夜明け寸前、二人は指示されたポイントまで十数キロのところにいた。
ここから国境までは100kmない。ドーリーでもわずかな時間で抜けられる距離だ。
辺りには蒼い闇が立ち込め、夜明け独特の匂いがして清々しかった。
しかしその朝の空気にそぐわぬ音を聞きつけて、二人は咄嗟に岩陰に身体を伏せた。
「…MHの駆動音だ」
「バッハトマか?…気付かれたかな?」
「大丈夫だろ。まだ」
アキラがそっと身を乗り出して目を凝らす。
「MHは2機。”バルブガット”…やはりバッハトマだ」
「”アウェケン”じゃなくて良かったぜ。もっともこんなところに宮殿騎士団がいるはずもないけどな」
ヒカルは少し考えて、
「…おまえ、こっからは一人で行けよ。迂回して哨戒の外にでたら佐為に連絡してくれ。これじゃオレは足手まといになるからさ」
「一人で残る気か?」
「大丈夫。ここに大人しく隠れてりゃ見つかりやしねえよ」
ここにいるMHは2機でも近くに本隊がいるはずだ。
ミラージュの本隊は遠いし迎えにくるのはSSIZZと佐為の二人だけだろう。
一瞬でケリをつけなければ、脱出は危うい。ドーリーでぎりぎりまで近づいてから、MHで一気にテレポートしてくるしかない。
かすかに頷いて、「…10分で戻ってくる」
アキラはそっと岩陰を出た。そして足音さえさせず、まだ明けきらない夜明けの蒼い闇の中に、あっという間に消えていった。
アキラが行ってしまうと、ヒカルはぐったりと横になった。
鈍い痛みがあって、さっきから息が苦しい。
「こいつは、ヒビくらい、じゃ、済まない、かも」
そういえば昔、腹を切られた時、「腸が出てるわけじゃなし、我慢しろ」 と言われた事があった。
あれは、初めて佐為と会った時だったか。ついこの間のような気がする。
ヒカルはその時のことを思い出して苦笑した。
佐為と出会ってから、短いとはいえない時間が過ぎた。その間、自分達はずっといっしょだった。
今回のように離れるのは本当にまれだった。
そういえばパルテノの回復が順調なので、もうすぐ佐為はARCH・ANGELとしての任を終える予定だ。
そうなれば自動的に自分もヤクトの専任騎士からはずれることになるだろう。
いくら無敵でも巨大なヤクトより、ヒカルはやっぱり標準サイズのMHが好きだ。
自分の手足が伸びたようで、相手と組み合った時の実感がいいと思う。
佐為もヤクトミラージュはパルテノになついているので、自分はあくまでツナギだと言っていた。
マシンのMHが”なつく”なんてちょっと意味不明だが、なんとMHにも感情があるという。
人間とマシンの中間に位置するファティマにはそれが分かるらしい。
なんでもMHにとってファティマは母親みたいなものだとか。
なるほど、それでオマエはお母さんチックなのかと言ったら、アタマをはたかれた。
このまま精神が安定すれば、パルテノが新しいマスターを得るのも遠くないだろう。
それはヒカルを、ほっとさせた。
これで佐為はヤクトの専任ファティマという呪縛からは一応解放されるのだ。
しかし自分といっしょにいる限り”ARCH・ANGEL”という名前からは逃れられない。
彼を本当に藤原佐為に戻してやるためには、ヒカルは新しいファティマを求めなくてはならない。
今の自分なら選んでくれるファティマもあるだろう。
しかしヒカルは踏ん切りがつかない。
(オレって矛盾してるよな。佐為を騎士に戻してやりたいのに、一方でオレのファティマはあいつしかいねえ、なんて考えてる)
それに騎士に戻ったところで、ファティマであることからは所詮、逃げられないのだ。
二人ともに、その事はよく分かっていた。
ぼんやりと考え込んでいたヒカルの耳に、遠くから独特の重低音が聞こえてきた。
きっかり10分後のことだった。
ヒカルは大儀そうに身体を起した。
「あれは…塔矢か?」
舞い降りた2機のうち1機はクバルカンの主力機”スチルコア”。
「さすがに”バング”は持ってきてないか。残念、見たかったのに」
アキラは少し前に”SSIZZ”と共に、”バング”を与えられていた。
”バング”とは『破裂の人形』といって、ルーン騎士団全体で5人程度にしか与えられないMHの名称だ。
その詳細は機密中の機密であり、情報収集という任務に持って来ないとしても仕方ない。
『破裂の人形』を与えられた騎士はクバルカンでの重要人物であり、中でも塔矢アキラはその筆頭だった。
清廉潔白なアキラなら、やがては次の法王になるかも知れない。ヒカルは内心そう思っている。
呼び出し音がして、通信機から佐為の声がした。
「ヒカル、無事ですか!?」
「ああ」
「塔矢が前に出たら、そこから飛び出して下さい」
「分かった」
痛みのせいで呼吸が浅くなってしまう。それでも息を整えると、タイミングを計った。
アキラが…前に出た。ヒカルは一気に飛び出した。
一瞬で佐為の乗るMHが、ヒカルの前に移動する。
バシャっと音がして、コクピットが開いた。ひと息で乗り込むと、佐為の顔がモニターに現れた。
ほんの少し離れていただけなのに、ひどく懐かしい。
数十メートル先ではアキラが1機と組み合っていた。予想に反して、2合、3合と打ち合っている。
国境警備にしては、相当に腕がたつようだった。
だがすぐケリをつけないと、敵の本隊に合流されたらアウトだ。
思う間もなく、すぐに敵のもう1機がヒカルに相対した。
「用意はいいですか? いきますよ!」 佐為の声がした。
「…ああ!」
短く応えたが鎮痛剤が切れたのだろう、さっきから眩暈がするほど苦しい。
咳が出て口元を拭うと、かすかに血がついた。
だがヒカルは苦鳴ひとつ洩らさず剣を抜く。
騎士の身体は恐ろしく丈夫だ。痛みにさえ耐えられれば、まさか死ぬようなことはあるまい。
「一撃必殺で行く。頼むぞ!」
言うが早いかヒカルは全力で打ちかかった。
様子を見ようなどという気はさらさらない。ところが、こっちの騎士も凄腕だった。
まともに組み合っては機体がもたないと踏んだのか、剣を流しながら実にうまく反撃してくる。
ヒカルより数段、経験豊富な騎士のようだった。これでは当てが外れてしまった。
あちらを見るとアキラもかなり苦戦しているようだった。しかし今は気にしてる余裕が無い。
「”ARCH・ANGEL”! 今のデータをくれ!」
数合打ち合っても決着がつかない上、さっきから右手の反応が鈍い。
関節が限界を超えようとしているのだ。
破損状況を告げる声が響く。
次の打ち込みは、ベイル(楯)で受けた。機体が激しく軋む。
「機体がヤバイ! なんとか後退できないか!?」
ヒカルが叫んだ。しかし、
「この敵は腕がたつ。後退は無理です!」
「くそっ! 右手がもうダメだ!」
「まだもたせてみせます!! 相手もそろそろ限界のはず、もう少しです! マスター!」
その声に、剣を持つ右手に力を込めた。ぎぎ、と嫌な音がしたが反応は戻っている。
ベイルを駆使しながら、必死で反撃のタイミングを作る。
一瞬、モードの切り替えが遅れたのか敵のバランスが崩れた。
その隙をついてすれ違いざまに、剣ではなく左手のベイル(楯)で殴り倒した。
すかさず振り向き、今度こそ剣で薙ぎ払う。
衝撃と共に相手の胸部がひしゃげた。…しかしまだ動いている!
ミサイルに捕捉されたと警告が鳴った。
(ファティマか!?)
あの様子では敵の騎士は生きていても動けないはず。
その時、こちらの火器が敵MHの頭部に命中した。
ファティマシェルが搭載されている頭部が粉々になるのが見えた。ミサイルを放ったのは…。
「佐為…」