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すっかり平和ボケをしている現代人の一人として、今日も何をするでもなく過ごしていた。 いや、過ごそうと思っていた。 やけに天気の良い午後を、愛猫の猫のまると共に過ごそうとしていたところ、祖母に買い物に行って来てほしいと頼まれた。 断る理由も無いので、二つ返事で腰をあげ、急ぐ用事じゃないだろうからとわざと遠回りして頼まれた仕事をこなそうと思っている。 この町に戻ってきたから、一月も経っていない。 以前に住んでいたとはいえ、町はすっかり姿を変えていて、知らない町に紛れ込んでしまったのでは、と最初のうちは戸惑っていた。 しかし、それにもすぐに慣れた。 よく見ると町は、本質的には何も変わってはいなかったから。 それを教えてくれたのは、祖母であり、祖母の店で出会ったなんとも不思議な少女のお蔭であると自分では思っている。 祖母から頼まれたのは、店で焚く香を買ってきてくれとのことだった。 その店なら、よく小さい頃祖母に連れられて行っていたので覚えていた。 店を出て右に道を曲がって真っ直ぐ行けば着く。 軽い散歩だと思える程度の道のりだったはずだ。 しかし、そのとおりに行くのもなんだか面白くなかったので、店を出て反対方向の左の道を今は歩いている。 香の店には、祖母と同い年ぐらいの丸い眼鏡をかけた老人がいつも隅の方に座っていた。 祖母に連れられた俺を見つけては、頭をこねくり回された記憶がある。 まぁ、良いじいさんだ。 歩き始めて暫くすると、右手に土手が見えてきた。 折角なので、川縁を歩く事にする。 町の西側に流れるこの川は、たいして大きくは無い。 しかし、近所の子供らは一度は、この川に掛かる橋の上から飛び降りるというなんともエキサイティングな遊びを経験しているはずだ。 言わずもがな、俺もその一人ではあるが。 今は、どうなのかわからないが、よく泳いでもいた。 久しぶりのその川を眺めながら歩いていると、テトラポッドに器用に座りながら釣り糸を垂らす初老の老人を見つけた。 何か釣れるのだろうか。 川で泳いだ記憶はあるが、魚を釣ったような記憶がない。 うーん、自分は結構活発的なタイプなのかもしれない。 今は、そんなかけらも無いのだろうけれど。 いつからこうなったのだろう。 その老人から目線を左にずらすと、見知った少女が土手に腰掛け釣りをしている老人を眺めていた。 ただぼーっと眺めているようであり、ある特殊な感情が込められているような視線で見つめている。 それより、学校はどうしたのだろう。 少なからず今日は、平日であり他の学生の姿なんて見かけてはいない。 けれど、彼女は私服でそこにいるのが当たり前のように景色に溶け込んでいた。 足を速め彼女に近付いていく。 「学校はどうしたんだい?」 いきなり声を掛けられて驚いたのだろうか、一瞬体をびくりとさせてこちらを見上げた。 不審な表情を向けられたが知りあいだとわかったのだろう、彼女は微笑んでこう言った。 「今日は、一般受験の日だから在校生は休みなの」 なるほど。 だから、制服の学生には一回も会っていないわけだ。 2月には、そんなイベントがあったなと今更に思い出している。 「何を見てた?」 「釣りをする人」 一瞬の間も無く彼女は、答えた。 俺は、彼女の左横に少し間を空けて座る。 目線が大体同じになった。 それを気にすることもなく彼女は、視線を釣り人に戻し続ける。 「釣り針のついていない糸を垂らして、ずっとあぁやっているの」 同じ対象を見た。 「何を釣ろうとしているんだろう」 彼女の視線を右頬で感じながら、ずっと釣り人を眺める。 そうか。 「あの人は、俺らみたいな人に謎掛けをしているんだ」 「謎掛け?」 「そう。絶対に釣れない糸を垂らすのは何の為でしょうかって」 彼女の方を向く。 少し笑って。 「まさか」 彼女は、眉根を寄せてこちらを見ている。 自分も、全部が全部そうだとは思ってはいないが、何割かそうだったらいいなとは思っていたりする。 こんな退屈な毎日を過ごしていたら、ときに冒険をしてみたくなるものだ。 あの人もそうだとしたら、きっと今冒険をしているに違いない。 二人の若者の視線を背中に感じ、釣り糸を垂らしているのだ。 一人は、釣り針がついていないことを知っている。 もう一人が現れたらば、その事を話すに違いない。 もし、自分が彼女の立場だとしても同じことをしただろう。 そして、本来の釣りの意味をまったく成していない行動についてあれこれ話し出すのだ。 そんな若者の行動を、あらかた予想して楽しんでいるのではないだろうか。 自分が話題に上がっていることに、内心ほくそえんでいるのでは。 なかなかの好奇心に満ちた老人だ。 しかし、それも全部、 「想像だよ」 「想像?」 俺は答えないで、ふたたび老人に目を向けた。 「推理とは違う。論理に基づいて考えてないからね」 「わからない」 溜息をして、彼女もふたたび老人に視線を戻した。 「物事の本質を知りたくて、自分で想像してみるのもいいけどそれじゃあ正否を見極めるのは難しい」 立ち上がり、パンツについたほこりを手で払いのける。 気配に気付いたのか、彼女は最初のように見上げてきた。 「どうしたらいいの?」 「本人に訊けばいい」 釣り人を指差した。 どうやら、片づけをし始めているらしい。 これから場所を替えて同じことをするのだろうか。 そこまでは、想像はできなかった。 「当たり前の事のように言うのね」 彼女は、軽く目を伏せ両の掌を見つめていた。 気にしない振りをして、空を見上げてみる。 白い雲が、ゆっくりと流れていく。 「”釣りをする人”は、自分の事に気付いて欲しいだけなの? それとも、話し掛けてもらいたいの?」 呟くような声。 「見てて欲しいんじゃないの?」 なんて言っておいて、自分ではいい加減な奴だと思っていた。 だって、俺は 「釣りはしないから、正直想像しきれないけど」 歩き始めた。 横目で釣り人を眺めながら、頭上の雲に追い越されながら、当初の目的を思い出しながら。 「ずるいなー」 背中の方で彼女が呟くのが聞こえる。 そうそう。 俺はいつもこうやって本質には辿り着かないことが多い。 というか、それが殆どだ。 それはなぜかと言われると少し困るが、きっと、本質を知りたくない。 いや、怖いだけなのか。 他人には、大口を叩けるが、自分にはどうだろう。 あの時もそうだ。 だから、ここにいる。 でも、あの子、知也は俺の事を面白いと思っているらしい。 世の中、色んな人がいるもんだ。 俺が釣りをしたら、あの子は気付いてくれるだろうか。 ああ、また勝手なことを。 そんな事を一人勝手に想像しながら、香屋を目指した。 |