Mission1
街ゆく宗教の勧誘を撃退せよ!・・・その4
我々は茨城県は水戸駅南口を中心にミッションをインポッシブってきたのではあるが、それは宗勧に多大なる影響を与えた。我々の活動が宗勧に、ひいては世の中にどのような影響を与えたのか・・・最後にそれを語らねばなるまい。
我々がこのミッションを開始したのは1992年。じつに7年前である(1999年現在)。当時、まだ秘密結社KIOは歴史の表舞台には現われてはおらず、結社結成に向けて綿密な裏工作がおこなわれているようないないようなという状況であった。しかし、にも関わらずミッションは施行されていた。すごい! つーか、それはおかしい! まあ、気にしないでもらいたい。気にしないほうが楽しめます。
とにかく、我々は1992年に宗勧撃退に乗りだしたのだ。季節は灼熱の太陽が照りつける夏だった。そう、暑さで頭がボーッとなってしまい、どうしても判断力が鈍る季節。そのため、「ちょっといいですか?」と言われたら思わず対応してしまいがちな季節。宗勧はそういう季節を見逃さない。奴等は暑さをも利用して勧誘活動に精を出すのだ。
だが、それは我々にとっても好都合だった。我々はその時期、予備校に通うために地元から毎日水戸へと出向いていた。そのため、数多くの宗勧を撃退することができた。いや、ハッキリ言って、予備校なんてそっちのけで撃退しまくってたね。
我々の活動は苛烈を極めた。時には宗勧を駅の反対側の通りまで追いかけていったこともあった。ストーカーってやつ? 当時はそんな言葉はなかったが、まあ、要はそんな感じ。また、時には一人の宗勧を友人10人ぐらいで囲んでやったこともあった。宗勧にカンパをお願いしたこともあった(カツアゲ?)。
ともかく、そんな活動を続けていると、そのうち我々には宗勧が声をかけなくなってきた。どうも宗勧の仲間内でブラックリストみたいなものがあるらしく、我々はそれにのってしまったらしい。まあ、毎日のように宗勧を撃退してたんだから、そりゃ覚えられるわな。
そんなこんなで我々の撃退率は大幅に下がってしまった。しかし、我々はあきらめなかった。あきらめるどころか、よりアグレッシブにイクことにしたのだ。すなわち、宗勧にこっちから声をかけにいったのだ!
我々を避けようとする宗勧に巧妙に近づいては、「ちょっとお時間をもらえませんか?」とこちらからコンタクトをとる。もうすでにどっちが勧誘の人なんだかわからん。しかし、こうでもしないと宗勧とコンタクトをとることが出来なかったのだ。我々はこうしてまた宗勧を撃退していった。撃退っていうか、ただのいやがらせだけど。
そして・・・
その結果、驚くべきことが起こった。
なんと、水戸駅南口から宗勧が姿を消したのだ!
もう、ホント、どこにもいない。あれだけいた連中はどこにいったの? って感じに。
勝った・・・
我々はそう思った。なにがどう勝利したのかわからないけど、とにかく我々にはなにかに勝った感触があった。そう、秘密結社KIOの初勝利である。いや、まだ当結社は存在しなかったんだけどね。この事件の直後ぐらいに結成されたんだから。だから、当結社発足当時はこの宗勧の水戸駅南口撤退という事件を初勝利とは感じていなかったんだけど、でも、今思うと当結社の初勝利だったように思える。ってゆーか、初勝利に決定した。いまから。わーい。
と、いうわけで、我々は宗勧を水戸駅南口から文字通り撃退した。我々のたゆまぬ努力が実を結んだのだ。ありがとう、ありがとう、皆さん。
その後、水戸駅は一時的な平安に包まれている。我々の記録によれば、1994年ごろまで奴等の勧誘活動は完全に沈静化していた。奴等が水戸駅周辺で我々に遭遇することはなくなった。一度、宰相が一人のとき、宗勧が北口の方にあらわれたことがあったが、その時もすかさず撃退したため、その後あらわれることはなかった。
だがそれも1995年以降どうなっているのかはわからない。今のところ我々は水戸駅周辺で奴等を見かけてはいないが、ひょっとしたらまた活発な活動をはじめているのかもしれない。奴等が完全復活したという噂を聞くこともある。奴等に遭遇したという情報も当結社宛てによせられてはいる。だが、正確なところは不明だ。諸処の事情により、我々はあまり水戸駅周辺に出撃しなくなった。そのため現在の状況は良くわからないのだ。
しかし、これだけは言える。宗勧はけっして撃退できない存在ではない。もし、奴等が復活していたとしても、また撃退してやれば良いだけのことである。諸君、活発な宗勧に絶望してはならない。諸君の積極的な行動ひとつで、奴等などどうとでもなるのだ。もう、なんつーか、いつでもかかってこいって感じなのだ。宗勧は怖れるべきものではないのだ!
そんなわけで、ここでミッション1はとりあえず第一部完!