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「ヒカル…。」
家に佐為のロボットを運び込んだヒカルは呆然とした母の顔を見て、詳しく説明していなかった事に気がついた。
「ヒカル、ロボットがくるって言うから、小さなおもちゃだと思っていたのに…。そんな大きなロボットどうするつもりなの!?」
母はSANY社の人気犬型ロボット『ibot』のようなものだと思っていたのだ。だが実際ヒカルとともにやって来たのは、自分よりも大きなヒト型ロボットだった。
「大丈夫だって。太陽電池で動くからタダだし、こいつ碁が打てるから碁の勉強になると思うんだ。」
『碁の勉強』。これ程威力のあるの言葉はない。母は諦めた顔で溜め息をついた。
「きちんと自分で管理するんですよ。お母さんは何もしませんからね。」
「それでいいよ。」
佐為ロボットは無機質な無表情で前を向いていた。ヒカルの行くところにきちんと障害物を自分でよけてついてくるので、難しい操作はいらないのだが、ヒカルはあの優しくてワガママだった懐かしい佐為とはやはり違うと感じていた。
自己満足でしかないのだ。
ヒカルは急に大きく膨らんでいた期待感がしおしおと萎んでいき、失望感に変わっているのを感じた。佐為ロボットを先導してヒカルは2階の自分の部屋に向かった。
「ま、座れよ。」
ヒカルは自分の部屋に一緒に入って来た佐為ロボットに、座る様に促した。そしてその前に自分も座った。
「似てる事は似てるんだよな…。」
「本当に…。だから迷わず帰ってくる事ができました。」
「え…?」
ヒカルは耳を疑った。こんな言葉はこのロボットには教えていない…。
「佐為…?」
佐為の表情にはいつもの優しい微笑みが浮かんでいる。
「帰ってきました。ヒカル。ヒカルのお陰で…。」
ヒカルは口をポッカリと開けて呆然と佐為を見つめた。
「本当に帰ってきたんですよ、ヒカル。私ですよ。藤原佐為です。」
「まさか…。」
佐為は静かににっこりと笑った。人工筋肉と人工皮膚とは思えないような、たおやかな笑み…。
「碁の神様がね、私にもう少し時間をくださったのです。『神の一手』を追求するために…。」
「佐為…!本当に…?」
「ええ。天の国で一度だけ碁の神様と碁を打ったのですが…。」
佐為はすっと扇子を取り出した。ヒカルが棋院の売店で購入したものだ。
「碁の…神様と…。」
ヒカルは思わず息を飲んだ。
「私など足下にも及びませんでした。そこでくり出される『神の一手』…。私はその前になす術もありませんでした。」
「佐為でも!?」
佐為はうっとりと天を見上げた。
「私はまだまだです。もっともっと強くならなくては…。そこで神にお願いして、『神の一手』の追求の旅に出る事をお許し頂いたのです。碁の神様は快諾して下さいました。そうして私は今ひとたび現世に戻って来ました。また一緒に打ちましょう、ヒカル。」
「佐為〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
ヒカルは思わず佐為に抱きついた。佐為からは微かに機械音が聞こえてくる。
佐為が帰って来た。本当か嘘かはわからないけれど、今は佐為のこの言葉を信じよう。佐為が帰って来た。それだけで十分じゃないか。
「佐為、さっそく打とう!」
「ハイ、ヒカル。」
ヒカルは祖父に買ってもらった碁盤を部屋の片隅から運んで来て、佐為の前に置いた。そして碁笥を2つとも自分の方に並べようとして気がついた。
「佐為、もしかして、今日から碁石が掴めるのか?」
「ええ、そうです!」
佐為は嬉しそうに笑った。
「あのひんやりした感触まではわかりませんが、自分で碁石が持てるんです。」
佐為は自分の手を自分の目の前に持ち上げて、うっとりと見つめた。
「もうこの身のない悲しさに苛まれる事はないんです。」
ヒカルも同じ様に嬉しそうに笑った。
碁の神様は、佐為の帰り場所を作るために、自分にロボットを授けて下さったのだ。佐為のことを一番よく知っている自分だから、佐為の望みを叶える事ができるだろう。
一緒に探究しよう、佐為。『神の一手』を…。
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