ヒカルと佐為がカラミティに来て、瞬く間にふた月が過ぎた。
剣聖は最初の言葉通り、時間の許す限りヒカルに稽古をつけてくれる。
最も剣聖が帰ったというので、毎日大勢の客が屋敷に押しかけるので、稽古はもっぱら早朝の数時間
だ。
いつも最初の日に佐為と手合いをしたくらいの時間に相手をしてくれる。
おかげでヒカルはすっかり早起きの習慣がついてしまった。
実際に剣聖と打ち合う時間はわずかでも、客と剣聖の手合いを見るだけでヒカルには充分勉強にな
る。
佐為も元イオタ騎士団の”sai”として客に紹介されたため、この頃ではsai目当ての客も訪れて、屋敷
はいつも大賑わいだった。
緒方は藤原佐為がARCH・ANGELで三条光のファティマであることは公然の秘密だと言ったが、それ
がイオタのsaiと同一人物だとまではバレていないものなのか、今のところ佐為をファティマだと見破
った客はいない。
(だいたいこんなに強いファティマがいるハズないもんなあ)
客の求めに応じて剣の相手をしている佐為を見ながら、ヒカルはため息をついた。
アキラとの初手合いは、予想通りというかヒカルの惨敗だった。
塔矢アキラは本当に強い。
(さすが若干13歳で枢機卿の位を授けられるだけはあるよ) ヒカルはため息混じりに思った。
悔しくないと言えば嘘になるが、ヒカルは彼の強さにほとんど感動してすらしていた。
騎士の血が発現したほんの2歳の頃から、父である剣聖に師事していたというだけあって、この歳で
緒方と張り合うというのも納得できる強さだ。
「キミはバイアだというじゃないか。どうしてダイバーパワーを使わない?」
アキラにそう言われて、ヒカルは困ってしまった。
ダイバーパワーを使うために精神を集中すると、体の動きが止まってしまうのだ。
これではあっという間にやられてしまう。
無意識にダイバーパワーを使えるほどにはヒカルのそれは強くないのだ。
だがそれを見て、塔矢剣聖は首をかしげていた。
「騎士の血とダイバーの血の両方が出る人間はそういない。それが発現したという事は、君の血は相
当濃いということだ。…たしか三条家は天照家の傍流だったね?」
「あ、ええ。はい」
確かにヒカルの出身の三条家は天照皇家の分家筋にあたる。最も別れたのはおそろしく昔でヒカルな
どは始祖の名も知らない。
「天照家は星団で最も古い血筋の家だ。知っているだろうが騎士の血もダイバーの血も、大昔の超帝
国のテクノロジーの産物であり、それは古い血筋に濃く残っている」
そういう剣聖も古い家柄の出身であり、妻である明子夫人もまたフィルモア王家につながる。
「…一般人は混血によって薄まってしまったから、ですよね?」
「そうだ。王家は近親婚が多いために、今の世まで超帝国の血が残っている訳だね。王家の出身に騎
士が多いのはそういう理由だ」
だからといって騎士同士では子供が中々生まれない。
加えてファティマが創りだされてからは、騎士は人間の女性よりファティマに傾倒するようになった
ので、いっそう騎士の数が減ったと言われている。ファティマは子供が生めないからだ。
そのため、ここフィルモア帝国では騎士はファティマを使い捨てにする。ファティマは物であり愛情
を注ぐべきは人間の女性なのだ。
マインドコントロールされたファティマは、騎士以外でも人間のどのような欲求にも答える。
ファティマを人と同じに愛してしまった騎士は、それに耐える事ができない。ファティマもまた本能
として刷り込まれた人間への隷属と、それを責める騎士との間で苦悩する。
帝国のファティマの精神崩壊が最も少ないのは、ここがファティマを愛情で縛らないからなのだ。
ファティマは戦いのために生み出された『兵器』。この国ではその考えが徹底されていた。
「…君は今、13歳だったね?アキラと同じ…」 塔矢剣聖が唐突に聞いた。
「はい」
剣聖はしばらく考えていたが、
「力が不安定な理由…まあ、いずれ解るだろう。言っておくが、君の力はそんなものではないはず
だ。それだけは断言できる。…精進しなさい、君のファティマのためにもね」
そしてヒカルに温かい視線を向けた。
「君の剣筋はsaiによく似ている。絶妙なバランスと読みの鋭さといい、一瞬の判断の的確さといい
…。まだsaiほどに洗練されてはいないが、なるほど、彼が君を選んだ訳が私にはよく分かるよ」
ヒカルは驚いた。アキラにこっぴどく負けるような自分を、何故それほどに評価してくれるのか?
「君は吸収するのがとても早い。ここに来てから君が学んだものは、普通の者ならもっと時間がかか
るだろうものだ。じきにアキラにも追いつくだろう」
「ほんとですか!?」 目を見開いて問うヒカルに微笑んで、
「嘘は言わんよ。アキラにとって君はいいライバルになるだろう」
そう言った。
「進藤、デルタベルンから電話だよ」 ヒカルの回想はアキラの声で中断された。
「え?誰から?」
「…香さんから」 なんだかアキラの様子がヘンだ。
「早く出た方がいいよ…」 そう言って、気の毒なものでも見るようにヒカルを見た。
部屋に戻ってモニターをつなぐと、香がいらいらしながら待っていた。
アキラを怯えさせるほどの、ものすごい怒りのオーラを漂わせて。
ヒカルを見ると開口一番、
「ヒカルっ!!あんたって子は!休学中に出された宿題、佐為にやらせたでしょうっ!?」
(げ!なんでバレたんだ!?)
ヒカルは昨年から1年間の休学願いを出していた。その間は学校から出される宿題のディスクを定期
的に提出しなければならない。勉強大嫌いのヒカルは体よく佐為にそれを押し付けていたのだ。
自分でやらなきゃダメですよ〜、と言いながら仕方なく佐為はヒカルのいう事を聞いていた。ヒカル
が全くやろうとしないからだ。
ヒカルがどぎまぎして言い訳を考えていると、その佐為が部屋に入ってきた。
「ヒカル、香さんから電話ですって?」
しかし嬉しげな笑顔は、香の鬼のような形相を見て一瞬で凍りつく。
「佐為っ!!あんたもヒカルの宿題かわりにやるなら、なんでもっとうまくやらないのよっ!!」
モニター越しに掴みかからんばかりの勢いでまくし立てる。
「学校から連絡もらってあたしゃもう情けなくって!あの学校は厳しいことで有名なんだよ!?ヒカ
ルっ、あんた退学よ!?た・い・が・く!!」
「ええ!?そんな…。だってバレないように、わざわざ正解率は90%くらいで提出したんです
よ?」
佐為が言うのに、
「……それ、不正解率が90%ならバレなかったんだよ」
そこまでヒカルの成績がすごいとは知らなかった佐為は、すっかり固まってしまった。
「ヒカルっ!!どーすんの、アンタっっ!?」
「どーすんのって言われてもさあ…あはは」
「あはは、じゃないっっ!!」
「ご、ごめんなさい」 ヒカルは神妙に謝った。
しかしミラージュに入団したばかりというのに、退学とは帝にも申し訳ない。ヒカルはライトナンバ
ーをもらって正式に入団が発表されているのだ。
「帝は…?怒ってる?」
「…ファティマに宿題させるなんて、ふつーは考えてもやらない、アイツは大物だって笑い転げてい
らっしゃったわよ!」
ヒカルはほっとした。帝の性格から考えて、そんな事を気にするヒトではないと踏んではいたもの
の、怒ってないと聞いてやはり安心した。しかし、騎士団は…。
「それで…?騎士団は…クビ、かな?やっぱり」 おそるおそる聞くのに
「まさか!そんなことで退団なんてことはないわ。でもアンタは転校よ!退学になる前に別の学校に
転校手続き取ったから」
すでに手は打っていたが、ヒカルを怒り飛ばさずにはいられなかったのだろう。
佐為もようやく金縛りから解けて、
「転校……よかったですねえ、ヒカル!」 心底ほっとしたように言った。
「で、どこに行くの?」
(ちぇっ学校なんてどうでもいいのに!)
そうは思ってもせっかくの香の努力を無に出来ない。
「アドラーだよ。フェイツ公国。…佐為にとっては懐かしい場所だね」
佐為が生まれたのはアドラー星バストーニュの、バランシェ公の工房だ。
「帰ってきたらすぐに行ってもらうからね!…今度こそちゃんと卒業までたどり着いてちょうだいよ
ねっ!?」
通話が切れた。
「………」
ヒカルと佐為は、しばらく放心状態だった。
「で、でもほんとによかったですよ、ヒカル」 佐為が取り繕うように言った。
「アドラーかあ。どんな学校だろ?あんまりキビシクないといいな〜」
(ヒカルってば、ほんとにのん気)
佐為は、ヒカルのパートナーになったことを思いっきり後悔しそうになった。