星団歴3030年、バッハトマ帝国は突如としてハスハ共和国に宣戦を布告した。
魔導大戦と呼ばれる大戦争の始まりである。
「おい」
声をかけられ、逆光のせいでアキラは眩しげに目を細めて、そのシルエットを振り返った。
「ホラよ」
そう言って水筒を放ってよこす細身の少年。
アキラは無言で一口飲むと、改めてヒカルに目を向けた。
少し顔をしかめて胸の辺りを押えている。
「大丈夫なのか?」
「もちろんだぜ」 ヒカルは不敵に頷いた。
本人が大丈夫だと言う以上、気遣ってもムダだ。アキラはそう判断する。
どのみち本隊まで辿り着かなくては、医者に見てもらうことは出来ないのだから。
アキラは頷いた。
「わかった。ではそろそろ行こう」
巨大な夕陽が半分かた地平線に溶けて、沈もうとしている。
これから夜通し歩くのだ。
邂逅ポイントまで辿り着けば、そこには彼らのファティマがMHと共に待っていてくれるはずだった。
とっぷりと日が暮れて、乾いた夜風が吹き抜けている。灯火は必要なかった。
天空に明るい月がかかって辺りを照らしていた。
昼間とはうって変わって、ぐっと気温が下がり歩きやすい。
しゃべるのは体力を奪うため、ほとんど会話はせず黙々と歩きつづける。
ナカカラに情報採取に出たヒカルがアキラに出会ったのは偶然だった。
ヒカルは一人だった。佐為はMHと共に国境付近で待機していた。
アキラもまた単独でナカカラに来ていた。目的もヒカルと同じ。
ヒカルがアキラを見つけたとき、彼は光剣を手に騎士に囲まれていた。
アキラの腕なら並の騎士が何人いようが、決して不覚は取らなかったろうと思う。
しかしMHが出てきたのでは話は別だ。
レーザーに捕捉されたのを知って思わず飛び出してしまった。
いっしょに崖を転がり落ち、アキラは無事だったがヒカルは怪我を負ってしまった。
肋骨にヒビくらいは入っているかもしれない。
「MHの前に飛び出すなんて、何を考えているんだ!?無茶をするにもほどがあるぞ!!」
物凄い形相でアキラに怒鳴られた。確かにMHからこの程度の怪我で逃げられたのはラッキーだった。
彼らが深追いしないでくれて助かった。
しかし助けてやったのに、なぜ怒鳴られるんだ! それに本隊の佐為に連絡した時の彼の反応といったら。
「…邂逅ポイントを指示します。明日の夜明けまでに必ず来るんですよ」
佐為の態度は思いっきり冷たかった。
MHで越境するのはマズい。だから、邂逅ポイントまで来いというのは分かる。
示されたポイントは怪我を負った自分が朝までに歩ける最長の距離だった。
しかし他に言葉はないのか。そう思ってせめて痛みを訴えてみると、
「痛いですって? ええ、そうでしょうともっ!でも来るんですっ!!」
(こ、怖い…)
ヒカルは物も言えずに、ただやみくもに頷いた。
その後、首都にいるというアキラのファティマにも連絡をする。
「ご無事で良かった。マスター…」 そう嬉しそうに微笑むのを見て”なんだ、この差は!?”とヒカルは面白くない。
「不公平だ!!」 憤るヒカルを無視し、さきほど佐為に示された邂逅ポイントを指示する。
「分かりました。明日の朝にはお会いできますね。…どうかお気をつけて」
頷いてアキラは通信を切った。
「…お前までオレにつきあうことないのに。一人でなら簡単に越境できるんじゃないのか?」
「怪我を負った者をほっておいて先に行くような騎士はルーンにはいない」
アキラは当然だというような顔をして言った。
(なら、助けてもらった礼くらい言え) これは心の声だ。
(あーあ、こんなことなら素直に佐為と来ればよかった)
いっしょに来ると言い張る佐為を、自分を信用しろと説き伏せて一人で来たのは自分だ。
しかし今さら泣き言を言っても始まらない。今は一歩でも邂逅ポイントに近づくのが先決だ。
それに内心はちょっと暖かい気分だったのだ。
負傷したと告げた瞬間、佐為が息を呑んだのが分かった。
通信機のモニターには顔しか映らないので、ヒカルの様子ははっきりわからない。
たいした怪我ではないと分かるに従って、あからさまにほっとしたのが見て取れて。
心配させたのは悪いと思うが、あの表情を思い出すとなんだか嬉しい気分になる。
4時間ほど歩いたところで、少し休もうとアキラが提案した。
「お前が行けるなら、オレは大丈夫だ」
「ボクは平気だが…」
ヒカルは鎮痛剤の効果が切れかかっているようだった。
彼の額には脂汗が滲んでいる。表情にも押えきれない苦痛が浮かんでいて、月明かりの下でもそれがはっきりわかった。
「やはり少し休もう。15分だけ。キミはもう一度鎮痛剤を打たなくては」
少し考えて、ヒカルはアキラの提案に従った。
正直かなりきつくなってきていたのだ。それに体力の回復効率を考えると、ここで休憩するのが得策だ。
地面に座り込んで、腰につけたポーチからアンプルを取り出す。これが最後の薬だった。
注射器にセットして首筋に押し当てた。
「…っ」
チクリとした痛みと共に薬液が体内に入ると、数分で見事に痛みが引いていく。
ヒカルは、ほっと息をついた。これでまたしばらくは楽になる。
「なあー、おまえの新しいファティマってどんなの?」
ひとつの水筒から水を分けて飲みながら、ヒカルが興味本位で聞いた。
「どんなのって…さっき見たじゃないか。名前は”SSIZZ”スペックはB1-2A-A-A-B1-VVS2/S-M型。マイトは…」
「違うって!どういう感じのコかって聞いてんの。かわいい?」
この場合の”かわいい”は容姿のことではない。
「そんな事を聞かれても…。そうだね。かわいいよ。よく尽くしてくれるし…。なんとなく佐為殿に似てるかな? 雰囲気がだけど」
「あいつに?そりゃまたなんというか…」
”SSIZZ”は清楚で可憐な雰囲気だったが、アキラには佐為もそう見えるのだろうか。
「あいつはなあ。口やかましいお母さんみたいだぜ」
笑ってヒカルは、もう一口水を飲んだ。
「…それにとても怖い男だ」
13歳から18歳までをヒカルはアドラーの学校で『進藤ヒカル』として過ごした。
しかし卒業を待たずに戦争がはじまってしまったので、今は休学中の身分だった。。
とはいえ、戦争が終わらなければ復学はムリだろう。いつ戻れるかは全く分からなかった。
勉強は嫌いだったが学校生活はそれなりに楽しく、卒業目前のヒカルの悩みは唯一、身長が佐為とほとんど変わらないことくらいだった。
のん気な悩みだと思うが、それなりの訳もある。
一般に騎士は体格が大きい。女性でさえ2m近いのはざらで、男性となるとだいたいがそれを超えている。
しかしヒカルは佐為とほとんど同じ180cmをやっと超えたところだ。アキラよりも7〜8cmは低い。
そのかわりあれほど未成熟だったダイバーパワーは年ごとに安定し、体格的に劣った部分はそのダイバーパワーと得とくした技で充分カバーできた。
ヒカルは騎士として徐々に認められつつあった。それでも佐為にはまだ勝てない。
力だけで押しても佐為には簡単にかわされるし、ならばと知ってる限りの技を駆使して仕掛けても、あっという間に見切られて封じられてしまう。
どうだとばかりに使った”ミラー”さえ見切られたときには、佐為に追いつく日は来ないかも知れないと思った。(※ミラー=ダイバーパワーを持つ者だけが使える技)
「一度見た技は、私には通用しませんよ」
「おまえが見たことの無い技なんてあるワケ?!」
「さあ…どうでしょうねえ?」 くすくす笑うのがいっそう悔しい。
―彼はやはり強い…。
「15分たった。そろそろ出発しよう、進藤」
アキラの声に回想を断ち切って、ヒカルは顔を上げた。
「ああ。夜明けと共に”SSIZZ”ちゃんにチューだぜ!」
アキラは『アホか』というような顔でヒカルを見た。
「やめてくれ。”SSIZZ”はボクのファティマだ。どうしてもしたいならキミにも佐為殿がいるだろ?」
ヒカルは目を見張って、
「佐為に? …やめとく。張り飛ばされちゃかなわない。これ以上、怪我増やしたくねぇもん」
そう言って複雑な顔をした。
ヒカルの情けない表情に、思わずアキラの顔に微笑が浮かぶ。
笑われてヒカルは面白くないが、突っかかったりはしないことにする。
ケンカする体力すら、今は惜しかった。