夕刻。
迎えに来た緒方の車に、ヒカルは強引に乗り込んだ。もちろん佐為といっしょに後部座席だ。
意外にも緒方は無言で苦笑しただけだった。
20分後、ヒカルは強引についてきて良かったと、心底思っていた。
車がレストランなどではなく、緒方の自宅屋敷に着けられたからだ。
「店などよりうちの方が落ち着いて話せると思ったんでな」
佐為はひきつった笑いを浮かべたまま、案内されるまま大人しくついていく。
ヒカルは二人の少し後ろを歩きながら、どうやって佐為を守ろうか思案していた。
(あああ、オレのダイバーパワーがもう少し安定していたら、緒方さんなんかプラズマで黒焦げにし
てやるのに)
実は今となってはカステポーでヒカルが放ったというプラズマは、幻ではなかったのかと思いたくな
るような有様なのだ。
一応、ダイバーの登録は終えたがパワーを自在に操れる日は遠い…。
騎士の『力』の不安定さといい、いったいどうなってるんだ!?…ヒカルは自分に問いたかった。
それにしても、大きな屋敷なのに人気がない。
「緒方さん、ここに一人で暮らしているの?」
ヒカルが問うと、
「普段は何人か使用人がいるが、今日は大事な来客があるからと休みを出した」
ニヤリと笑う笑顔が怖すぎる。ヒカルは脂汗をぬぐった。
客間に通されると、思ってもいない事が待っていた。
先客がいたのだ。一瞬、佐為が目を見開く。
「紹介しよう。こちらは塔矢アキラ君。塔矢剣聖のご子息でクバルカンのルーン騎士だ」
「初めまして、塔矢アキラです」
アキラはヒカルに軽く会釈した。
ヒカルはしどろもどろになりながら挨拶を返したが、隣の佐為は何故か驚く様子もなく落ち着いてい
る。
そして、
「大きくなりましたね、塔矢。元気でしたか?」 と、言った。
「はい。佐為殿もお変わりなく。”ARCH・ANGEL”としてマスターを得られたと聞いた時は、正直
父共々がっかりしましたよ」
ヒカルはちょっと話についていけなくなった。
(えーと、この剣聖の息子と佐為は知り合いで、そんで親子そろって”ARCH・ANGEL”を狙って
た、と。…なにーーー!?)
「君が”ARCH・ANGEL”に相応しいか、ボクのこの目で確かめたかった。君はバイアだそうだね。
後ほどぜひボクと手合わせ願いたいな」
肩の上できれいに切り揃えられた黒髪を、さらりと揺らして塔矢アキラは挑戦的に微笑んだ。
「の、望むところだ!だが言っとくが佐為はもう”ARCH・ANGEL”じゃないぜ。こいつは藤原佐
為、ミラージュの騎士だ!」
ヒカルはむきになってアキラを睨みつけたが、相手は余裕の表情だ。
「もちろんだとも。…安心したまえ。君から”ARCH・ANGEL”を取り上げようとは思っていないか
ら」
「ちょっと待て!じゃ、何か?オレがお前に負けるとでも!?」
アキラはそれには無言で答えた。だがその表情が明らかに物語っている。
「いいかげんになさい、二人とも。本人を無視して何の話です」 佐為があきれたように割って入っ
た。
「緒方さんもヒトが悪い。塔矢を呼んでいるなら、初めからそう言ってくれればいいのに」
佐為は恨めしそうに緒方を見た。その緒方はすでにテーブルについてグラスをあけている。騎士用の
ものすごく強い酒だ。ドラッグに近い…。
「それじゃ面白くあるまい。ははは…きっと三条がひっついて来るだろうと思っていたよ。アキラの
言い分ももっともだぜ、佐為。”ARCH・ANGEL”ってのは、それだけ貴重なファティマだったんだ
よ」
「………」
「おい、三条!ついでだから教えといてやる。”ARCH・ANGEL”はな、かつてイオタ(騎士団の名
前)の剣術指南だったんだぜ。オレともその頃に初めて会ったんだ。なあ、佐為」
(ひえ〜っ!緒方さん。知らない間にすっかり出来上がってる…)
ヒカルは逃げ出したくなった。元から苦手だが、酔っ払った緒方はさらに苦手だ。
「エス・エー・アイ”sai”って名乗ってたんだろ?香から聞いてるよ。香も昔イオタの団員だったか
ら」
「ふふん…香か。そう、香も強かったな。イオタが解散してからは皆、それぞれに散りぢりになって
しまった…。おい、お前等もこっち来い!そんなとこに突っ立ってないで、飲め!」
目が据わった緒方に睨まれ、しぶしぶヒカルは席についた。
「緒方さん、ボクは飲めませんよ」 アキラが言う。
「じゃあ、食え!」
こうしてやっと食事が始まったが、ヒカルはとても喉を通らない気分だ。
しかしメインの話を聞かないうちは帰るわけにもいかなかった。
「それで剣聖は今、どちらに?アドラーですか?」 佐為が聞いた。アドラーは剣聖の出身地だ。
「いえ、カラミティです」
「カラミティ?」
「ええ、母がカラミティのフィルモア帝国出身なので、その実家に」
ヒカルが口を挟んだ。
「ねえ、どうして佐為はそんなに剣聖に会いたいの?」
「決着をつけたいからだろ?」 佐為の代わりに緒方が答える。
「違うか?佐為」
「決着…ですか」 佐為が考えるように呟く。
「なんの決着?オレには話が見えねえよ」
ヒカルがいらいらして怒鳴った。「オレにも分かるように話してくれよっ!」
「ボクが話そう。三条」 アキラが言った。
「ボクの父は過去に都合3度、人型の”ARCH・ANGEL”に会っている。最初はまだカプセルで育成
中だった20年以上も昔。2度目は”ARCH・ANGEL”が成人した時。そして最後が”sai”として剣
聖である父に挑んできた3度目」
「剣聖に!?」 ファティマが剣聖に挑むなど無謀だ。だが佐為なら…。
「こいつは恐ろしく好戦的だったんだよ」 緒方が言った。
「好戦的などと…」 佐為が困ったように呟く。
その様子からは確かに想像できないが、ヒカルは緒方と佐為の戦いを見ているので納得がいった。
(こいつは戦いとなると人が変わる)
ファティマは本来、争いを好まない生物だというが、マインドコントロールをはずされたファティマ
は人間と変わらない。争いは嫌いだが、武術は大好きという人間は多い。佐為もそうなのだろう。
佐為はイオタ時代にも無益な殺生をしたことは一度もない。ヒカルは香からそう聞いていた。
その証拠に初めて会った時、襲ってきたファティマ・ファクトリーの警備員を佐為は殺さなかった。
殺したのは騎士のみだ。そいつはパルチザンとはいえ、喜んで子供を殺すような男だった。
「私、剣聖を誤解したんですよ。ファティマを売り飛ばした騎士とカン違いして…」 佐為が恥ずか
しそうに言った。
「そうらしいですね。ボクが会ったのもこの時だよ、三条。もっともボクはまだ小さくて、詳しい経
緯はあとから聞いたんだけどね」 アキラは楽しそうだ。
「父は、あなたにいきなり剣を突きつけられて驚いたと言ってましたよ。
そして戦ってからはその強さにさらに驚いたとも。…ボクも覚えている。あんなに優雅で力強い剣さ
ばきは、あれからも見たことがない。父の力の剣と見事に好対照でした。
結局、誤解だと分かって双方剣を引いて。この話をする時の父はとても楽しそうで」
アキラはその様子を思い出したのか、可笑しそうに笑いをかみころした。
「”今は時間がないのが残念だ、いつかもう一度手合わせしよう”、そういって別れたと言ってまし
た」
「じゃあ、佐為はその時の再戦をしたいわけ?」 ヒカルが聞く。
「…ちょっと違います。―私、剣聖に会わせたいんですよ、あなたを」 佐為はヒカルをまっすぐ見
て言った。
その言葉にアキラが驚いたように佐為を見つめる。
「もちろん、私ももう一度、剣聖に手合わせいただきたいとは思ってます。でもそれよりもヒカル、
あなたを塔矢剣聖に紹介したいんです」
しばらくの沈黙の後、緒方が口を開いた。
「…三条、偽名を考えておけよ」
「え?なんで…?」 またしてもヒカルには意味のわからない話の展開だ。
「言ったろ?銘入りのファティマは常に狙われていると。”ARCH・ANGEL”が藤原家の佐為で三条
光のファティマだってことは公然の秘密だ。クバルカンのルーン騎士も知ってるくらいな。
”ARCH・ANGEL”はもう存在しないなんてのは裏の世界じゃ通用しないんだぜ。
しかしいくらバレバレだと言っても、少しは偽装も必要だ。カードや身分証明を偽名で用意させよ
う」
「カラミティに行くんだろ?佐為といっしょに」
「で、でも帝になんて…」
「実は帝には了解済みだ。…剣聖にもな」
「え〜〜〜!?」
緒方の言葉に佐為とヒカルの両方から声があがった。アキラも目を見張っているところを見ると、そ
れは知らなかったのだろう。
「バイアは貴重な人材だが、お前みたいに不安定なのは恐ろしくて仕様がない。
力が不安定なのは精神が不安定だからだ。剣の修練は精神の鍛錬には最適だ。剣聖は旅好きで不在が
ちだったのがお帰りと聞いて帝に相談してみたのさ。
佐為は素晴らしい剣術指南だが、一人じゃ見せられる技にも限界があるからな。佐為も同じ考えだろ
う?」
緒方はニヤリと笑って佐為を見た。
「つまり、オレ、また修行におっぽり出されるってワケ!?」
「…そういうことだ。”勅命”だな」 緒方は満足げに頷く。
「…勅命…」 ヒカルは呆然だ。
そりゃ未熟なのは認めるが、初めての命令が”もっと修行してこい”じゃあんまりだ。
「行きましょう、ヒカル。剣聖と会う事はきっとあなたのためになるはずです」
佐為の瞳は真剣そのものだ。
緒方が言った。
「オレンジライトが予定より2年も早く完成したおかげで、お前も佐為も望んだ身分になったんだ。
今度の戦争、本格的に始まるのはまだ少し先になりそうだって話だ。
まあ戦争になってもグリーンレフトにお前等が乗るかは、もうオレにも分からんが…。オレンジライ
トだけで充分かも知れんしな。
それでも戦力は一人でも欲しい。サリオン王子ほどのバイアになって帰ってこいよ、三条」
ミラージュは天照帝の私設騎士団。帝の勅命とあらば否はない。
こうして、ヒカルと佐為は剣聖に会うため、再びデルタ・ベルンを後にすることとなった。
あと30分でカラミティ行きの船が出る。
ヒカルと佐為はゲートをくぐった。塔矢アキラも一緒だ。
佐為に割って入られ、ヒカルとの一戦はまだ実現していない。
「仲良くしろよ」 見送りに来た緒方が、ちっとも真実味のない表情で言う。
アキラも似たような表情で、素直に頷いた。
「もちろんですよ、緒方さん。”進藤くん”はボクのライバルですから」
にっこり笑ってそう答える。しかし全くその気がないのが見え見えだ。
(さすが塔矢剣聖の兄弟弟子…) ヒカルは内心、引きつり笑いを浮かべる。
前途多難な予感にうんざりする。
ヒカルは『進藤』という偽名を名乗ることにした。
「”進藤ヒカル”?なぜ名字だけなんだ?三条?」 アキラが問うがヒカルは無視した。
言えば、またバカにされるに決まっているからだ。
(全然違う名前だと、5分で忘れてしまうから)
これは佐為の心の声だ。(これじゃ偽名のイミなしですよ。ヒカル)
その佐為は、すっかりあきれていた。
寄ると触るとケンカばかりする二人に、当分寝たふりをすることに決める。
しかし、カラミティまでは一週間もかかるのだ。
「はああぁぁーーー」
またしても横で言い合いを始めた二人に、佐為は今日何度目か分からないため息をはいた。