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「佐為、出かけるぞ。」
身支度を整えたヒカルが佐為に声をかけた。
「どこに行くのですか?ヒカル?」
「曲水の宴。」
「えぇーーーっ!」
佐為は思いっきり驚いて、そして嬉しそうな顔をした。
「世の中は移り変わって、昔のそういう風習は皆なくなっていると思っていました…。」
「そりゃ、普通の人は歌なんて詠まないけどよ。」
「ええ、ヒカルに詠めるとは思えませんものね。」
ヒカルはムッとしてクスクス笑う佐為を睨む。
「行くのやめた!」
「嘘、嘘です、ヒカル〜〜〜〜っ!」
「昔はね、年に何回か行われたんですよ。花を愛でるのが3月3日。禊祓いの儀式として行われました。ほら、後の時代にお雛人形を水に流して穢れを祓うようになったでしょう。5月は鶯や不如帰が美しい調べを奏でますし、秋には月をめで、冬には雪を楽しむ…。」
佐為はいつもと違ういでたちで嬉しそうにヒカルの後をついて来た。
珍らしき 光さしそふ盃は もちながらこそ 千代をめぐらめ (紫式部)
「前から聞きたかったんだけど、佐為は歌を詠んだりできるの?」
「それは私もそのような教育を受けましたから…。」
「ふーん。」
「…人並みには…。」
二人は曲水の宴が催されると言う大きな神社に着いた。すでに沢山の人々が見物に訪れている。
「ヒカル、ほら!」
佐為が指を指す方を見てみると、広い境内の中程を流れる小川の脇にところどころ御座がしいてあり、更に小さな机と墨、短冊が置かれていた。
「あの小川の上流から鳥の形をしたお皿にのせられた盃が流れてくるんです。それが目の前に来るまでに、歌を詠むのです。そしてその盃でお神酒を頂く…。その後、自分の作ったものでは無い歌を読み上げるんです。」
「だ、だれか!」
助けを呼ぶ大声がふいに聞こえた。
「ヒカル、行ってみましょう!」
二人が駆け付けると、そこには苦しそうに座り込んでいる狩衣姿のおじさんが、人々に囲まれてうずくまっていた。
「大丈夫?おじさん?」
ヒカルは夢中で声をかけた。
「あ、ああ。ちょっと緊張で持病の発作がおきたらしい。大丈夫…。」
周りからも心配そうな声が飛ぶ。
「でも、病院に行った方がいい!」
「ああ、でも宴が…。」
「そんなのいいから!」
「頭数が足りないと皆に迷惑をかけてしまうよ。大丈夫だから…。」
「ヒカル、代わってあげましょうよ。」
「えっ!?」
「大丈夫、歌は私が作ります。ヒカルはそれを短冊に書いてくれればいいのです。」
「でっでも、短冊に書くって言っても…。」
「うまい字で無くても読めればいいのです。ヒカル!ほら早く!」
ヒカルは躊躇した。でも、真っ青な顔色のおじさんを見て、決意を固めた。
「おじさん、俺が代わるよ!」
「え、ボウヤが?」
「しかし、代わると言っても和歌が詠めないと…。」
『佐為、本当に平気なんだろうな?』
『平気ですってば!ヒカル!』
「俺、和歌詠めます。」
「おお、そうか!では早く仕度を!もうすぐ奉献の儀が始まるから。」
「似合ってますよ、ヒカル…。」
佐為はクスクス笑った。急きょ参宴者となったヒカルは大急ぎで狩衣に着替えさせられたのだ。
「お前よくこんな動きにくいものをいつも着ていられるな!」
ヒカルはなれない指貫に何度足を取られて転びそうになったかわからない。端から見ればきっと滑稽に違い無い。
「ここがヒカルの席らしいですね。」
案内され順に着座すると、そこはもはや現代の景色では無かった。さらさらと音をたてて流れる小川、その苔むした石の合間を流れる流れを見ていると、まるで時の河までも流れが見えてくる様だ。
今自分は佐為が生きた同じ時を生きているのでは無いだろうか?
そんな錯覚すら起こりそうだ。
「あ、白拍子の舞があるようですね。」
佐為は神社に奉納する神楽が聞こえて来て思わず立ち上がった。
まず低い音で笙の音が沸き起こった。続いて龍笛(りゅうてき)と篳篥(ひちりき)の音が旋律を刻み始める。
す…。
佐為はおもむろに来ていた薄紅の狩衣の右袖を引き抜いた。下からはうす青の単衣が覗いている。まるで躑躅(つつじ)の花のようだ。
「佐為…。」
佐為は軽やかに舞った。そこで舞う白拍子の中にもこれほど優雅に舞うものなどいなかった。
山やまに なきてこだます ほととぎす されど碁石の 音(ね)ぞいとしける
その神楽に合わせる様に佐為の口から歌がこぼれ落ちた。
〜佐為は本当に碁が好きなのだな〜
〜はい、おおきみ様〜
〜まあ、佐為の君はまた碁のお歌を詠まれましたわ〜
〜佐為の君、佐為の君お神酒はお召し上がりになりませんの〜
流れて来た盃をとり佐為にさしだした姫が、やんわりと断ろうとした佐為に困ったように言った。
〜またこの前の様に和歌朗詠の前に寝入ってしまいます〜
〜困ったものよのう、しかし縁起物じゃ、早う飲みませい〜
帝は上機嫌で佐為を軽くたしなめる。
〜は…〜
〜まあ、佐為の君、また和歌朗詠の前にお眠り遊ばしてしまいましたわ〜
〜佐為の君、佐為の君!〜
佐為にはかつての人々の声が聞こえているようだった。佐為は舞った。奉納の神楽が鳴り渡る間中…。
「ヒカル、もうちょっと綺麗な字を書けないんですか?」
「しょうがねえだろ、佐為だって読めればいいって言ったじゃねえか!」
<終わり>
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