風が吹くたびに甲高い声をあげる錆び切った黒い門。
どこからか烏の鳴き声が聞こえる。
崩れたブロック塀。
中央にそびえ立つのは、壊れかけた給水塔。
小さな頃に遊びに来た時は、それが恐ろしいほどまでに大きく感じられた記憶があるが久しぶりに来てみるとそれほどまでには大きくなかった。
それでも、あたしの影を飲み込むぐらいの大きさは持っている。

 どうして、こんな町の端っこに来る事にしたのか。
午後から大事な会議があるらしく生徒を追い返すようにした午前中授業。
家に帰ってもやることのないあたしは、気が付くと懐かしい場所を訪れていた。
ゴミ捨て場から拾ってきた、あの時はガラクタと思えないものたちをここに運んだ。
大人に危ないと言われても、こっそりと来て秘密基地へと改造していったものだ。
 あの時と同じように足音を忍ばせて門の中に入っていく。
すると、

パサリ

 手入れの行き届いていない落ち葉が落ちっぱなしの地面の上に赤い小さな箱が落ちてきた。
あたしは、反射的に落ちてきた空を見上げる。
しかし、鳥の陰すら見当たらず、しばらく雲が流れるだけの穏やかな空を見ていた。
と、視界の隅に写っていた給水塔のてっぺんから身を乗り出した見慣れた顔と目が合った。

 「あ、ゆうじん」

 鍵渡優人(かぎわたり ゆうと)、馬鹿がつくほどの長身であたしの幼馴染であり犬猿の仲の相手だ。
幼稚園、小学校、中学校と同じ学校に通っていたのだが、高校になって初めて別々の学校に行くようになった。
前は毎日のように顔を合わせていたのだが、最近はさっぱりだった。
 相手もあたしのことを思い出したらしく、

 「あ、ともや」

 足元に丁度あった石を投げつけてやった。
なにやら、叫んでいるようだがあたしには一切聞こえない。
そういうことにしといてあげよう。

 落ちてきた赤い箱に手を伸ばすと、すぐに煙草だと思った。
煙草に興味も無く、銘柄まではわからない。

 あたしは、ゆうじんの方を見上げて、

 「不良!」

 こんな有害物質みたいな塊を、吸うやつの気がしれない。

 「別にいいだろ」

 でも、あいつは理由も無く吸う奴じゃない。

 「よくない」

 と、思う。

 困ったような顔をして後頭部を軽く掻くと、登れよと建付けの階段を指差した。
入り口の門と同様に錆び付いてはいたが、案外頑丈そうだった。
崩れ落ちるということは、無いと願いたい。
 スカートなのを気にする事も無く、あたしは久しぶりに給水塔の上に登っている。
段々と地平線の高さが変わっていき、見慣れた見上げる景色から、懐かしい見下ろす景色へと変わっていった。
世界で少しだけ偉い人の気分。

 上には、ゆうじんがこちらに背を向けて座っていた。
コンビニの袋と、それに入ったポップコーン。
来る途中に買ったのだろうか。
そういえば、ゆうじんは気付けばポップコーンを手に持っていたような。

 「久しぶりだね」

 振り返らずに、頷く。
なにを見ているのだろう。

 「お前、元気だったか?」

 「まぁ、ぼちぼち」

 ポップコーンを挟んだ横に腰を下ろす。
自分の足元を車が走っていくのを眺めるのは、気持ちがいい。

 「そっちは?」

 返事はすぐに返ってこなかった。
まぁ、いいやと思いなんとなく手鞠堂を探す事にする。
方角的にはこちらの方向でいいはずなのだが、民家が密集している箇所なのでどれが手鞠堂なのかよくわからなかった。

 「相変わらず」

 彼が答えた。

 「不幸せじゃないよりましよ」

 「そうとも言い切れない」

 彼を見る振りをして、本当は彼の頭よりずっと後ろにある銭湯の煙突を見た。
あたしは、人の目を見るのが苦手である。
というか、自分の感情を少しも読まれたくない。
怖いのだ。
それが、どんな相手であれ昔からこうやってきた。

 「別に、昔から続いてきた毎日を今日も過ごしているだけなんだ」

 ゆうじんも顔をこちらに向ける。
けれど、視線は決して絡む事はない。

 「それが、これからも続くのかと思うと少しだけ不安になる。それよりももっと、この毎日が終ってしまったらどうしようと思う」

 「終ったらそれでお仕舞いよ。それから新しい毎日が始まるだけなんじゃないの?」

 鳥が飛んでいる。
あたしは、少し不機嫌な顔をしたかもしれない。

 「ゆうじん、何をそんなに心配しているの。悩んだって、仕方ないことでしょ」

 彼はうんと生返事と同時に、顔を元に戻した。
何を見ているのだろう。
その視線の先を追うようにあたしも町のほうを見てみる。

 本当は、こんなことを言いたいのではないとあたしは、なんとなく感じていた。
給水塔の上に上っていれば、嫌でも下の人間が敷地に入ってくるのが見える。
きっと、彼は見ていた。
あたしが、給水塔の近くに来るのを期待していたに違いない。
そして、わざと煙草の箱を落とした。
あたしの目の前に。
そう、わざと。

 彼は、幼い頃両親に虐待されていた。
今でも体のあちこちに、その傷跡があるはずだ。
あたしは、見たことがない。
夏のプールの授業の時だって、一度も泳いでいないはずである。
その度に、先生に怒られていた記憶があるからだ。
 虐待が発覚し、幼いゆうじんは親戚に引き取られ今まで育てられてきたらしい。
本来、一番信頼できるはずの両親に裏切られた彼の心は想像できないほどに傷ついているのだろう。
普段は、そんな過去すら無かったのではと疑うぐらいに明るい彼。
でも、時々、変わったサインで助けを求めることがある。
一見、見分けもつかないような小さな行為が彼から出される救助信号なのだ。
 それに気付いたのは、2年前、つまり中学2年の時である。
その都度、あたしは気付いていながらも直接助け様とはしなかった。
間接的にもしていないだろう。
あたしは、彼を突き放し続けた。
気付いていない振りをした。
人と深く関るのは、好きじゃなかった。

 あたしは、どこまでも逃げている。

 「もし、不安が消えないなら手鞠堂に来てみてよ。おばあちゃん、今でも元気でやってるんだよ。新しい人も来たし」

 あたしは、いつも手鞠堂に連れて行った。
自分ではどうしようもないから、自分の好きな場所に連れて行った。
いつも、それだけだった。

 「うん。行くよ」

 ポップコーンを口に運びながら、元気の無い声で答える。

 あたしが、手鞠堂に今でも行っているのは、おばあちゃんに会いたいのと、あの場所が好きだからと、ゆうじんが来るかもしれないという期待があるから。
助けられないのがわかっているから、それなら側で見ていたい。
一番楽な傍観者という立場を選んだあたし。
本当に嫌になる。

 「それと、煙草はやめな」

 「関係ないだろ」

 「あたしは、ちゃんと気付いてるんだ。もう必要ないでしょ」

 少しの静寂のあと彼は言った。

 「知ってたよ。気付いていない振りをしているのも知ってた」

 腰を持ち上げると、彼は大きく伸びをした。
その姿が、一瞬まるに似ていた。

 「気付いてくれるのが、嬉しかった」

 彼は、笑ってあたしの頭を撫でて階段に足をかけた。
軋む音を聞きながら、あたしはその場に取り残されてしまった。

 結局は、あたしが助けられていた。
と、先ほどの煙草が一緒に忘れられているのに気付き足元を覗き込む。
彼は、まだ敷地内から出ていなく、丁度階段から降りようとしているところだった。

 あたしは、彼がしたように箱を目の前の位置を狙って落とした。
綺麗に落ちていく赤い箱。

 彼は、それに気付きあたしを見上げる。

 「忘れ物」

 一瞬の間の後に、彼は笑って門から出て行った。

 あたしは、彼の行動と気持ちを想像しきれていなかったみたいだ。