ELECTRIC PROPHET2

遠くから規則正しい馬蹄の音が響いてくる。

馬上には黒衣の青年。辺境に名高い美貌のバンパイア・ハンター。

「D」

少年がその名を呟いた。





陽が傾き始める頃、彼はやって来た。

アキラを奪還に。

ヒカルは城壁の上に立ち、崖の向こうの人馬を見下ろしていた。

距離はちょうど1km。

それだけの距離があってヒカルには、黒衣のハンターの表情さえも、はっきり見ることができた。

城と向こう側の街道の間には深い谷が横たわっている。その間を石造りの橋が繋いでいる。

橋の最後の部分は途切れ、かわりに木製の跳ね橋がかかっていたが、今は上げられて堅固な城門と化していた。

ふいに人馬が走り出した。こちらへ向かってくる。

橋の終りから城門までは数十メートルもある。馬で飛び越えるのは不可能だ。

しかしDはためらいもなく速度を上げた。

「へえ、さすが」

ヒカルは面白そうに呟くと、突進してくる騎影をじっと見守った。

やがて橋の中ほどを過ぎたあたりで、巨大な機械の駆動音が響いた。

城に備え付けられた、あらゆる光学兵器がDを迎え撃つ。

そのはずだった。

ヒカルは首をかしげた。

城の防衛システムは最初にわずかに動いただけで、すぐに止まってしまったようだった。

「故障?…の、はずないか」

Dの胸に青く光るペンダントを認めて、ヒカルはかすかに微笑んだ。

Dがさらに距離をつめる。

再び何かが軋むような音が響いた。

跳ね橋がゆっくりと下りていく音だった。

迎え入れるように下りてくる跳ね橋を、恐れ気もなくDは渡って来た。

罠かも知れないなどとは、微塵も疑っていないように。

防衛システムが働かないのならば仕方ない。

ヒカルは最強のハンターをその手で迎え撃つために身を翻した。

『D』相手に、形ばかりの城門が何の役にたつ?

跳ね橋を下ろしたのは、ヒカル自身だった。




門を入ると一転、Dはゆっくりと馬を進めた。

城壁の内部は庭園になっていた。精緻な装飾を施された巨大な柱が規則的に並んでいる。

それが途切れた場所で馬を下りると、Dは城の内部に入っていった。

そこは建物の中だというのに、外の続きのようにやはり庭園が続いていた。

芳しい香りが、Dの鼻腔をくすぐる。

夕暮れの日差しを浴びて、美しい花々が穏やかに風に揺れていた。

そこに明るい前髪が特徴的な少年が立っていた。

数メートルを挟んで対峙する。

背が低くDの胸辺りまでしかない、少なくとも見た目はまだ子供といってよい歳の少年。

しかし彼は不敵に微笑んでいた。

それを無感情に見下ろし、Dは訊いた。

「アキラ・トウヤはどこにいる」

「この城のどこかに。オレを倒せたら探して連れ帰るがいいよ。でも…まだ『人間』だといいけどね」

「その時は始末をつけるように依頼されている」

貴族の口づけを受けていれば、心臓に杭を打ち、首をはねる。

そうしなければ、何度でも甦ってしまうからだ。

「ひどいこと言うんだな」

「噛んだ貴族を滅ぼせば、しなくて済む事だ」

応えた途端、どこからかエネルギーの帯が数条、Dへと迸った。

不意打ちのような攻撃を、Dは後ろに跳んで避けた。

着地地点を測ったように、再び光線が襲う。

Dの左手が上がった。掌に小さな顔が浮かんでいる。

ごうごうと風が渦巻いた。

光線が収束し、Dの左手に吸い込まれて行く。強風に吹き散らされた花びらと共に。

それを見て面白そうに、

「珍しいモノ飼ってるんだなあ。ずいぶん便利そうだ」

ヒカルは右掌を上にかざした。窪みの中に光点が生まれる。

しわがれ声が左手あたりから洩れた。掌に浮かんだ顔がしゃべっている。

「こいつはまずい。食らうには質量がでかすぎるぞ」

囁きよりも小さな声だったが、Dには聞こえたようだ。ヒカルにも。

「そいつの言う通り、これを吸い込むとヤバイよ?」

ヒカルがニッと笑った。

光の粒がふわり、と浮かび上がり、それは一瞬で真っ黒な点に変わった。

光が逃げられないほどの質量。だから黒い。

『黒点』の正体をDも左手も悟った。

それが数メートル先で、彼の身を覆うほどに巨大になって迫る。

Dは庭園を植え込みの方へと走った。

『黒点』が大地を削りながら追いかける。

逃げられないと判断したのか、Dが振り向いた。鞘鳴りの音がして、銀の軌跡が走る。

『黒点』に亀裂が入った。

途端に内側に反転するように弾けて消えてしまう。

切れないはずのものを両断する。Dの技に、今度こそヒカルの顔に感嘆の表情が浮かんだ。

ヒカルは空中で拳を握った。そのまま何かを引き抜くような仕草をする。

何もない空間から剣が一振り取り出された。

「小技がダメとなると、残りは正攻法だけだもんな」

構えようとして動きが止まる。

ヒカルの視線はDの背後に引きつけられていた。

「私の獲物を横取りとは。ずるいですよ、ヒカル」

花の香りがいっそう強く薫った。

Dは振り向きもしない。すでに男がいることに気付いていたようだった。

「城の主サマの登場じゃな」 枯れ声が言った。




「あなたを呼んだのは、この私です」

白い長衣の男がにっこりと微笑んだ。優雅で美しい男だった。

「この城で永い年月を囚われて私は過ごしてきました。

 碁を打てることは幸せでしたが、ヒカル以外と打つことは許されなかった。

 どこへも行けない。自らは死ぬ事もできない。それが永遠に続いていく…」

Dは無言で聞いていた。

「…疲れました。本当に。私は終局を望む。あなたはそれを叶える事の出来る唯一の存在」

無邪気で優しげな顔。その穏やかな表情のまま、

「あなたには私を殺していただきます」

男はそう告げた。幸せそうに。

「お前の名を聞いておこう」

「…名など、ありません。『名無しの男』それが今の私の名」

男が振り返った。

そこには、アキラが立っていた。

彼の瞳は赤光を放ち、口元からは鋭い牙が覗いていた。

腕は片腕ずつ頑強な鎖につながれ、それを細腕に似合わぬ力で引き千切ろうとする。

貴族化した人間はおよそ有り得ない腕力を発揮する。

貴族用と思われる鎖は切れる事はなかったが、ぎりぎりと軋んだ。

鎖を握りしめたまま、ふと、こちらを見た。ヒカルと目が合う。

アキラが笑った。血に飢えた、邪悪な笑みだった。

ヒカルが顔を背ける。

自らが犠牲者とした少年を見ながら、男は優しい微笑を浮かべたままだ。

「元に戻す方法はご存知ですね。さあ、勝負と行きましょう。

 私は滅びを望んでいるけれど、むざという訳にはいきませんからねえ。

 戦うからには、あなたを倒すつもりです」

「こやつが死んでは、おまえの望みも叶うまい」

枯れ声に、男の印象が変わる。暗い、闇の微笑。

「その時は、ひととき退屈を忘れたことに満足することにしましょう。

 これは座興です。命をかけた―。

 どちらにせよ、私に悪い話ではない」

男が手をかざすと、辺りの様子が一変した。

花の咲き乱れる庭園は消え、何もない真っ白な空間にDは立っていた。

そこには男とDのみしかいなかった。ヒカルと呼ばれた少年もアキラ・トウヤもいない。

そして先ほどまでの優しい太陽ではなく、真夏の午後のような強烈な日差しが照りつけていた。

Dの表情がかすかに歪む。

「ふふ、あなたはダンピール。苦しいでしょう? でも私は平気なんですよ」

男の手が無造作に振られた。

熱い空気の塊が、Dの顔をかすめた。

避けたつもりだったが、血がひと筋、頬を流れて滴った。

陽光の中ではダンピールの動きは鈍る。

男の手が再び上がった。