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佐為は運転免許を持っている。
正確には持っているのは『藤原砕』だが、身体はご本人なのだから差し支えない。
ヒカルと佐為は相変わらず、大抵二人いっしょにいる。
ただしマンションに空き部屋が出たため、部屋は別である。
いっしょでいいじゃん〜と言うヒカルに、棋院に出す書類でいっしょに住んでる事がバレてしまうから、と空きが出た途
端、佐為は別に部屋を借りた。
ヒカルの部屋はアキラの右隣の角部屋だが、佐為の部屋はアキラの左隣である。
実は部屋が空いたのは、アキラの部屋の騒音が原因だ。
夜な夜な繰り広げられる『一人プロレス』にお隣さんは、たまに会うアキラの礼儀正しさに困惑以上に恐怖を感じて引っ
越していった。
エリザベスの姿も声もアキラとヒカル、それに佐為の3人以外には見えないし聞こえないのだから仕方ない。
ところがそのエリザベスが、最近地獄に帰ってしまった。
「塔矢は最近、元気がありませんね」
佐為はヒカルと碁盤を挟んで向かい合いながらそう言った。
身体は女性に変わっても、三度のメシより碁が好きな囲碁バカぶりは相変わらずだ。
「エリザベスが地獄に呼び戻されて、しょげてるんだよ」
「なんになったんでしたっけ?ええっと…獄、獄卒管理官?」
「そう、地獄の管理を任されたらしいよ…っと」 ヒカルが石を打つ。
「ほぉぉ、そうきましたか。また腕を上げましたね、ヒカル」
にっこり微笑んで佐為は扇子を閉じた。しばらく考えてから、次の一手を放つ。
「うおっ、なんだよ、それ…」
じっと盤面を睨んで、しばし。
「…ありません」
「ありがとうございました」 佐為は背筋を伸ばしたまま、綺麗に頭を下げた。
「ちくしょー、やっぱり勝てねえ!」 ヒカルはごろんと後ろにひっくり返った。
佐為は棋士採用試験を全勝でパスし、今はヒカルと同じプロの碁打ちである。
「…?で、なんの話してたんだっけ?」
「だから、塔矢ですよ」 佐為がお茶を入れに立ち上がる。
「塔矢かあ〜。いいじゃん、ほっとけば」 ヒカルはそっけない。…ヘタにつついて佐為にちょっかい出されてはかなわ
ない。
「でも気になりますよ。…そうだ、どらいぶでも誘ってみましょうかねえ」
佐為はふと思いついたように言った。
「ドライブ!?誰が運転するんだよ?オレ免許持ってないぜ?」
「ふふん。私が持ってるんですよ。もちろんエリザベスのですけど」 佐為がにんまり笑った。
「め、免許持ってたってお前、運転出来ないだろ!?」
ヒカルは青くなった。コイツ他人の免許で運転するつもりか!?
「それが出来るんですね〜!」
佐為は得意気に言った。
「この間から教習所に通って練習したんですよ。そりゃ大変でした。でも車ってオモシロイですねえ、ヒカル」
そういえばひと月ほど前から、佐為はヒカルと碁を打っていても、夕方には早々と自分の部屋に引き上げていた。ではそ
れから教習所に通っていたのか。
「なんでそんな事、急に思いついたんだよ?」 佐為が車に興味持つなんてどう考えてもヘンだ。
「エリザベスは車も持ってるし、使わないのはもったいないと思って」
佐為はそう言ったが、なんだかはぐらかされた気がした。
ヒカルのなんともいえない表情をどう思ったのか、佐為は
「あ〜っ信用してませんね!?いいでしょう、ではこれから証明してあげようではありませんか!」
鍵を取ってきます、有無を言わさずそう言って、佐為はヒカルの部屋を出て行った。
20分後、二人は下の駐車場にいた。
ヒカルは佐為が車をここに停めていることを全く知らなかった。だが、それもどおりだ。ほんの4日前に持ってきたばか
りだという。
それまでは別の場所に駐車場を借りていたらしかった。エリザベスの身辺整理ができたのは、ついこの間のことだ。
車は…さすが元ナンバーワン女子プロレスラー。…真っ赤なポルシェだ。
そのポルシェに二人して乗り込む。しかしヒカルはすでに後悔し始めていた。
佐為が車を運転だなんて信じられない。ほんとはすごくコワいけど、でも確かめずにいられない!
「あ、ちゃんとシートベルトして下さいね」 佐為が注意する。
「………」 ヒカルは無言でベルトを締めた。言われるまでもない。三点式ベルトでは心元ないくらいだ。
乗り込んでからじんわり恐怖がこみ上げてくる。
(こえぇよぅぅ〜っ!オレ、無事に生きて帰ってこられるんか!?)
「じゃ、行きますよ」 佐為は自信満々だ。
「右よ〜し、左よ〜し。うぃんかーを出して、…発進!」
ポルシェはふらふらしながら、ゆっくりと駐車場を出発した。
「ところでどこまで行く気?佐為?」 長い坂道を下り終えた所でヒカルが聞いた。
「その辺を一回り、ですよ」 と言いながら、すでに顔が真剣だ。
(その真剣なカオが怖い〜っ!)
しかし大丈夫、と言っただけあって結構無難に車は走っていく。
ただし、超法定速度だ。横を原チャリが悠々と追い抜いていった。
気がつけば後ろに長蛇の列が出来ている。ここは追い越し禁止なのだ。
「おい、後ろ。詰まってるぞ!もう少しスピードあげろ、佐為」 ヒカルは気が気でない。
「ダメですよ!ここは30km/hです」 しかし見れば、時速は15km/h。
「30キロいってないじゃんか!もっと踏めよ!」
「30キロ未満で走りなさいって事なんですから、いいんですよっ!」
佐為はちょっとキレ気味に言い返した。今度は横をママちゃりが悠々と追い越していった。
前籠と荷台に乗った子供が二人、不思議そうにこちらを見る。
そのうちクラクションが鳴らされ始めたが、佐為は真剣にハンドルにしがみついたまま見向きもしない。
もしかしたら、聞こえてないのかも知れない。
(恐るべし。碁打ちの集中力…)
ヒカルはもう他人のフリをしてしまいたくなった。しかし助手席に乗っといてそれはムリというものだ。
やがて車は踏み切りに差し掛かった。
助かった。あれを超えれば、すぐ2車線になる。
踏み切りは少し、登り坂になっていた。
佐為は案の定、律儀にぴったりと一旦停止をした。
「右よし、左よし、後方よし」
ところが発進しようとしない。
「どうしたんだよ!?佐為、早く出せ!」 ヒカルは怒鳴った。
「まだです」 佐為はにべもない。
そして、キコキコと窓を開けると、
「音よしっ」
ヒカルは車内でコケそうになった。
いろんな人の助手席に乗ったが、「音よし」をする人間に初めて会った。
たっぷり1分はかかって踏み切りから出ると、すぐに警報機が鳴り始めた。遮断機が無情に降りてくる。
(うっわー。ここはたしか開かずの踏み切り。オレたちの後ろの車はこれから20分は渡ってこれない…)
後方でおっさんの怒号が聞こえたが、佐為は気持ちよく無視した。
やがて車はヒカルのマンションの駐車場に戻ってきた。
奇跡的にどこにも一度もぶつけることなく。
「どうです?」
佐為は満面に笑みを浮かべて得意顔だ。
しかしヒカルは二度と佐為の運転する車には乗らないと決心した。別の意味で神経が磨り減るからだ。
「お前、車に乗るの止めろ。な?悪い事言わないから」
ヒカルはぐったりして佐為に言った。
「ええ〜〜!?なんでです?…私、せっかくこれで因島に…あ!」 佐為が口を押える。
(因島?)
佐為はどうやら因島に行きたくて、車の練習をしたらしかった。
塔矢はダシか?うーん今回どこまでも気の毒なヤツだ…。
「…因島に行きたいんなら、オレに言えばいいじゃんかよ。なんで車なんだ?」
ヒカルはなんだか不満だ。
「だってヒカル、私が虎次郎の話をすると機嫌が悪くなるから…」
一度、現身で行ってみたかったのだと言う。
「バカだなあ、お前。いいよ、今度の休みに一緒に行こう。連れてってやるよ。新幹線で行く方がずっと早いしラクだか
ら」
(だから、二度と車には乗らないように)
『運転は流れに乗ってスムーズに』
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