(何が、起こったんだ…?)
パラパラと小石と土煙が舞う中で、ヒカルは呆然としていた。
膝の上にはぐったりして意識のないsai…。
ヒカルをかばって飛び出したsaiは、緒方の技の直撃を受けていた。
衝撃で後方に飛ばされ、ヒカルに受け止められる格好で、saiは倒れ込んだ。
見れば、左腕が二の腕からない。ちぎれた個所から脈動にあわせて、血が噴出していた。
「うっ…」 saiの瞼が震えて、目を開けた。
「saiっ!しっかりして…!」
「ヒカル…?無事ですか…?」 saiは気にかかるのはその事だけだ、というようにそう聞いた。
「ああ、お前がかばってくれたから…。でも、お前、腕が…!」
「大丈夫ですよ、これくらい。再生を受ければすぐ治りますから。…それよりも」
saiは必死に立ち上がろうとする。
「sai…!動いちゃだめだ!」 だが構わず、ヒカルを押しのける。
目の前には呆然と立ちすくむ緒方がいた。
「…よせ、sai。お前、服の下は満身創痍のはずだ…」
「………」
緒方の言うように腕の傷より、内臓に受けた衝撃の方が重大だった。
しかし引くつもりは、ない。
残された右手で、光剣を握りしめる。
「sai!!」 ヒカルが近寄ろうと一歩を踏み出した。それを見て緒方の顔がゆがむ。
「小僧…ひっこんでいろ!言っておくが、お前じゃオレには勝てないぜ?お前の力は確かにたいしたもんだ。まともに戦
り合えばオレとて危ない。ミラージュにさえ勝てるやつが何人いるか…。だがな、お前には圧倒的に不足しているものが
ある」
「それは…、経験だ」 そう言ってまともにヒカルの目を見据えた。
「緒方のいう通りです。だから目に焼き付けておきなさい。この戦いを」
saiはすでに死を覚悟していた。ここは市街地から遠すぎる。
そして、その市街地にもマイト(ファティマの専門家)がいるとは限らないのだ。
この傷では例え緒方に勝っても、マイトのところまでは身体がもつまい…。
ならば、ヒカルに見せておかなければならない。
わずか三ヶ月の『経験』では得るべくもない、自分と一流の天位騎士である緒方の戦いを。
そして、あるひとつの願いを心の中で呟いた。
saiの顔におだやかな微笑みが浮かんだ。
それは戦いの場にはおよそ相応しくない、不思議な輝きを放っていた。
我知らず、緒方はsaiの表情に見とれた。
(オレが引くことなど、お前は望んでいないんだな) 反射的にそう悟る。
そして緒方もまた、手負いであるsaiに対して、全力で戦う覚悟を決めた。
それがsaiの望みだと思った。
「やめてくれよっ!saiも緒方さんも!こんな事してなんになるんだ!?」
saiと緒方はヒカルに構わず、打ち合う。風にsaiの血が舞った。
ヒカルは怒りで身体が震えるのを止められなかった。
二人して自分を無視して、勝手に戦って傷ついて!…このままではsaiが、saiが死んでしまう!
それなのに『力』のない自分。
緒方を倒せる『力』が欲しい。saiを助ける事のできる『力』が欲しい。
血が下がって、一瞬気が遠くなった。
そこからの記憶がヒカルにはない。
気がつくと、saiと緒方が二人して、呆然とその場にたちすくんでいた。
目をやると、離れて立つ二人の中間あたりの地面が、大きく抉れてクレーターになっている。
土煙の中でヒカルはぼんやりそれを目にしていた。
「…お前、バイアだったのか…こんなに発現が遅いバイアなんざ聞いたこともない」
緒方が言った。
(バイア?なんのことだろう?) ヒカルには訳がわからなかった。
もちろん”バイア”は知っている。騎士とダイバー(精神により超常能力をあやつる)の力を併せ持つ者のことだ。その
発現率は騎士よりもはるかに低い。ダイバー自体、星団全体で1000人ほどしかいない。
それが両方を併せ持つ”バイア”となると、ヒカルはたった一人しか知らなかった。
(まさか、これ、オレがやったのか…?)
その時、saiががっくりと膝を折った。
「sai!!」 ヒカルがあわてて駆け寄る。
「…大丈夫、ですよ。大丈夫…」 ちっとも大丈夫そうでない表情でsaiが言った。顔面は蒼白だ。
そのまま、ヒカルの腕の中に倒れ込んで、気を失ってしまった。
「sai!しっかりしろ!」 とりあえず急いでちぎれた腕の上側をきつく縛る。だが血止め以外、どうしてやることもでき
ない。
「三条!佐為をオレのドーリーに運ぶんだ」 緒方が言った。
「え?」
「ディグで走れば、数分だ。オレのドーリーにはファティマ用の設備がある。急げ!!」
最後は怒鳴りつけるように言った。
30分後、saiは緒方のドーリーで、ファティマ用のベッドに横たわっていた。
カプセル状のそれに『羊水』が注入され、saiの長い髪がゆらゆらと、舞い上がっては、振り落ちている。
身体には無数のチューブとコードが差し込まれ、見るからに痛々しかった。
運んですぐ、カプセルに入れる為に服を脱がすと、案の定ひどい有様だった。
「内臓がほとんどやられてる。この状態でよくぞ、あそこまで…」 緒方は呟いた。
それは全て、目の前の子供のためなのだろう。
その『子供』はsaiがカプセルに入ってから、ずっとそばについて見守っていた。
一睡もしようとせず、身体を横たえることもしない。
目を離してる間に、saiが死んでしまうのではないかと思うと、怖くて離れらないのだろう。
「…助かるよね?ねえ、緒方さん!大丈夫だよね!?」 すがるような眼差しが、忘れられない。
「まだ、なんとも言えん。このままハスハまで運ぶ。そこになら知り合いのマイトがいるから」
緒方はそう言って、薄暗い部屋を出て行った。
ヒカルはずっとsaiの顔を見つめていた。
「…お前って、そんなきれいな顔してるくせに…男だったんだな。そういえば、最初から自分は『男』だって言ってたっ
け。オレ全然信じてなかったけど」
ヒカルは薄く笑った。そのまま、両手で顔を覆う。
「どうしよう、このままお前が死んだら!オレこれからどうしたらいいんだよ!sai!」
どれくらいそうしていただろう、ふと顔をあげたヒカルは、saが薄く目を開けていることに気付いた。
「!! sai!」 思わず立ち上がって、カプセルにすがりつく。
「…ヒカル?どうしたんです?そんなカオして…」
saiが微笑んだ。
「ばかっ!誰のせいだよっ!?ほんとに心配かけやがって!だいたいお前なんでオレなんか、かばったりしたんだよ!?
オレが死ねば、お前、騎士に戻れたんだぜ?だってお前、緒方さんなんかに負けないだろ!?」
「緒方…。ああ、そうでした。私、彼と戦り合ったんでしたっけ?」 そして、
「あなたが無事で本当によかったです」 そう言ってもう一度、微笑った。
「…ねえ、ヒカル。あなたと過ごしたこの数ヶ月、私がどんなに幸せだったか、あなたにわかりますか…?」
「幸せ…?オレと過ごしたのが?」
「ええ。…私達ファティマは子供を持つ能力がありません。血のつながった身内もなく、死ねばそれで終わり…。生きた
証など何ひとつ残らない存在―」
「でも、お前は騎士としてこれから名を残せるはずだよ!」
「いいえ、それでもやはり私が存在した証にはならない」
「だから…私、あなたを鍛えることを承知したんです。あなたに私の全てを、受け継いでもらいたかった。そしてそれを
次の世代に受け渡して欲しかった」
「そして…私をファティマではなく、人として愛して欲しかった―。でもそんなの私のわがままですよね。だからあなた
が一人前になったら、私はあなたが選んだ誰かと交代する。その覚悟はできていたはずなのに…」
「ヒカル…最後のわがままを聞いて下さい…。どうか、私のこと、忘れないで…」
saiの瞼がゆっくり閉じられた。
「sai!!死ぬな!オレはアタマ悪いから、お前のことなんかすぐ忘れちまうよっ!だからお前はこれからもずっとオレの
そばにいなきゃいけないんだよっ!!」
ヒカルが叫ぶ。
しかしsaiの瞳が開かれる気配はない。
やがてモニターのパルスが、…消えた。
高い電子音が響く部屋の中で、ヒカルは号泣した。
(そうだ……ダイバー!オレにバイアの力があるなら、その『力』でsaiを呼び戻せるはずだ!)
「オレは絶対あきらめたりしないからな、sai!必ずお前を取り戻す!」
急にドーリーの電源が全て飛んでしまったことに驚いた緒方が異常に気付いて戻った時、部屋にはものすごい蒸気が立ち
込めて、視界がまったく利かない状態だった。
少しづつ霧が晴れるように、辺りが見えるようになっていく。
その中に緒方が見たのは、すがりつくように佐為を抱きしめている三条光の姿だった。
佐為の首は、力なく後ろにのけぞっている。かすかに唇がひらき、瞳は閉じられていた。
ヒカルの顔は佐為の首筋に埋められ、見えない。
その顔がゆっくりとあがった。
saiの閉じられた瞼が震える。
「…sai…」
その声に答えるように、瞳が開いた。
「…ヒカル…」
顔を見合わせて、そっと微笑んだ。
「おかえり、佐為」
「ねえ、ねえ!ヒカルっ!いっしょにおフロ入りましょうよう〜〜〜っ!」
また佐為が、ダダをこねている。
「え〜、ヤダよ!…だってお前『男』なんだもん。お前のハダカ見たって面白くもなんともねえ」
「私のハダカなんか、どうでもいいでしょ!?ヒカルったら、いつもシャンプー残したまま出てくるんですからっ!ちゃ
んと洗い流さないと髪にも地肌にも悪いってあれほど言ってるのにっ!」
「私がちゃんと洗ってあげますから!ホラっ」
(コイツ、復活してからゼッタイ変わった)
ヒカルはじっと佐為を見た。
「…なんです?」
「お前、ほんとに男?」
「もちろんです。最初からそう言ってます」
「お母さんみてぇ」
「なっ!ヒカルっ!!」
怒って力ずくで、浴室に連れて行こうとする佐為と、抵抗するヒカル。
その時、アラームが鳴った。内線だ。
「ミラージュ騎士は全員、フロート・テンプルに出仕せよとのご命令です」 声が告げる。
「わかった」 ヒカルが答える。
「藤原様もいらっしゃいます?」
「ああ」
「・・・やっぱり。ごいっしょだと思いました。命令、伝えて下さいませね」
「わかったよ」
回線が切れた。
「フロは後だな。行くぜ、佐為!」
「ええ、ヒカル。いよいよですね」
星団歴3007年。
この年、”レッド・ミラージュ”及び天照のM・H”ナイト・オブ・ゴールド”が2本のバスター砲を装備した”ヤク
ト・ミラージュ”(オレンジライト)と共に公開された。しかしグリーンレフトは未公開のままであった。
そのかわり、ミラージュ騎士団の新しいメンバーとして、名門三条家とその分家である藤原家の息子が二人ともに加えら れたと発表があった。