団員のメッセージ

[21] 「2017ウィーン国際音楽祭」に出演して

〜 音楽の聖地で感動のステージに 〜

 

友人に勧められ男声合唱団「コールプレアデス」に入団してから6年目、ついに夢が叶えられた。

その叶えられた夢と言うのは「2017ウィーン国際音楽祭」に参加し音楽の聖地であるウィーンの舞

台に立てたことである。  

「2017ウィーン国際音楽祭」は「よみうりカルチャー」と「JTB関東」がコラボレーション、昨年暮れか

ら出演団体を募集していた。

本音楽祭に私ども男声合唱団「コールプレアデス」から団長のA氏、バリトンのI氏、そして投稿者

であるバリトンのKの3名が参加、谷先生が指導している他合唱団から応募した者で構成、男性が

4名、女性7名、計11名とピアニスト升谷先生の総勢13名が参加、急遽【混声合唱団「コールWAK

KO」】を結成した。

本音楽祭には私どもの他に日本からは5団体が出演、合計100名弱が参加した国際音楽祭であ

った。

開催日は2017年5月28日(日)、会場はウィーン市内の「コンツェルトハウス」、会場である「コン

ツェルトハウス」は、オーストリアの首都ウィーンに1913年に完成したコンサートホールで1913年10

月19日にフランツ・ヨーゼフ1世記念ガラコンサートを挙行したことで有名になった。

現在はウィーン交響楽団、ウィーン室内管弦楽団などのフランチャイズホールになっている。私ども

はウィーン市民で満席の「モーツァルトホール」
( 704席)のステージに立った。

当日は15時からリハーサル、19時開演であった。私どもの出番は休憩をはさんだ後の5番目、

出番まで緊張のしどおしであった。

混声合唱団「コールWAKKO」は、音楽好きなウィーン市民もお馴染みであろう「故郷(ふるさとメ

ドレー)」「川の流れのように」「上を向いて歩こう」を選曲、披露した。

歌い終わり緊張から解き放されホッとしている私どもに満席のウィーン市民から鳴り止まぬ拍手

に身震いするほどの感動を覚えた。

フィナーレは現地団体のウィーン少年合唱団OB(天使の声と言われているウィーン少年合唱団

員は声変りがする14歳で退団、その後、ほとんどの団員は音楽関係の道に進まれているとのこと。

)と「ウィーンスペシャル女声合唱団」との共演でブラームスのジプシーNO7・11の2曲を原語(ドイ

ツ語)で歌った。
後方からウィーン少年合唱団OBの腹に響くようなバスの声をもらいながら心地よ

く自信をもって歌うことができ感動した。

我ら「コールWAKKO」のメンバーは出発2ヶ月前からドイツ語にカナをふった楽譜を見ながら計5

回、血のにじむような!?合同練習を行った。
その練習の成果は十分発揮され上々の出来栄えで

あったと自負している。

翌日はパルフィ宮殿においてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団らのメンバーによるプライベー

トコンサートを堪能した後、ウィーン州議会のクリクカ議長主催の特別レセプションに出席、暖かい

おもてなしを受け感激した。

この度のツアーは単なる観光ツアーではなかった。国際音楽祭に出演し、夢の舞台に立てたと

いう貴重な体験を味わえたことと素晴らしい仲間に恵まれことに感謝・感謝、とても楽しい思い出

深い旅となり、一生の思い出となりました。

夢が一つ叶えられました。「夢は叶うもの叶えられるもの!」だと思いました。

これからも、もっともっと楽しみながら次の夢に向け挑戦して行きたいと考えています!!


(バリトン I K)2017.08.12



[20] 「合唱の奥深さを知る」

 合唱の魅力を感じたのは職場の混声合唱団の男声が混声とは別に練習をはじめ
ころ・・
昔は山歩き、スキーなどが若者の憧れで、山登りの途中見晴らしの良いとろで自
然発生的に歌がとびだしハモったときの気持ち良さ・・
いつもは遠くで歌っているテノール バリトンなどが 耳元から聴こえ自分の声と
相まってそのハーモニーに背筋が熱くなり感動したことを覚えています。
 仕事が忙しくなり20年のブランクの後合唱に復帰しましたが、感性が鈍くな
たのでしょうか以前の感動に到達していないのが現状です。
 正月の番組でノルウエーのカールホグセットという合唱指揮者が日本の子供達
6日間に亘り指導している放送がありました。たった6日で格段の進歩が見られ
した。「合唱は常に高みを目指し完成度を上げる努力の上に成り立つ。」と言って
いました。お互いに聞きあい、言葉を大切にし責任を持って人に感動をあたえるこ
と、そのための努力が必要だとのことです。
 今まで私はハーモニーの心地よさだけを求めていましたのでまだ入り口に到達し
ていないのではないかと思います。奥は深いですね。

谷先生の言われる”言葉を大切に、歌詞の意味をかみしめながら”
今年も楽しく”和”を大切にしていこう と思っています。


(バスパート  T.H.)2017.01.19



[19] 「私の好きなもの」

  私の好きなもの…趣味?…は、大きく分けて3つあります。「星」、「鉄道」、そして「音楽」。

「星」は、小学生のころ父親に買ってもらった望遠鏡で、木星の4つの大きな衛星(ガリレオ衛星)

を見たときからです。今年の8月、モンゴルへ星空を見に行ってきました。天の川の美しさは素晴ら

しいものでした。星空を見るだけでなく、宇宙や地球のことについて調べたり、考えたりすることも好

きでした。結果、大学への進学や就職(理科の教員)にも影響しました。

  「鉄道」は、近くに八王子駅があり、貨物の操車場で働くSL(たぶん8620型?)やその脇を通

る電車を祖母とよく見に行ったころからでしょうか。電車を見たり、電車に乗ったりするのは、今でも

わくわくします。模型も好きで、中学生のころから紙製の車両を作っていました。今は、なかなか工

作はできませんが、Nゲージの車両をよく走らせています。つい先日は、四国の高松琴平電鉄(琴

電)と伊予鉄道で走っている、元京王線の5000系車両に会いに行ってきました。懐かしい車両に会

えたのもよかったのですが、往路の、「サンライズ瀬戸」から見えた星空がとてもきれいでした。

  「音楽」はというと、レコードやラジオで音楽を聴くのは好きでしたが、音楽の授業は大嫌いで、

人前で歌いなどとんでもないことでした。もともと人前に出て話したり、何かをやることが苦手で、音

楽の実技は大の苦手でした。

 高校卒業の3月、一般社会人の混声合唱団の勧誘に引っ掛かったのがきっかけで入団、その

合唱団は200人くらいの人数がいて、オーケストラ付きの曲を演奏する合唱団でした。そんな曲を知

らなかった私には、とても新鮮で、夢中で練習しました。夢中になりすぎて、大学の進級に影響しそ

うになり、退団。以後、定年退職まで合唱活動はお休み。と言っても、この音楽経験は、仕事をする

うえでかなり役に立ちました。定年後、「八王子クリゲンコア」で再開。そして、「コール・プレアデス」

につながりました。

 「音楽」が最大の趣味とはいえない私ですが、男声合唱という、新しい(私にとって)ジャンルに

ふれ、より広い世界を体験していきたいと思っています。


(テナーパート H.N.)2016.11.07



[18] 誰が「風」を見たでしょう・・・
   男声合唱へのお誘い 


  誰が「風」を見たでしょう・・・ という曲をご存じですか?

小学校時代に習った歌の中で、思わず感動し記憶に残った一曲です。

当時の音楽担当の永沼先生があるとき、その学年の教科書にはない歌を教えてくれ

たのです。


その歌を歌って本当に驚きました。風という「見えない」ものを、ものの見事に表

現し、歌に乗せた作品でした。心に深く沈みました。

 

誰が風を見たでしょう?

ぼくもあなたも見やしない。

けれど木の葉をふるわせて

風はとおり抜けて行く。

   

誰が風を見たでしょう?

あなたもぼくも見やしない。

けれど樹立が頭を下げて

風はとおり過ぎて行く。


 歌詞を読んだだけでは、その内容をイメージできませんでしたが、歌となって

大きく羽ばたき心の中に入ってきたのだと思います。

 その後、すっかり忘れていたのですが、ある時 本屋の棚を眺めていたら、筑摩

書房/三木卓編集の『風の詩集』が目に留まりました。

開いてみて驚いたのは、前述の『風』の詩が巻頭を飾っており。作者はクリスティ

―ナ・ロセッティ、日本語訳は、西條八十でした。作曲者は草川信という方でした。

子供心に感動した詩は 各国語で翻訳されながら世界中を飛び回っていたのです。

 今、私共の合唱団【コール・プレアデス】では、素晴らしい日本の詩(訳詞含む)

を楽しみながら
歌い続けています。

 現在は男声合唱の為の組曲「旅」【作詞:山之井愼/田中清光 作曲:佐藤眞】

を練習中です。


旅にまつわる 味わい深い7篇の詩を歌にしています。

  私自身は、混声合唱団での合唱経験が少しあるものの、男声合唱はまだ始めたばか
 
  り。
私にとって男声合唱の魅力は、なんといっても 素敵な日本語の詩を男声4部

  の重厚なハーモニーに乗せて歌い楽しむ事です。

  全体のレベルはまだまだ高いとは言えませんが、谷先生、升谷先生の適格なご指導

  により、
一曲づづ仕上がって行くのが楽しみです。

  練習後の一杯も又楽しみです。

   リタイア後の 新しい人生を模索中のお父さん!

  男声合唱も選択肢に入れてみては如何ですか?  
   
   (バリトンパート K.I) 2016.09.06


[17] 
団長退任のご挨拶に代えて

                          

男声合唱団コールプレアデス創立以来28年間在籍しておりますが、2008年から8年

、第3代団長として、お役目を無事終えることができました。

長い間、ご支援頂いた団員の皆様、ご指導頂いた先生方に厚く御礼申し上げます。

 

 団の歩み

・団長(会長)

初 代:鈴木章央(1989〜2002)、第2代:松尾信一郎(2002〜2008)

 第3代:武田洋一郎(2008〜2016)、第4代:浅沼清彦(2016〜)

・指導者

初 代:五十嵐淳(1989〜2008)、第2代:谷和子(2008〜)

・伴奏者

初 代:石井光(1989〜1995)、第2代:畑野かん奈(1995〜2004)、折井美紀*、

第3代:升谷奈保(2004〜)、小塩淳子* 

(敬称は省略、*はエキストラ)

 

引継ぎ書類を整理中、団設立から3年後、インタビューのための記事の草稿「男声

合唱へのお誘い」が見つかりました。 ここでは、合唱団として進もうとする方向を

熱く?述べており、いまもその考えは変わり有りませんので、退任の挨拶に代えてご

紹介いたします。 (読みやすいように原文の一部を修正してあります)

 当時はワードプロセッサーでの文書作成が主流でした。大型の日本語タイプライタ

ーに代わってこれ1台で文書の作成・印刷が出来たので、画期的な製品でした。

私の機械は「文豪」シリーズ、3年後にカラータイプを使っていました。草稿はその

当時、フロッピーディスクのファイル(メーカーによりフォーマットが違う)をTEXT

文に変換するソフトで保存していたのだと思います。 パソコンやポケットコンピュ

ーターなど、プログラム言語を組みながら試行錯誤して使っていたことを思い出しま

した。

1980年代後期のパソコン通信は2400bps程度のモデム通信速度、「まいとーく」

と言うソフトを使用して通信していました。画像受信に夜更かしもざらでした。

インターネット接続は1990年代中期からのことです。

 これからも、団のイメージカラーを維持しつつ、新たな旅立ちを期待致します。

以上

バスパート Y.T)2016.08.20


[16] [私と合唱]

   20才代、私は中央アルプスの麓の市民合唱団{60名位} に入団、3年ほど歌いました。ここでは

、合唱もさることながら、野外活動が印象に残っています。

  菅の台高原でのキャンプ、  地野菜たっぷりのカレーの美味さ、高原の朝の空気は草木
の香り

を含み、 太田切川の雪溶け水は美味い。

  退職後数年して、シニア混成合唱団に入団。 団の構成は、女声40名、男声10名で、男声 は、

ガンバラないと女声に埋もれてしまう。ここで、大きな声量が必要とされる。
この団は和気あいあい

で、とにかく楽しく歌うことのみ追求する集団です。

さて、プレアデスに入団して4年目になります。当初は音程、リズム、強弱が確かであれば充分と思

っていたが、  最近、これだけでは不足していると感じ初めてきました。

  「美しい声」「ハーモニー」の追求の重要性です。「美しい声」をどうして出すか。  口の形、発声

部位、息の使い方、声の柔らかさ、
声の伸びやかさ、どれもやりがいのある課題です。

  「ハーモニー」これは合唱の素晴らしさの表現。
 先生の指揮の理解の重要性と応える能力の養

成。各パートをよく聴き、影響し、影響される。
これらは大変やりがいのある楽しみであります。そし

て、合唱の醍醐味を毎回味わってゆきたいとかんがえます。

今は、美しい声を発見することに夢中です。


(バスパート S.O) 2016.07.24



[15][歌う楽しさが分かった時]

 高校卒業までは、学校での音楽の授業も嫌いで、成績も最低でした。それが、大学に入り、部活でワンダ

ーフォーゲル部に入ってから豹変しました。山歩きと歌は付き物で、キャンプファイアーを囲んで「雪山讃

歌、アルプス一万尺、娘さんよく聞け」を歌うのですが、これが歌を好きになる切っ掛けとなりました。

 体育会系の部なのに、体力トレーニングの傍ら、先輩連中の指導で、山の歌の練習をしていました。勉強

は二の次で、アルバイトで稼いで、テント、寝袋、食料、燃料などを詰めた30kg程のキスリングを担い

で、山やスキーに行き、テントの中、山小屋で、山の歌を歌って騒いでいました。

 当時大流行していました喫茶の「カチューシャ」「「灯」にも足繁く通いました。お持ちの方も居られる

と思いますが、その時手にした小さな歌集は今でも手元にあります。



 入社してからは、合唱部に入りコーラスを楽しむ傍ら、所属していた機械部の仲間6人でハワイアンバン

ドを結成、会社のクリスマスパーティーなどで演奏し、私はウクレレとヴォーカルを担当、バンド名は、当

時人気のあった「和田弘とマヒナスターズ」にあやかって、また機械部に因んで「マシンナリースターズ」

としました。又、別の4人でコーラスグループを結成、グループ名を「ザ・ジェントルメン」と称して、黒

人霊歌などを歌い、そのハーモニーを楽しんだりしていました。

 その後、勤務地が変わったのを境にバンドとコーラスと一時お別れとなり、コールプレアデスに入団する

まで40年間はカラオケでお茶を濁したりしていました。初めのころのカラオケは、現在のように画面に歌

詞が出て、歌いだし迄教えてくれるものではなく、歌集を前にして、ディスクやテープから流れる音に合わ

せて歌うもので、出だしを合わせるのが難しかったですね。


 その間、山歩きとスキーは続けていて、「日本百名山に登る会」に所属して、北アルプス、南アルプスを

中心に66座に登っています。
北アルプス常念岳(2857m)に初めて上ったのは、平成2年7月。天候

にも恵まれて、槍ヶ岳から穂高岳への大展望は素晴らしく、山頂に腰を下して長時間眺めていました。この

景色に魅せられて、常念岳には合計
4回登っています。


 定年後のアルバイト先を退職後、久し振りにコーラスにチャレンジしてみようと、2008年(平成20

年)5月にホームページで知ったコールプレアデスに入団、丸8年が経ちました。団員は少なく、一緒に入

団したもう一人と合わせて
も10人と少人数でした。その時点で指導の先生も変わり、現在の指揮者の谷先

生となりましたので、谷先生とは同期と言うことになります。だからどうなの、と言われても困るのですが。

 練習は基本的には月2回、木曜日、午後7時から9時迄でした。40年振りのコーラスで、楽譜にある音

楽用語も分からない(思い出せない)ものが多く戸惑いました。入団当初は、パートのメンバーが少ないテ

ナーパートで歌っていましたが、その後、セカンドテナーを担当している時に、バスパートが手薄と言うこ

とで志願して移り、現在に至っています。


 初めてのステージは、入団の年11月3日の「八王子市民文化祭・合唱の集い」で、「ゴンドラの唄」「

君を愛す」「さようなら」を歌いましたが、大変緊張していました。しかし、2013年(平成25年)と

2016年(平成28年)の二回の自主コンサートを主としたステージを重ねるごとに、次第に慣れてきて

、団員も倍近くに増え、男声4部合唱のハーモニーを楽しめるようになりました。


 加齢と共に暗譜が苦手となってきていますが、ボケ防止には丁度良いのではないでしょうか。平均年齢

も高く、上手なコーラスグループとは言えませんが、メンバーはコーラスを心から楽しんでいます。メンバ

ー夫々が諦めずに、少しでも練習を積むことによって、団のレベルは徐々に上がって行くと思います。

 各パート約5人の人数を各6人、7人と増員できれば、もっと重厚な男声コーラスのハーモニーを楽しめる

のではと団員募集中です。

(バスパート A.Y) 2016.07.14




[14]

 私は先輩のバリトンN・Hさんの紹介で入団し、もう5年になりますが、子供のころ

は音楽嫌いで、学校の授業からは逃げ出したいくらいでした。

 高校時代以降はキャンプファイヤーでホークソングや、新宿のうたごえ喫茶で歌った

たり、飲み仲間とカラオケバーで歌ったりしていました。退職後は八王子にある歌声喫

茶「ふる里」によく通っていました。マア歌うことは好きだったのだと思います。

 そんなことで入団して間もなくですが、50年来の、吸いすぎと飲みすぎで肝臓をやら

れ、大学病院で3回も手術を受けることになりました。この間休団したりしていました

が、団員仲間の暖かな励ましに、大いに勇気つけられました。

 今は医者から「飲まないで、再発しなければ生きられる。」といわれています。止む

を得ず酒を断っていますが、近ごろは断酒の功罪は半々かなと思っています。功は無論

、延命、2日酔いの後悔ナシ、そして金が掛からないことですが、罪は、仲間と飲みな

がらの腹を割った付き合いができないことです。でもあのまま飲み続けていたら、いま

ごろはもうコーラスどころか、生きていないだろうと思って諦めています。

 (バス N・K)2016.06.13


[13][私のコーラスの付き合いについて]

 サラリーマン生活が終了し何か趣味でも持って生活をしないと考え、特にボケ防止と

の思いから学生時代にコーラスをしていたので男声合唱団に入団しました。ホームペー

ジで団を知り入団させて頂きました。


 私のコーラスの出会いは古く小学校の低学年の時です。終戦後の何もない時代で、近

くにカソリック教会があり日曜学校に友達からの誘いから行くようになりました。(日

曜日やクリスマス、イースターなどには珍しいお菓子などが頂けたける楽しみが目的だ

ったかな)。そのうち、ミサにも参加し聖歌を歌い、遂には聖歌隊のメンバーになって

しまいました。

 高校、大学では男声合唱団に席を置き大いに歌いました。また時代が60年安保の時で、歌声喫

茶などでどうま声をはり上げていました。サラリーマン時代は仕事に追われ、コーラスとは全く離れ

ていました。

 今は当合唱団に参加し歌好きの仲間が集まって楽しい時間を共有しています。ボケ防止から始

めましたが十分に効果ありと考えています。1つは発声が大切で呼吸法が役に立っていると思いま

す。2つはステージのため歌詞を覚えること。(最近は辛くなってきました)3つは仲間とお酒を酌み

交わし日頃のストレス発散が出来ること。他にも効果的なことが多いと思っています。


 どうぞ、一緒に歌いボケ防止のために当合唱団に参加しませんか。

 (バス T.I)2016.06.05


[12]
[音楽との出会い]

幼児期

 昭和22年(1947)の大ヒット曲その歌は「啼くな小鳩よ」、詞の意味もわからない

のに母の背中でよく口遊んだ様だ。母からよく聞かされた。

小学期

10歳年上の姉が、小学校の先生になり、オルガンの練習をしていた。(当時は音楽

の専科はない)そんな訳で、オルガンの脇でひょこっと座っていた事は覚えている。

学校でよく歌わされた歌は、「仰げば尊し」、「校歌」、「君が代」である。

中学期

確か2年生の時、音楽の先生がクラス担当であった。ソプラノで素晴らしい声の先

生だった。当時は音楽のテストはペーパー(声楽のテストはなし)、担任の先生への

見栄もあって、そのテストだけは頑張った。音階は論理的、音楽史は日本史等と同様

でも暗記すればよかったので。

高校期

芸術(美術、音楽、書道)は選択科目、しかたなく音楽を選択した。校内ではクラ

ス対抗の合唱コンクールがあった。これがコーラスとの出会いだった。また、ダーク

ダックス、ボニージャクス等が出始めた時代であり、文化祭では音楽大学に行った友

達から誘われ、観客の中で歌った、英語の歌詞だった。逆に英語の単語を覚えるの格

好の場となった。コーラスが素晴らしいと感じたのはこの頃だ。

大学期

スポーツクラブに入りたかったが高レベルで断念。何も考えずに入ったのがコーラ

スクラブ。そこからは大変、音楽経験がない部員は3人の内の1人、バカにされなが

ら我慢、我慢の連続。でもハモーニーの素晴らしさを教えてもらった。コーラスに感

謝。

 その後、仕事中心の生活となりコーラスとは断絶。退職後、45年ぶりのコーラスと

再会。入団するきっかけとなったのは、2011年3月11日の東北大震災で津波にの

まれ知人が亡くなったことです。ショックで何も考えられない時、中学校の合唱コンク

ールや卒業式などでも歌われている「「大地讃頌」(だいちさんしょう)がよく流れて

いた。そうだ1人ではないコーラスで歌えば気持ちもが晴れるかもしれないと・・・。

最初はどうなる事かと心配しましたが、2人の女性の指導者から易しく指導して頂き感

謝・感謝です(手厳しい時もありますが)。

 今はお蔭様で個性豊かな仲間にも恵まれ楽しませてもらってます。歌う事だけではな

く、アフターの飲み会、山登り等、これも楽しませてもらっています、家内からは、コ

ーラスクラブではなく飲み会クラブ、山登りクラブ等と茶化されています。

(バリトン K.A)2016.05.28



[11][私とコールプレアデス]


 私がコール・プレアデスの皆さんの仲間入りさせていただいたのは平成6年、私が54

才のときでした。コーラス経験のない私を、皆さんは温かく受け入れてくださり、深く

感謝しています。

 その時の指導者は、現役の小学校教師であられた五十嵐淳先生でした。先生はおおら

かで温かい人柄の方で、私たちを19年に亘ってご指導くださいました。曲目も、タンゴ

を始め、イタリア民謡、日本の名曲まで幅広く教えてくださり、楽しい時間を過ごすこ

とができました。コール・プレアデスの団歌である“昴”は先生ご自身が編曲され、永

い間、詠わせていただいています。

又、ボニージャックスの“空とぶうさぎ”は、プレアデスの愛唱歌として多くの方々に

感銘を与えてきました。

 五十嵐淳先生も、定年を境にプレアデスを去ることになりました。19年間どうも有り

難うございました。そして、プレアデスのピアニストとして、永い間、私たちを指導し

てくださいました畑野かん奈先生に心から御礼を申し上げます。

 五十嵐先生退任の半年後、ピアニストの升谷奈保先生の御尽力により、新指導者とし

て指導経験豊富な谷和子先生をコール・プレアデスに御迎えすることができ、プレアデ

スは再出発することができました。2016年の今年、再出発より8年目になりました。私

も諸々の事を経験させていただき、団の皆さんにも心より感謝いたしています。

 又、今年はコール・プレアデス創立28年になります。改めて、素晴らしい指導者に恵

まれた事に御礼申し上げます。

(バリトン N.H)2016.05.28



[10]

  68年間、合唱、カラオケ等まったく興味もなく縁のない生活を送っていた私共夫婦が

合唱団に入団するとは、夢にも思っていませんでした。BrのK氏に進められ、一年以

上も二の足を踏んでおりましたが、この年になると、まわりの友人も減りつつある昨今

、「新しい友との出会い、練習後の爽快感、たまに酌み交わす杯の楽しさ」等を聴き心

を動かされ、まったく合唱に関係のない不純な理由で入団に至りました。

 妻も私が入団して三ヶ月後に、谷先生の指導する女声合唱団(木の実)に先生の誘いに

より入団し、当初はハ長調の音階ぐらいしか読めず声の出し方も解らず、周囲を気にし

ながら口パクで歌っている様でしたので練習あるのみと、我が家はこれまでと一変して

ボイスレコーダーの音と調子はずれの歌?声が鳴りやまぬ日々でした。しかし息の合っ

たピアノの升谷先生の伴奏と、谷先生の体全体で指揮される(優雅で躍動感溢れる)姿に

魅せられ乗せられ次第に自然と声が出せるようになり合唱の楽しさが解り始めました。

  合唱は、ただ喉から声を出して歌っているだけと高をくくって居りましたが、腹式呼

吸(丹田呼吸)をし、胸を張り姿勢を正し、一時間も練習していると足腰に負担がかか

り,何と体力のいる事かと思い知らされました。この丹田呼吸をすることにより、体全

体に酸素が行き渡り、すべての細胞が活性化され、元来持っている本人のすばらしい声

が出せるようになるそうです。

我が団の平均年齢を調べて見ると、73.7歳ですが皆10歳ほど若く見えます。顔の色艶

は良く張りが有これも合唱による口を
動かし顔全体の筋肉を使い丹田呼吸をし、姿勢を

ただして合唱してきた賜物だと思います。

 入団して三年半が経過した今、私も何とか合唱団の一員として自覚、自信が芽生始め

た今日この頃であります。

 合唱を志そうと思案している皆様、こんな私でも歌う喜びを得ることが出来る我団に

是非足を踏み入れて少しでも多くの
皆様に合唱の楽しさを味わって頂き若返ってほしい

と思います。

P.S. 素晴らしいマドンナ(けっして若くはないが)女性指揮者の谷先生とピアノの

升谷先生に月4回会える喜びもあります。

(セカンドテナー T.M)2016.04.29



[9]
[私とコールプレアデス]


 コールプレアデスに入る前は、カラオケで歌うのが好きでした。コーラスをやってみ

たいという思いはありましたが、仕事などの事情で出来ませんでした。60歳定年で余裕

ができたので、インターネットを覗いて、コールプレアデスの門をたたきました。

 実際にコーラスをやってみて、コーラスがカラオケより楽しいと思うようになりまし

た。心を震わすようなハーモニーとそれを作り出す仲間たちとの交流が魅力でした。

 また、普段はやらない腹式呼吸で声を出すことにより、練習が進むにつれて体が温か

くなり、新陳代謝が活発になることが分かりました。

この合唱団に入って7年がたち、最近になって谷先生の言っている発声の基本が、実感

として分かるようになりました。

・丹田に力を入れ発声すると、声量が安定する。

・姿勢が良いと、良く声が出る。

・そのためには、暗譜が必要。


 ところが、暗譜で歌うためには、音程、リズム、歌詞を身に着けなければなりません。

今回のコンサートの様に多くの曲を歌うときには、記憶力の限界に挑戦しなければなら

ず、大変苦労しました。これらの苦労のうち最後まで残るのが歌詞で、余裕を持って口

から出てくるようにしないと、伸び伸びと気持ちよく歌えません。

私の対策は、単純で、誰でもやっていることでしょうが、声に出さなくてもよいから、

暗譜で何回も歌うことでした。私の記憶力が悪いのをカバーするのには、何回も繰り返

し練習するしかないと実感しました。

これからも、暗譜で歌えるように練習して、伸び伸びと楽しく歌いたいと思います。

 また、コールプレアデスの仲間には、多様な考え方や性格の人たちが居ますが、「世

界に一つだけの花」の歌の様に、個人個人の違いを認め合いながら、楽しい雰囲気でコ

ーラスを楽しんでいきたいと思います。

(セカンドテノール T.Y.)2016.04.04



[8]

 今日は、私達のブログをご覧になって興味を持たれましたか。団員仲間が

あれやこれやとお誘いをかけているようですが。     

 私の入団のきっかけは病の後のリハビリ、発声は免疫力を高めるからとの

妻の勧めで、合唱のがの字も知らずふらっと見学に来て右も左もわからずそ

のまま入団、以来仲間の迷惑省みず今だ居続けているのは、たぶん居心地が

良いからでしょう。(個性豊かな人間味溢れる先生方や仲間達が魅力)

 また歌詞を覚えたり、オタマジャクシを読んだりと少々頭を使うのも良い

のかもしれません。四苦八苦も良いじゃありませんか。唄った後の壮快感と

至福の一杯、応えられません。

 ともかく一寸のぞいて見てください。現役、超ベテラン、超初心者、気に

しない気にしない。新しい仲間づくり、刺激ある時間づくりを始めませんか。

 貴方次第ですぞ、待ってま♪~~ーす。

セカンドテノール SM)2016.03.13


[7]


私は中学生時代から合唱を楽しんできて、大学、社会人(40代後半)に続き、50代後半

から当合唱団に参加しています。当合唱団では20年以上になります。

私は軽い難聴があり、楽譜も正確には読めませんが、いつも皆さんに助けられ、練習を

重ねながら少しずつ歌えるようになります。

年2回の合唱祭で力一杯歌った後の感動は何とも言えない喜びです。絶妙のコンビの優

れた指揮者とピアニストの方に恵まれ、楽しく練習し、歌っています。高齢でも声は出

ますので、できる限りこれからも合唱を楽しみたいと思っています。

また、指揮者の谷先生の関係で、憧れのサントリーホールで2010年に歌いました。

是非、練習の見学にお出かけください。

ところで、私の失敗談を紹介します。

2014年、パトカーと救急車にお世話になりました。コーラスのメンバーと奥多摩の御岳

山にハイキングにいきました。風邪気味で体調が悪く後半バテてしまい、救急車を呼ん

でもらいました。しかし道が狭く、救急車が近づけないため、救急車が待機していた広

い道路まで、小さいパトカーに乗せてもらいました。その後、回復しましたが、メンバ

ーの皆さんにご迷惑を掛けてしまいました。

(セカンドテノールE.M.) 2016.02.25



[6]『新人の願いと・歌う仲間のお誘い』

2015年10月入団しました15歳になる若者です、既に還暦を過ぎてしまいました。

 入団の事由は近所に歌う場が無いかとネットで検索していたら「コール・プレアデス」

にめぐり合いました。

 はや、入団4ケ月余りになりますが、入団歓迎会等皆様に助けられまして毎週木曜日

の練習を楽しみに家庭生活を送っています。未だ、全員のお名前を覚えられなく、失礼

しています、団長、指導者、ピアニストお三方は真っ先に覚えられました。そして、団

員のなかに3名程、以前他団体主催の演奏会にてご一緒になった方もおりまして、お声

を掛けていただき大変心強かったです。

 今春3月21日には、八王子市にあります、いちょうホールにて「春のコンサート」

が開催されます。そこでは23曲余り歌います。ほぼ毎日自宅にて練習していますがな

かなか覚えられず、情けなく落ち込んでしまうこともありますが、指導陣、団員に認め

らますよう予習復習に励んでいます。

 私、合唱を始めて15年になりましたが音楽の大きさ、奥深さ、神秘性等等音楽と人

間との関わり、また、動物・植物・昆虫等生きるもの全てが音楽となんらかな関わりが

あることを感じ、あらためて「音楽」のエネルギーを感じています。

 男声合唱団「コール・プレアデス」は、ホームページにありますよう、創団28年と

八王子市域で長く活動している合唱団でして、団の印象として、地味で謙虚な姿勢の合

唱団と私は初めに感じています。

 わが家のご先祖様は仏教でして、以前菩提寺との関係で、僧侶による、演奏会会場(

横浜にある某寄席亭)に行く機会がありました。40数名からの合唱(声明)35歳以

下の若き僧侶が煌びやかな衣装(衣)で歌われる姿にそれまでに見たことのない幻想的

な世界を見てしまいました。声明には、斉唱、重唱あり、そしてアカペラでした。仏教

徒である自分がミサ、レクイエム、スタバート・マーテル等西洋の宗教曲をなんの抵抗

も無く歌わせて頂き改めて日本人の多様性を感じています。

 洋の東西を問わず「音楽」と「人類」は、切っても切れないな物として存在してきた

事改めて考えさせられます。

 縁あって、この音楽の一つである合唱と出会いを大切にして残る人生、身体が土に帰

るまでの時間を十分に楽しみたいと願っています。

 今後、私の合唱活動の目標(年齢に応じた美しい発声・ピッチ、リズム、テンポの正

確性・団員との強調)、この極、当たり前の目標ですが、団体作業である合唱を、より

よい品質にする為に練習方法等に創意工夫を取り入れ、初心者も早期に合唱の楽しさを

受諾できますよう、願っています。

 お家にいっらしゃる男性の方、是非、健康と若さ(呼吸運動による心肺強化とがきの

時代の競争意識)を取り戻す合唱へ是非ご参加ください、ご一緒に歌いましょう、お待

ちしています。

29.01.2016)トップテナーS.




[5] 「唄は心を豊かに身体を健やかに」


 それは、退職3年前のことでした。小学生の頃からクラックの特にシンフオニー鑑賞が好きだった

私に、知人が 「演奏会では、指揮者の背中だけしか見えないが、ステージに上がって、前から見

ないか?」と大阪フロイデ合唱団(200名)に入団を誘われれました。 それまでせいぜいカラオケ

で、演歌を唄うことしか出来なかった私にとって、晴天の霹靂でした。今もそうですが楽譜もろくに

読めない、全くの素人で強心臓を発揮、思い切っての入団でした。

当時、その合唱団は大阪フエステイバルホールで大阪フイルハーモニー演奏、外山雄三先生指揮

を長年からステータスとして続いておりました。入団時の曲は、ベートーヴェンの 「ミサ・ソレムニ

ス」で、いきなり難曲で、戸惑いましたが初ステージに上がった時の緊張と終わった時の感動は目

に涙が滲む印象強いものでした。

 退職後は居住地の高槻市民合唱団に移り、そこで知り合った友人の一人から男声合唱団に誘

われ、今までと違い10人位の団員で、月2回の練習後、2ヶ月に1回近くの居酒屋で美酒に酔い、

大阪の合唱団で禁止されていた演歌を唄い楽しいひと時を過ごしました。この雰囲気が忘れられ

ず2年前に八王子に転居してから、ネットで男声合唱団を検索して、コール・プレアデスの魅力溢れ

るコーラス仲間に魅かれ入団しました。歳だけ重ねて経験の浅い私ですが、優しく気持ちよく歓迎

していただき、柔らかい和音に包まれた毎週の練習を楽しく満喫しております。
                               
(トップテノール K.T2016.01.25



[4] 「合唱との出会い」

私とプレアデスの出会いは、何とはなしに色々な合唱団のホームページをブラウジングしていた時

でした。当時は間近にせまる退職後の事をあれやこれやと考えていた頃です。漠然と合唱をやっ

てみようという気持ちがあったのかもしれません。『男声合唱団プレアデス』という文字が飛び込ん

できました。元々歌は好きな方で、様々なポピュラーソングを歌っていましたがカラオケでの独唱

やユニゾンばかりで本格的な3部/4部の合唱はしたことがありませんでした。とりあえず見学を、、

、と考えホームページから申し込みましたが、何となく気後れし行けず仕舞いとなり、プレアデスと

は疎遠になってしまいました。

月日が流れ退職後一年もした頃、団長の武田さんからメールをいただいたのがきっかけで、なぜ

か急に合唱団に参加したいという気持ちになり、またまた見学を申し込みました。気後れはありま

したが清水から飛び降りる気持ちで出かけてゆきました。当時は10人足らずの小所帯でしたが団

の雰囲気がとても良く、また指導者の谷先生の指揮振りに魅了されその場で入団を決めました。

その日、団歌『昴』を歌った事を今でも思い出します。

プレアデスに入る前は、合唱は独唱よりも下であるという間違った?考えを持っていましたが、合

唱を始めて間もなく、ハーモニーの素晴らしさに気付きました。これは今まで自分が経験したこと

のない心地よさでした。

現在では団員も20名近くに増えましたが、団の雰囲気は変わりません。また特筆すべきことは指

揮の谷先生、伴奏の升谷先生が団に溶け込み一体となっているということです。これもプレアデス

の魅力の一つでしょう。

多くの仲間と巡り合い、楽しく歌い、楽しく語り合い、楽しく酒を酌み交わす、こんな素敵なセカンド

ライフがあるでしょうか?

ちょっとした気後れや恥ずかしさを投げ捨てて、貴方も是非見学に来てください。幸せはいつも手

の届くところにあるのです。

(トップテナー H.I)2016.01.25


[3] 「コーラスとの出会い」

僕がコーラスを始めたのは、大学に入ってからでした。地方の大学の工学部だった

で当時はほとんど男ばかり。当然男声合唱団。でも4年間みっちりやりました。

パートはセカンドテノール。

今でこそピアノはどこにでも有りますが、40数年前ではピアノなんて高価な物は

とんど無くて、男声コーラスと言えばほとんどがアカペラでした。必然的に無伴奏

ならざるを得なかったというのが真相です。でも伴奏が必要ないということは団員

集まればどこででもハモることができるということでとても楽しかった。

若い頃は記憶力が良くて、すぐに暗譜もでき楽譜が無くても歌えました。(それに比

べると今のなんと記憶力の悪いことか)音叉一本あれば、飲んで酔っ払っていてもな

んとなくハモることができました。

ダークダックス、デュークエイセス、ボニ―ジャックスなどのコーラスグループも

盛期で僕のあこがれでした。これらのグループもすっかり年をとり、見かけること

少なくなってさみしい限りです。

就職してからもコーラスはやりたかったのですが、仕事が忙しくてできませんでした。

定年になってからやっと時間的な余裕ができて、もう一度コーラスをやろうと思い、

「合唱のつどい」などを聴きに行って、どんな団体があるか調べてみてコールプレア

デスという男声合唱団を見つけました。ラッキーなことに練習場所もすぐ近くでした。

入団してから6年目になろうとしています。

今は頑張ってトップテノールをやっています。このパートは主旋律を歌うことが多く、

高い声の人であればコーラスをやったことのない人でも参加しやすいと思います。

来たれ団塊の世代の人よ!!

(トップテノール MH) 2015.12.11




[2] 「思い出すままに」


私、昭和12年生まれ、もうすぐ78才。歌の馴れ初めは、山登りを始めた高校2年生の春、部活の友人から山登

りに誘われ、奥多摩に行ったのが病みつきになり、新宿発23時55分発の中央線夜行列車の人になり、主に、

北アルプス、八ヶ岳、大菩薩、丹沢、谷川岳等々・・・・。山小屋で過ごした至福の時間は今でも心に!一人、二

人、歌が出て、大合唱の夜。私も下手なハーモニカや横笛を吹き得意顔でした。

もともと小6時代の担任が音楽の先生でしたので、音楽は自然と身体に沁み込んでおりました。

男声合唱の初体験は、損保会社へ入社した秋の音楽界で、学生時代にコーラうをしていた先輩のリードで「

OK牧場の決闘」を歌ったくらいです。

後はお決まりの転勤々々に明け暮れ、50才代になって、やっと八王子に戻り、縁有ってコールプレアデスを知

り入団したのも、つかの間、定年延長を期に神奈川県本厚木が勤務先になったため、コーラスの練習に出られ

ず、やむなく退団、いつしか67才になってしまいました。

その後、幸いにも八王子に落ち着いて、その頃コールプレアデスが細々と?活動していることを知り、再入団し

ました。当時は下手ながらも明るく楽しい10名くらいのささやかな合唱団でした。最近は人数も増え、レベルアッ

プして、演奏会も開催するようになりました。演奏会には指導者の縁で女声合唱団の協力も頂き、混声合唱も

取り入れています。


”歌好き、声のよしあし問わず、集まれ”

(テノール YU) 2015.10.2



[1] 来たれ!男声合唱団「コールプレアデス」へ!!

自分はカラオケなど歌には興味が有りましたが、「合唱団に入ってまで・・・」

と思いつつ入団を許され早や3年半が経過しようとしています。

入団当初は楽譜が読めない、四分音符、8分音符など音符の意味が分からない、

分からないことだらけ。

しかし不思議なものですネ、慣れると分かるようになるものなのですネ。

厳しくも心優しい指導者と素晴らしい仲間に恵まれ、

「入団して本当に良かった!」と思う今日この頃です。

上手い下手など関係ありません。こんな私ですら何とか練習に付いて行けるのは

練習以外に楽しいことが一杯あるからです。

練習後、両先生にも参加していただきJR八王子駅周辺での飲み会を楽しんでいるほか、

お花見、紅葉シーズンの初級ハイキング、ゴルフ同好会、年1回「五日市養沢センター」

での合宿などなど大いにエンジョイしています。

カラオケも楽しいですが、合唱は一人一人の個性が反映され、もっともっと楽しいですヨ!

よくできた時の満足感は、これまた格別です。

一度きりの人生・・・皆さーん!「コール プレアデス」に入団し、共にエンジョイしようではありませんか!!
「じゃあ、いつ入団するか?」「今でしょう!」

(バリトン IK)

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