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「お師匠様、一つお教えいただきたいのですが」
竜潭はかねてから疑問だった事を口にした。
「なぜ巧は沈んだのでしょう?前の塙王はいったい何を為さったのか?」
据瞬は静かに、かたん、と酒の器を置いた。
「燦大(さんだい)様は我々の間では烈王と呼ばれている。彼は恐らく官吏としてなら大変優秀な男だった」
「烈…王…」
「大変激しいご気性だったから、いつの間にかそう呼ばれる様になった。彼はどの官僚より優秀に国を治める事ができた」
「何故、そんな優秀な方が…お倒れに…?」
「彼は常に官吏達にこうせよと指令を出していた。誰1人信用する事なく…」
据瞬は唇を噛み締めた。
「官吏の心が王から離れるのは時間の問題だった。王は増々頑なになり指令が困難なものになり始めた」
そんな矢先に暴動が起きたのだと言う。禁軍の将軍だった据瞬は王師を率いて討伐に行くことになった。暴動の主は淳州の出身の大司徒であった。彼は淳州の州侯と手を組んで、州司馬を動かし州師を使って翠篁宮(すいこうきゅう)に攻め込む計画をたてていた。
「大司徒の後ろには国民がついている。地官は国民から慕われねばならない」
戸籍や土地を管理し、国民の声をよく聞く立場にある官吏が反乱を起こす。民意の現れと言ってもいい状態だった。
「討ったのですか?」
「…討たねばならなかった…のだ、本当は…」
膝の上に置かれた手が小刻みに震えた。
「俺は討てなかった。逆に主上にお心を変えていただけないかと願い出て、逆鱗に触れてしまった…」
今から思えば他にやり方がなかったものか。その際腹をたてた王は据瞬に大怪我を負わせ、据瞬は三日三晩生死の境を彷徨った。仙でなければとても助からなかっただろう。意識が戻ったのは更に数日経ってからだ。
王はすぐに自ら王師を率いて討伐に向かった。
烈王は大司徒と州侯の首を跳ね、さらに部下に命令をきちんと伝えなかった罪で据瞬の上司であった大司馬を処刑した。据瞬が生きているのを知ったらば、この時共に殺されていただろう。
だが自分は助かった。危険を感じた大司馬が嘘の報告をして据瞬が死んだ事にしてくれていたのだ。彼が意識を取り戻した時、すでに麒麟が失道して亡くなり、白雉が末声をあげた後だった。
「烈王の治世は短かった。三十余年だったな」
竜潭は燦大の孤独な気持ちが何となくわかるような気持ちがした。切れ者と呼ばれていた王であっただろうに…。そうせざるを得なかった烈王と呼ばれた男。なんだか悲しくなって涙が出そうになる。
「そんな顔をするんじゃない。烈王はほんの少しだけ方法を間違えたのだ。彼は天意を理解していなかったのかも知れない…。いや、もしかしたら天意を理解できていなかったのは我々の方だったのかも知れないな」
据瞬は一気にそこまで言うと、再び酒を自分の身体の中に流し込んだ。
「王の治世の三分の一の長さの時間が、すでに王のいないこの巧を通り過ぎている。正直王がいないと言うのがこれほどまでに辛いとは思いもしなかった。仮朝の一部の人間など、あんな王でもいてくれた方がマシだと断言するくらいさ」
慶に帰った竜潭は、想像した通り雪笠が王に収まった事を知った。家は大混乱だった。彼はそのまま金波宮に行き、父母を宮に呼び寄せる算段をしていた。広大な土地は後を継ぐものもなく小作人共々残される事になった。
「竜潭、どうしましょう?」
母はおろおろしていた。農園がなくなる訳ではないが、いったい後を誰が継ぐのだろう?そう竜潭が思ったとたん母がその答えを口にした。
「旦那様が私たちにこの畑を任せるとおっしゃっているのよ」
「僕達に?」
ありえない事ではないが、世話をしている難民に財産を譲っていくとは…。
「貴方ではないわ、竜潭。ぼっちゃま…、いえ、主上は貴方を官吏として王宮に迎えるとおっしゃってます。ただちに金波宮に行く様にと」
竜潭は手を握りしめた。恐いほど理想的な状態に整っていく。これがまさに天啓と言うものだろう。巧の為にも慶の為にも自分にはしなくてはならない事があるのだ、と確信した。
一方蓮月は五曽の廬で大事に大事に育てられていた。裕福な家とはいえ王が沈んですでに10年以上、お金はあっても食べ物がない。外で遊ぼうにも昼日中でも妖魔が出没して外に出るのも危険だ。だから蓮月は家の中で本を読んだり詩を作ったりして過ごしていた。
父の愉燵はすぐに娘の才能に気がついた。文才があるだけではない。親から使用人に到るまで多くの者の心を汲み取る力がある。いつも穏やかで人の話を良く聞き、自分の意見をきちんと述べ、弁もたつ。きちんとした教育を受けさせたらどうだろう?
母は反対するだろうが、かまう事はない、と愉燵は考えた。金などどうせ使い道はない。このかわいい娘の教育にいくらかかったところでいいではないか。能力的もしくは金銭的に行かれる所まで行かれればよい。
蓮月は小学に入学した。
慶に王が立って5年が過ぎた。巧にはまだ王がいない。蓬山には塙麒が鬱々とした気持ちで何度目かの昇山者を迎えていた。
「いない、王気を感じるような人はどこにも…」
もはや王を見つけられない麒麟の寿命は半分を過ぎた。30年王を見つけられなければ自分は死ぬのだ。塙麒は諦めにも似た気持ちで、たった1人だけの昇山者と向かい合った。
「蓬山公には御機嫌麗しく」
彼は礼儀正しく塙麒に挨拶をする。
「ありがとう。中日まで御無事で」
その男は少しも動じる事なく顔をあげ、15歳の少年のまだまだあどけない顔を見た。珍しい青い麒麟だ。その鬣の色や瞳の色は深い海を連想する。
「御無礼をお許しいただきたい。私は始めから王になるとは思わずに昇山いたしました。それもこれも貴方様に申し上げたい事があっての事」
戸惑った顔で塙麒はこの男を見つめる。
「公も御存知のはず。我が国は王を失ってすでに15年。もし新たな王に昇山の意志があるならば、きっととっくに昇山し王位に収まっているはずでございます。ところが昇山者の中に王がいないと言う事は、何かの事情に寄り王が昇山できない環境に置かれていると言う事なのではございませんか?」
「確かにそうですね」
「なれば、公。どうか蓬山をお出になられて、王をお探しいただけないか?巧の民は疲弊して、もはやこれ以上いつ登極するかわからない王を待ち続けるのは困難です」
塙麒は考えた。自分は王を選ぶのが恐ろしい。だがこのところの数少ない昇山者を見る限り、年々国が苦しくなっていっているのはわかっている。それもこれも皆自分が王を選ばないでいるからだ。王さえいれば、と皆口々に言う。それが皆の望みならば、王を選ぶ事ができる唯一の自分が、探しにいかねばならないのだろう。
「わかりました。昇山の季節が終わったら、女仙の許可を得て一度外に出てみましょう」
その男は口元をほころばせた。
「ところで貴方のお名前は?」
「据瞬にございます。公のそのお言葉だけで、昇山した甲斐がございました」
さて、と塙麒は考えた。あの男に蓬山を出て王を探しに行くと言ったものの、いったいどこに行けばよいものか?
「塙麒、どうなさいました?難しいお顔をなさって」
15年の間、ずっと優しく見守っていた貂鞠は塙麒のほんの少しの気の迷いまで見抜いてしまう。
「うん。一度外の世界を見てみたくなったんだ。外で王を見つける事もできるかも知れない」
「それはよろしゅうございますね」
「行ってもいいかな?」
「ええ。よろしゅうございますよ。塙麒にはたくさんの指令と阿伽句もいますから」
「うん」
どこに行こうか考え倦ねている塙麒に、貂鞠は笑って言った。
「巧の王様を選ぶんですもの、巧に行かなくては」
「それもそうだね」
「なにか気になる事でも?」
「僕、巧には誰も知り合いがいない。巧に行ってもどこに行けばいいのか」
「では、まず慶にお行きなさいな。あそこには景麒がいるでしょう?彼がきっと何か手を貸してくれますよ」
「なるほど」
景麒に久しぶりに会うのも悪くない、と塙麒は笑った。なんだか待ち望んでいたものをやっと見つけた思いがした。
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