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その城は崖の上に辺りを睥睨するように建っていた。
城が建つ崖を囲うように麓には豊かな森が広がり、遠くには澄んだ湖が見えた。
湖のほとりには、村がひとつあった。
村人は老若男女様々なのは当然だが、この村には他の村には決してないはずのことがあった。
それは村人に貴族が混じっていることだ。
それなのに村人の表情は一様に明るく、屈託がない。
彼らの記憶にある限り貴族は友人であったし、人間に害を成したこともなかったから。
ここでは辺境に付き物の妖物も、凶暴なミュータント生物も脅威ではない。
そのような危険な存在からは、貴族が守ってくれる。
彼らは血を飲まずにいられない種族だが、人を襲ったりはしなかった。
不死の貴族は血液から栄養を取っているわけではないのだ。
血への渇望はあっても、村にいる貴族は皆、人工の代価血液で満足していた。
友人である人間の喉から血を飲むなど許されない事。
ここの貴族は口を揃えてそう言う。
村が始まって以来、一人の犠牲者も出たことはなかった。
夜ともなれば貴族と人間がひとつテーブルを囲み、話に花を咲かせる。
貴族と人間の夫婦も当たり前に存在した。
気候は温暖で畑からは充分な収穫を得られたし、ここでは何もかもが満ち足りていた。
理想郷(ユートピア)―。
人々は貴族と人間が共存する自分達の村のことを、自尊心を込めてそう呼んだ。
ただし、この村は閉じられた『世界』にあった。
それを村人たちは誰も気がつかない。
男は満点の星空を嬉しげに見上げた。
知らず、口元に笑みが浮かぶ。もう、ここ何年も浮かべた覚えのない笑みだった。
「あの男が来ますよ」
目の前にいる少年に向かって、宣言するように言った。
「やっと終りに出来るかも知れません」
男と少年の間には無数に線の引かれた四角い物体が置かれ、線と線の交点を繋いで白と黒の石が模様を創っていた。
それは太古の昔に生まれ、今は存在しないゲームのための『盤』。
少年が一手をおく。『盤』が淡く光を放った。
男がその光に答えるように石を置いた。
その瞬間、夜空にいくつかの星が生まれ、男の放つまた別の一手にいくつかの星が死んだ。
嬉々として石を放つ男と対照的に、少年の表情は暗い。
ふと、傍らの暗闇に目をやった。
そこには少女がうつろな眼差しで座り込んでいた。
シンプルなシャツとズボン。それでもひどく美しい少女だった。
肩口で綺麗に切り揃えられた黒髪が印象的だ。
伏せられた顔をその髪が半ば隠し、表情からは何の感情も読み取れない。
こちらを見ているのに、少年と視線が交わる事はなかった。
少年の表情が痛ましげに曇る。
「気にすることはありませんよ。しょせん人間です」
男が嘲笑うように言った。
「それよりも。ほら、この一手。これでどうです?」
「……! ―なんてことを…。おまえ、本気でこの世界を終りにするつもりか?」
「いいじゃありませんか。まがい物の世界なんか壊れても。ああ、そういえば私達もまがい物でしたね。滅びるなら…」
「やめろよ!」
少年は鋭く男の言葉を遮った。そして、硬質な音をたてて石を放つ。
「ああ、せっかくの邪気が…。ふん…見事に立て直されてしまいましたか」
盤面に見入る男の横顔にひとすじ、細い光の帯があたった。
その光は満点の星空を一部切り裂いて差し込んでいた。
星空だと思ったのはドームに映し出された映像だったのだ。
しかし永い年月の間に施設は老朽化し、いくつも亀裂が入ってしまっていた。
「夜明けですね。残念ですが仕方ありません。次の『合』まではこの世界は安泰というわけです」
男は面白くもなさそうに言うと立ち上がった。
少年も後に続いたが、少女のそばで立ち止まり、
「おまえも…。行くぞ?」 そう声をかける。
少女はゆるゆると顔を上げた。
男の方は、少女になど全く関心がないように、さっさと出て行ってしまった。
それを見送って、
「もう少しの辛抱だから。きっと助けてやるから。だから…」
「あいつを恨まないでやってくれ。あいつは本当はとても優しい、いい奴なんだよ」
少女の表情が動いた。
「優しい…?」 かすれた声が洩れた。
その声を聞いて少年は驚いた。少し高めではあったが、紛れもなく男性の声だったから。
「おまえ、男だったのか」
そういえばしゃべる声を初めて聞いたのだ。城に連れて来て以来、初めて口をきいたことに気付いた。
叫び声なら聞いたが、その時は判らなかったのだ。
「…おまえ、名前は?」
「…アキラ」
「アキラか。オレは…ヒカル」 何故か一瞬ためらってから、名を告げる。
「ヒカル…」
この少女…いや、少年は村人ではない。外からの旅人だった。
男とヒカルと名乗った少年は、この城から半径20km以上、外へ出る事は出来ない。
アキラは男が見つけた千載一遇のチャンスだったのだ。
たまたま『合』の時期に、この『世界』と重なる森でキャンプを張ったのがアキラたちの不運だった。
招かれない限り、普通は外の世界から人が来ることは出来ない。
村人は皆、男と少年の支配下にあり、村に一人の旅人も訪れないのを誰も不思議に思っていなかった。
彼を攫うのをやめるように少年は何度も男に頼んだが、しょせん彼に逆らう事は出来ないのだった。
―絶対に、だ。
こうやって陽の下でまじまじと見ると、アキラはどう見ても少女には見えなかった。
確かに少年とは思えないほど美しかったが、華奢とはいえしっかりした骨格や筋肉など、間違えたのが不思議なくらいだ。
少年が言った。
「あいつは永い事ここに幽閉されてるせいで、少しおかしくなっちまってるだけなんだ。必ずオレがなんとかするから」
「だから、キミ達を許せと…?」
「父を、仲間を、目の前で殺されて?」
アキラの瞳がぎらつくように光った。
「絶対にキミたちを許さない!いますぐボクを殺すんだな!でなければ必ず復讐してやるっ!!」
今までのうつろな様子から一変、アキラは激しい感情もあらわに言葉を投げつけた。
アキラは都の大学へ行くために試験を受けて帰る途中だった。
辺境の旅は危険と隣り合わせだ。
会場となった町はアキラ一人で行くには遠すぎたが、彼らの村は貧しく、とても護衛をつける余裕がなかった。
だから商人のキャラバンに同道させてもらっていたのだ。たまたま都に用のあった父といっしょに。
アキラの父は東部辺境地区にある小さな村の村長だった。
都の大学に行けるのはほんの一握りの選ばれた者だけだ。
アキラは村の学校を3年飛び級していて、まだ15歳ながら合格は間違いないと言われていた。
都の大学に合格すれば、政府の高官になる道が開ける。
そうなれば、故郷の村へ便宜を図ってやることが出来るようになる。
不正をしようというのではない。だが、結果的に村を潤すことが来るようになる。
貧しく貴族の脅威に怯える村の、アキラは希望になるはずだったのだ。
アキラの父は村長として、誰よりもそれを切望していた。
そしてアキラ自身も。
それを―…。
あの男が…殺した。
アキラが最後に見たのは、血飛沫をあげて倒れる父の姿だった。
キャラバンの連中も同じだったろう。
この少年が手を下した訳ではないが、アキラにしてみればヒカルもあの男と同じ仇。
いまさら親切ごかしても受け入れられるはずもない。
だが、少年は首を振った。
「おまえを殺すなんてそんなこと…。おまえはあいつを誤解しているんだ」
「何を誤解していると? 言ってる事の意味が解らない!」
アキラが苛立ったように叫んだ。そのまま少年に掴みかかる。
しかしあっけなく腕を取られ、動きを封じられてしまった。
もがくアキラの額に、少年の手がそっと当てられた。
声もなく身体が崩折れる。それを支えて、
「ほんとうにごめん。でも、オレにはもう時間がないんだ」
少年は気を失ったアキラを抱きとめたまま、男が出て行った扉をいつまでも見つめていた。
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