている数人が湯が熱いといっても無視して良い(直ぐ水でうめない)」
「洗い場の片づけをする余裕のない人は、入らなくて良い」
・・・などなどけっこうびっちり掲げられているのですよ。
・・で、熱めの湯にじっくり浸かって参りました。
大勢の人が浸かっていく熊の湯を管理してくれているのは、熊の湯愛好会の方々(らしい)。
旅の道中でこんな心地よい湯を用意してもらって感謝感謝です。
知床横断道路にて雲の上の羅臼岳
その夜は善生さんの友人kさんにお世話になりました。
初対面に感じさせない暖かさが心地よく、たっぷり愉しませていただきました。
特に胸を打たれたのは、羅臼高校の郷土芸能樽太鼓。
ビデオで見せてもらったのだけど、あの気迫・あの力強さは凄い!の一言。
生で見ることができたら、きっと全身電気が走るだろうな・・。
この樽太鼓kさんが20年(だったと思うのだけど)ほど前に発案し、育ってきたもの。
郷土芸能って、身体ごと郷土を感じ、触れたもの一人一人の中に郷土の種が蒔かれ
その後育まれていくものなのかなと、認識を新たにさせてもらえたことが大きかったです。
羅臼にて 魂踊る 樽太鼓
4日目は帰路。道中の友人宅に顔出ししながら、名残惜しみ20時安着。
留守番に通ってくれた両親から置き手紙あり、
「お帰り、冷蔵庫にビールが冷えている。
手作りの塩辛も入っている。
自転車・一輪車修理しておいた。
薪も少しだけ切っておいた。以上」
テーブルの上には母お得意のタケノコご飯・ぬかずけ・魚の煮付け
親の愛、いたく心に浸みました
冷蔵庫の塩辛も出して、善生家と安着祝い「乾ぱぁい!」
ホントに楽しかった3泊4日でありました。
アウトドアは嫌だと言っていた夫は、七輪の海鮮ずくしのバーベキューと露天風呂に
アウトドアも悪くないっと考え直した模様。
あぁ〜また旅したい!次は何処へ。。。。
旅でもやっぱりモンペです。
旅支度の時、モンペはかないと思うけど一応持っていくかと鞄へ。
結局、寒さ・虫さされ対策で屈斜路湖の夜よりモンペ姿となりました。
このモンペ、一度はいたらその着心地の良さになかなか脱げない。。。
とうとう3日目もモンペ履いたままで観光地めぐり。
何処捜しても私の他にはモンペ姿はなく、何故か目立つことに。
「あれぇ〜見てモンペだわモンペ。懐かしいねぇ〜」
「あらっあの人モンペはいてる。珍しいねぇ〜」と声が届く。
ちょっぴり恥ずかしかったけど、やっぱり楽さには変えらんないワ。
こうなったら世界一モンペの似合う人を目指しちゃお
とうとうモンペ姿となりました
そんなこんなで通信18号は暮れゆくのでありました