カラミティ星のフィルモア帝国は北の大国だ。
ここにはファティマを使い捨てにすることで有名な、ノイエシルチス騎士団がある。
剣聖は郊外にある妻の実家に滞在中とのことだったが、アキラから連絡がいっていたせいで空港に迎えの
車が来ていた。
ヒカルは来た早々、生涯忘れられない光景を目にすることになった。
車が何個目かの小さな街に入ったときだ。
窓からもの珍しそうに景色を眺めていたヒカルは、奇妙な一団を見つけた。
4、5人の人相のよくない男たちと、あれは、
「ファティマだ!」 ヒカルが声をあげた。
見た目は16,7歳の少女だ。M型ファティマだろう。
男たちに引きずられるように歩く姿は、ふらふらしていてマトモではない。
しかも服はボロボロで顔も身体も痣と傷だらけだ。男たちの下卑た会話が耳に入る。
いったいどんな扱いを受けたのか、一目で解るひどい有様だった。
「おいっ!車をとめろ!」 ヒカルが怒鳴る。
「止めてください!」 アキラも運転手に声をかける。
急ブレーキをかけて車が止まるのを、待ちきれないようにヒカルが飛び出そうとした。
それを止めたのは佐為だ。
「待ちなさい、ヒカル!どうするつもりです!?」
「決まってる!ファティマをあんな目にあわせた奴等に後悔させてやるんだよっ!」
それを聞いた佐為は、必死に首を振ってヒカルの目を見つめた。
「だめです!ヒカル!よくごらんなさい。彼らは普通の人間、一般人です。騎士が一般の人間に怪我をさ
せたら一生表舞台にたてませんよ!そんなことはあのファティマだって望みはしません!」
「じゃあ黙って見てろって言うのかよ!?」 ヒカルはすっかり頭に血が上っていた。
「ヒカル!ヒカル!落ち着いて…!」
その時、車のドアが開く音がした。
「ボクが行きます」
船を降りる時に着替えたルーン騎士団のマントをひるがえして、アキラは男たちの方へスタスタと歩いて
いった。
「あなた達!ボクはクバルカンのルーン騎士、名は塔矢アキラ。そこのファティマの保護を申し出ます。
…異存ありませんね!?」
有無を言わさず、宣言した。
クバルカンのルーン騎士は清廉潔白な人柄で、星団中に人気がある。
しかも塔矢アキラの美しい容貌はただでさえ目を引いた。何事かと、人垣が出来始める。
男たちも立ち止まり、アキラを呆然と見た。
騎士団は全員、男性だから少年であることはわかるが、分かっていてなお男たちの視線はうつろだった。
「で、でもこいつはファクトリー(工場制)だし、ダンナが気に留められるようなシロモノじゃありませ
んぜ?」 一人が口を開く。
「それでも一般人がファティマを所有してはならない事は分かりますね?ご協力ありがとう」
丁寧な言葉と裏腹にアキラは、底冷えのするような視線で男たちを睨みつけた。
それに恐れをなしたのか、彼らはファティマをおいて慌てて去っていった。
男たちが見えなくなってようやく、ヒカルは佐為の腕から解放された。
つかまれていた腕が痛い。見ると紅くアザになっていた。
しゃがみこんでいるアキラの元へ急いで走る。佐為もまた、青冷めた顔で後に続いた。
ファティマは道端の街路樹に、もたれかかっていた。そのヘッドクリスタルが弱々しく明滅している。
近づいたヒカルを振り向いて、アキラはかすかに首を振った。
ファティマの唇が震えた。何かを言おうとしているのだ。
アキラに向かい、
「…騎士様、…ど…うか…ワタシ、ノ、マス…タ…ニ…」
クリスタルの光が消えた。薄く目を開けたまま、彼女の時間が止まる。
それが最後だった。
「くそおっ!!」 ヒカルの叫びが木霊する。
「これでもあいつらは罪に問われないって言うのかよ!?」
佐為は哀しげに顔を伏せていた。
「そうだよ」 アキラの声がした。
「ファティマは人じゃない、品物だから」
アキラは冷たく光る瞳を、まっすぐヒカルに向けて言った。
「君もファティマを持つ身なら、よく覚えておくんだね。主を失ったファティマには身を守る権利すらな
いんだ」
ヒカルは思わず、傍らの佐為を見上げた。
「…行きましょう。塔矢、ヒカル」 佐為が言った。
そして返事をまたずに車に戻っていく。仕方なくヒカルも後に続く。
アキラもまた通行人に騎士公社へ連絡を頼んでからすぐに戻ってきた。
それから目的地である塔矢の母の実家に着くまで、一行は完全に無言だった。
玄関ロビーまで出迎えに来た剣聖は、三人の様子がおかしいのにすぐに気がついた。
アキラが手短に事情を説明する。
剣聖は「…そうか」と一言いったきりだった。その表情からは何も読み取れない。
そして気分を変えるように、佐為に話し掛けた。
「久しぶりだね、ARCH・ANGEL。今は藤原佐為と名乗っているのだったかな?」
佐為もまた微笑んでそれに応じた。
「はい、塔矢剣聖。この度は無理なお願いをお聞き届け頂き、ありがとうございます」
優雅に頭を下げる。そしてヒカルを示し
「こちらが私のマスターの三条光さまです。しばらくは”進藤ヒカル”と名乗らせて頂きますけれど」
ヒカルは佐為に様付けで呼ばれたことなど初めてだったので、ちょっと驚いてしまった。
そして何故か不快な気分になる。それでもなんとか挨拶をした。
「長旅で疲れたろう…。今日はゆっくりと休むといい。私がここにいるのはほんの数ヶ月だが、出来る限
りのお役に立てるよう尽力してみよう」
「数ヶ月?次はどちらへ参られます?剣聖」 佐為が尋ねる。
「はは、足の向くまま、気のむくまま…と言いたいが、ボォスのバッハトマ帝国へね」
野暮用だよ、そう言って剣聖は穏やかに笑った。
剣聖の家族との賑やかな夕食を終えて、ヒカルは与えられた部屋に戻ってきた。
佐為とヒカルの二人は当然のように同じ部屋をもらっている。
ところが佐為がいない。一足先に部屋に戻ったはずなのに。
ふと、水音がした。
(あいつ、またフロかあ?まったく好きだなあ)
「おーい、佐為〜?」 バスルームらしい部屋のノブに手をかけると、中から
「ヒカル!? あ、ち、ちょっと待っ…」
全部を聞かずに開けてしまった。どうせ男同士だ。
だが佐為はハダカではなかった。何かを手に持って鏡に向かっている。
どういうわけかバスルームの明かりは灯いていなかった。
佐為の顔を見て、ヒカルは仰天した。
「さ、佐為!?その目!」
「だから、待って下さいって言おうとしたのに!」
佐為の瞳は猫族のように光を反射して光っていた。
ファティマの目には暗視機能がある。瞳と虹彩の間に光を反射する組織があるからだ。
暗闇でもほとんど昼間と同じに見る能力がある。明かりがついていなかったのはそのせいだった。
だから彼らの目には透過率の低いコンタクトがかけられるか、あるいは外したままにされる。
それにより、はっきり人間と区別がつくからだ。
「ごめんなさい。気味が悪いでしょう?すぐコンタクトをつけますから…」
佐為のコンタクトは透過率の高い特別製だ。つければまったくヒトと区別がつかなくなる。
ヒカルは一瞬、獣じみて光るその瞳をじっと見つめた。
「…佐為」
「はい?」
「いいから、そのまま、ちょっとこっちへ来い」
「え?…でも…」
いいから、と強引に部屋の中へ連れ戻す。
部屋の方は明かりが点いているので、もうそれほどには目立たない。
ソファに掛けさせて、さらにじっと瞳の中を覗き込んだ。
「…虹彩の周りに模様が見える」
「製造者と製造番号が暗号化されて打ち込まれているんですよ。…MHと同じです」
ヒカルはそれを聞いて泣きたくなってきた。知らず涙が滲んでくる。
昼間のファティマに目の前の佐為が重なってしまう。
「オレ…以前、自分に誓ったことがあるんだ。聞いてくれる?佐為」
「はい…」
ヒカルはARCH・ANGEL(佐為)に初めて殴られた時に誓ったことを話した。
”いつか誰からも自由になって佐為は自分自身のために生きるのだ”と―。そのために自分は強くなる。
「そしてお前を解放してやるんだってそう思った」
「でも、お前はどうしようもなくファティマなんだね。いくら人間のフリしても調べられればすぐに分か
ってしまう。騎士登録されたからってお前が人間になれるわけじゃないんだ」
佐為は黙って聞いている。
「オレ、自分が恥ずかしいよ。解放ってのは要するに、お前を放り出すことだったんだ」
「…ヒカル!」
「だからもう一度誓う」
「佐為、オレたちはお互いのために生きていこう」
「お前が命をかけて守ってくれたように、オレも命をかけてお前を守る」
「でも約束する。オレは決して死なない!お前をあんな目には絶対にあわせやしないから!」
ヒカルは佐為のヘッドクリスタルの装着ポイントに指をあてた。
「オレがお前のマスターだ!」
「はい…!」
佐為はこの上もなく幸せそうに微笑んだ。
かつてヒカルを苦しげにマスターと呼んだ面影もない。
それは真似事に過ぎなかったけれど、その瞬間からヒカルは確かに”ARCH・ANGEL”のマスターになっ
た。
二人の物語はこれから始まるのだ。