『一人前になってお前を解放する』
ヒカルがsaiにそう宣言して仮のマスターとなってから三週間が過ぎた。
二人はヒカルの中古M・Hと共に再びボォス星に来ていた。
カステポーは保養地として有名なだけに、たくさんの人が集まる。ということはそれだけ、他の騎士と出会う機会
も多いということだ。”手合い”と称して騎士同士がM・Hで疑似戦闘をする例も多かった。
国境を越えてドラゴンが周回する地域まで来て、saiはドーリーを泊めることにした。
ドラゴンは人間同士の争いをナワバリに持ち込まれることを嫌う。無視してナワバリを侵せば、星ひとつ砕く事も
可能といわれるその力で、一瞬にして灰にされるのがオチだ。
しばらく前にその愚を冒した集団がいたが、やはり一人も生き残らなかったという。
ここに住むものはそれを知っているので、おとなしく泊まるだけならここは安全なのだ。
「明日はドラゴンの周回コースを出て、手合いをしている地域まで移動しましょう」
湯気のたつ紅茶のカップをテーブルに置きながら、saiが言った。
ヒカルは窓越しに、夜空を見上げていた。部屋の照明は落とされ、月明かりが室内を照らしている。
「あーあ、オレ、ほんとに香が言ったみたいな力あるのかな」 ヒカルはため息をついた。
この三週間、saiに付きっきりで技の稽古をつけてもらっているのに一向に上達しないのだ。今日だって逃げられた
のは、このsaiのおかげだ。ヒカルはすっかり弱気になってしまっていた。
「ヒカル…」
「お前、なんで『オレなら』なんて言ってこんな事引き受けたんだ?…ほんとはイヤだったんだろう?」
今日のヒカルは、妙にsaiに絡みたい気分だった。
「帝の頼みを断りきれなかったのはオレにもわかるんだよ。今のお前があるのは全てあの人のおかげだもんな」
saiはソファの向こうに立ったまま、困ったようにヒカルを見た。
「…私は決して強制された訳ではありません。何度も言いますが、私はあなただから、あなたを見つけたから、お
引き受けしたのですよ」
「そんなこと言って、オレを慰めてくれなくてもいいよ」
ヒカルはこの三週間でsaiの実力を嫌と言うほど見せ付けられていた。コイツはまさに天位級、剣聖だってとれるか
もしれない圧倒的な強さを持っている。
「慰めるなど…。ヒカル、ファティマの不問律というのを知っていますか?」
「不問律?実力のないものには嫁がないってやつ?」
「ええ」 saiは頷いた。
ファテイマが主を選ぶ基準は、第一が相手の騎士の実力だ。
『より強い騎士に』 ―それ以外に考える事はない。
相性はもちろんあるが、自分より強ければ拒否する事はまずない。言い換えれば、どんなに非道な極悪人でも実力
があればファティマに否やはないのである。
だからあのミラージュにARCH・ANGEL(sai)が気に入る騎士がいなかったなど、なおさらヒカルには信じられな
いのだった。
「マインドコントロールをはずされていても、私にもファティマの不問律は生きています。だから私にはわかる。
あなたは私を凌ぐほどの実力を秘めているのですよ」
ヒカルはsaiのそばに立った。コンソールのわずかな灯りに、美しい顔が浮かび上がっている。
「だったら、なんでお前そんなに苦しそうな表情するんだ」
「苦し、そう…?」 saiははっとしたように身を固まらせた。
ヒカルは気付いていた。saiは本当はファテイマになど戻りたくなかったのだろう。
「ずっと騎士として、人間として生きたかった。そうだろ?本当はオレの実力なんてどうでもいいはずだ、お前。
…違うか?」
「どうでもいいなんて…どうしてそんなこと」
狼狽するsaiに尚もヒカルは言い募った。
「はっきり言えよ!お前なんてどうでもいいって!自分は騎士に戻りたいって!」
次の瞬間、ヒカルはsaiに頬を張られていた。するどい音が響き、痛みよりもヒカルを呆然とさせた。
「そんなことはありません!!」
saiの瞳から、涙がひとすじ溢れて流れた。
「あ……」
ヒカルは声を失った。
「ご、ごめん」 かろうじて謝ることしか出来なかった。
「…もう、おやすみなさい。ヒカル」
saiはヒカルに背を向けた。その背中に手を伸ばそうとして、出来なかった。
「ごめん」 もう一度そう言って、ヒカルは逃げるように部屋を出た。
自室のベッドに寝転がってヒカルは考えていた。
―オレ、なんであんなにsaiを責めたんだろ?
考えてみりゃsaiが騎士に戻りたがるなんて当然じゃんか。
あいつはファティマであるかぎり、オレの持ち物にすぎない扱いしかされない。
他人の顔色ひとつに全てが左右される人生なんて『人間』なら誰だって嫌に決まってる。
アイツはもう人間と同じなんだから―。
ヒカルは自嘲的にため息をついた。
(オレはsaiをどう思ってるんだろう?―ファティマ?、それとも騎士…人間?)
ファティマとして『彼女』が必要だ。騎士として師匠として尊敬もしている。
…でも、それだけじゃない。
「オレ、アイツがすっごい大事だ」 声に出して呟く。
その気持ちがなんなのか、まだヒカルにはよく分からなかった。
ただひとつ、
『saiに認められたい』 それだけは、はっきりしていた。
(お前が普通のファティマだったら、こんなことで悩まなくてもよかったのに)
もしそうならsaiはARCH・ANGELとして、公私共にヒカルに喜んで尽くしてくれただろう。
ヒカルもまた『彼女』をファティマとして扱えばそれでよかったはずだ。
自分に都合のよい”人形”として。
しかしsaiがマインドコントロールされていれば、ヒカルは絶対に選ばれなかったはずだ。
将来的に発現するかも知れない力より、今現在の力…普通のファティマはそちらを選ぶからだ。
「オレ、お前がさっき言ったこと、信じるよ。きっとミラージュの騎士になってお前を解放する」
「お前はいつかオレだけじゃない、誰からも自由になって、自分のために生きるんだ」
ヒカルは心に強く思った。