東から昇った太陽が住宅街を照らした後、地平線へと還って行く時間帯。
光の射光の具合で橙の世界へと染め上げる、夕暮れ時があたしは好きだ。
自分の前には、長く伸びた影が一歩先を行き、その少し手前に誠さんの背中が見える。

 手鞠堂で初めて会った時は、柄の悪い不動産屋で手鞠堂の土地をどうにかしようとたくらむ悪い奴だと思ってしまったが、 今はそんな印象なんてこれっぽっちも残っていない。
天気が良い日は、縁側で猫のまると日向ぼっこしていたり、なんだか難しそうな本を読んでいたり、ときには近所の子供達とだるまさんが転んだをやっていたりする。
誰にでもくったくのない笑顔を見せる彼は、少なくとも13年もあたしより長く生きているだなんて思えない。
時々、同い年のような錯覚さえ覚えるのだから。

 買い物帰りだという彼と下校途中のあたしは偶然会い、一緒に手鞠堂へと向かっている。
身長が高い彼の歩幅は当たり前の様に広く、歩く速度はあたしよりずっと速かった。
こんな風に一緒に歩くのは、初めてのことだったので調子を合わせようかとも思ったが 彼はある程度の距離以上は先に行かないという事がわかると、あたしは自分のペースで歩く事にしたのだ。
きっといつもは、2倍ぐらいの速度で歩いているに違いない。
ストレートのパンツの足は、羨ましいぐらいに細い。
スポーツなんかをやっているような体つきには見えないから、そういった日常生活のなかで鍛えているのだろう。
まったく男性は、なぜそんなに細いのだろうか。
まぁ、例外もいるけれど。
あたしも見習いたいぐらいだ。

 「ちゃんと前をむいて歩きなさい」

 少しぼーっとしながら考えていたので、いつのまにか下りの階段に差し掛かっていることに気付かなかった。
あたしは、危うくスタント無しで30段はあるであろう急な階段を転げ落ちるところだった。
いくらカンフーをやっていたからって、ただではすまない高さである。
それを、誠さんは右手であたしを制し、軽く頭を小突いてから階段を下りていく。

 「誠さん」

 彼は立ち止まると、6段上にいるあたしを見上げる形に振り返る。
スカートは、そんなに短い方では無いと自負しているので中を覗かれる心配は無い。

 誠さんが、なんだいと言い終わる前にあたしは、軽く微笑むと1段飛ばしで階段を下りていく。
影は、階段に沿って一層長く伸びていた。
誠さんを追い越して、階段を半分より下りてから彼を見上げ、

 「あたしたちって、このぐらい年の差離れてるの」

 彼が今立っている段数より13段下に私は立っていた。
夕陽の逆光と、裸眼の視力のお蔭で誠さんの表情ははっきりとはわからなかったが、少しだけ悲しそうな顔をした気がした。
それは、ほんの一瞬でいつもの優しい表情に戻り階段を1段1段下りてくる。
あたしは、同じ段に降りて来るのを待ち、

 「身長は、1段分違うのね」

 同じ目線にするべくあたしは、1段のぼり自分の手で背比べをしてみた。

 「いいや、2段分だな」

 と、彼は猫のまるそっくりに笑うと1段を軽く飛び降りる。
その顔が、いたずらを楽しむ子供の表情と似ていてどうして心から笑えるのだろうと思った。
彼は、子供みたいに純粋で、大人特有の寂しさを持っている。
時々見せる、一点を見つめる真面目な横顔にあたしはドキリとさせられる。
 この人は、不思議な人だ。

 「ほらほら、帰りますよ」

スーパーの袋を、持ち直すとまた一定の距離を保って階段を下りていってしまう。
あたしも、一定の距離を保つべく足早についていく。

 手鞠堂にいるとき以外は、良い子でなくてはいけなかったあたしは色んな意味で人の後ろなんて歩いた事はない。
そうしなければ、いけなかった気がしていたから。
良い子でいなくては、捨てられるとなんとなく思っていたあのころ。
誰よりも前を歩いて、間違った事はせずに、人に涙を見せたことも少なかった。
見せた相手は、やはり手鞠堂のおばあちゃんしか思い浮かばない。
 でも、今は誠さんの背中に着いていく事に安心感を覚えている。
まだ知り合って間もないのに。
こんなこともあるんだなと、自分でも不思議に思い、ほんの少し嬉しくなっていた。

 「あたし、人とこんな風に歩いた事ないの」

 「こんなってどんな?」

 誠さんは振り返らずに訊いてくる。
あたしは、立ち止まり

 「誰かの後ろを安心して歩いて行けるなんて初めて。おまけに、こんな気持ちも初めて」

 笑った。
 一瞬立ち止まったが、振り返らずに誠さんは歩いていく。
けれど、嫌な気持ちはしない。
あたしは、また彼の後ろを歩き出すのだ。

 彼が、唐突に言った。

 「俺も、知也みたいな人に会うのは初めてだ」

 「どういう意味?」

 「教えない」

 どういうことなのか、今すぐにでも追いついて問いただしたかったがいつでも聞けるような気がしてしなかった。

 「誠さんは、変な人だね」

あたしは、また笑いながら後ろを付いていく。

 この遠からず近からずの距離が、とても心地よいものになっていくのを少しずつ気付き始めていた。